8月30日(日)午後2時、戦争法規反対、安倍政権退陣!国会包囲10万人、全国100万人大講堂が予定される。この日には、小樽市、旭川市、仙台市、山形市、米沢市、水戸市、前橋市、さいたま市、千葉市、柏市、品川区、練馬区、八王子市、横須賀市、相模原市、新潟市、上越市、金沢市、長野市、中野市、上松町、飯田市、松川町、、松川村、高山市、静岡市、浜松市、掛川市、磐田市、島田市、名古屋市、鈴鹿市、亀山市、京都市、忠岡町 大阪市、奈良市、松江市、出雲市、広島市、福山市、徳島市、高松市、高知市、福岡市、佐世保市、宮崎市、などでのデモが想定されている。
今、各地で組織化が進んでいる。
A各種の動き
1・学生
SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)自由と民主主義のための学生緊急行動 設立2015年5月3日、Twitt
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「戦後レジームの脱却」といっても、解釈において、国民と自公国会議員の間には大きな溝がある。まったく異なっているといえます。
①自公のそれは、米国従属を深め、独立国としての日本の主体性を失うことである。
②国民のそれは、日米安保地位協定の改定であり、独立国として、日本の独自性を確保することである。
30日の国民決起行動は、60年安保より、大きな国民的行動になるのではないでしょうか。全国、津々浦々、抗議の声が日本中に大きく響き渡らせ、自公政治家を覚醒させたい、覚醒させなければならないと思っています。
首相官邸や国会議事堂を囲んで、どんなに大勢の国民がお願いしても、安倍晋三には痛くも痒くもあるまい。
安倍晋三が聞き取れるのは、米国の軍産複合体などネオコンの恫喝の声だけなのだ。
日本国民が戦争法案を阻止するには、民主的手法ではなく、物理的な手段しかないと思う。
議事堂の問を封鎖して、議員を足止めしても、警官や衛視に排除されてしまう。
官邸にミサイルを撃ち込もうとしても、我々には入手できない。
連合などがゼネストをしたら、多少は効果も考えられるが、それを実行できるほどの組織力はなさそうだ。
結局、国民がどんなに反対しても法案は可決してしまい、違憲訴訟に頼るしかなさそうだ。
いかに政権べったりの最高裁といえども、これほど明確な憲法違反に対し合憲判決を下す理由は見つけられないだろう。
米国のネオコン・シオニストはウクライナで自由と民主主義という偽看板を振りかざし実はネオナチを使って暴力による政府転覆を図った。しかし、ウクライナ人民に嫌われ始たので中東からならずものをリクルートしている。そんなネオナチ政権は続かない。衰退するのは時間の問題。
同じく彼らは日本で靖国軍国主義者を立てて憲法無視の政権維持を図って東アジアで混乱を起こそうとしているが、ヒトラーの銅像をベルリンに立ててドイツ人を使ってロシアを威嚇するようなものでまるで漫画そのもの。その試みは必ず不調に終わる。
中国や北朝鮮の基本的人権が心配なら、まず、自ら抱える靖国軍国主義とネオコン・シオニズムを放棄することから始めるべきだ。日本と米国がそれぞれ靖国軍国主義とネオコン・シオニズムを完全放棄すれば、何もしなくても中国や北朝鮮の基本的人権は誕生する。
8/30のデモはそういう意味でとても重要な国民の政治参加だと私は思う。
> 民主主義。国民個人ができることを行い獲得していくもの。
だからこそ、そうした意識を持った者が決して多数派にならぬよう、この国の支配層は あの手この手でウン十年 国民を「教育」してきたのでしょう。実際、古くから「1984年」のナントカ省ばりの動きをしてきたのではないか。
Ministry of Loveですな。素晴らしい。そこで主人公はBBを心から愛するようになる。ってBBって誰よ。
解釈なんてどうとでも取れるが、好意的な意見の印象。シオニズムはよろしくないですね。というか人間関係というか、信頼のないところに何も育ちはしませんよ。それだけのことです。人間は愛を食べて育っていくのです。Big Brotherもそういってんのかな?
日本中の都市でもこの日には抗議集会やデモが行われるので、東京まで出かけ
る必要はないといえばないのですが、60年安保の再現になるかもしれない、極
めて重要な歴史的事件になりそうな気がして、国会の包囲デモに参加するつもり
です(デモに参加するのは学生時代以来です)。
民主主義の原点は民衆一人ひとりの政治参加ですが、政治参加を選挙のみに限
定する議会制民主主義は巧妙なる金権支配によって反民主主義的な独裁に化して
しまっています。デモや集会などの直接的政治行動は本来の民主主義を機能させ
るために必要不可欠です。日本人は民主主義を自分たちの血と涙で獲得したわけで
はないので、我々の間にはこうした本来の民主主義はほとんど根付いていません。
空前の規模の反政府運動だった安保反対も、結局のところ新安保条約が承認され
成立してしまったために、民衆の力で政治を変えられるという自信が伝統化される
ことはありませんでした(私が知る限りフランスや韓国にはこういう伝統が生きて
いるのですが)。
しかしあの安保反対運動は無駄になったということはないのです。岸を退陣さ
せ、池田を経済成長路線に転換させ、その後曲がりなりにも戦争への参加を踏み
とどまらせてきたのは、九条とあの大きな安保反対運動の記憶が残っていたから
とも考えられます。
今回も、参議院強行採決か、60日ルールで衆議院再可決か、結果はどうであれ、
反対の声をあげ続けることが将来の日本のために大事なことだと思います。「結
果を考えて行動するのは卑しいことだ」という高村光太郎の言葉を思いだして、
いざ東京へ!