【感想文】アニメ映画「この世界の片隅に」について語る回
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【感想文】アニメ映画「この世界の片隅に」について語る回

2017-02-12 03:00
    皆さん、こんにちは(^o^)

    まずは、直近の余談から(笑)

    Aqours(アクア)の1stライブ2日目のLVに参戦することになりました(^^♪
                  ❤参戦に向けての準備進むwww❤

              ❤ライブで新曲のお披露目はあるんですかね?❤

    4月にリリースされる新曲「HAPPY PARTY TRAIN」のジャケ絵の背景は「旧豊後森機関区の扇形機関庫ではないか」という話らしいですが、またなんかえらいシブいロケハンだなwww

    「ラブライブ!サンシャイン!!」九州上陸!? ラブライバー九州勢歓喜www(≧▽≦)
              「旧豊後森機関庫」及び「旧豊後森機関庫転車台」

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    本題に移りましょう。先々週の話です。

    1月29日(日曜日)は終日あいにくの雨空でしたが、電車に乗ってイオンシネマ戸畑(北九州市)まで出掛けて行って、「この世界の片隅に」というアニメ映画を観ました。

    イオンシネマ戸畑はイオン戸畑の4階にあります。イオン戸畑ショッピングセンターは戸畑駅から徒歩1分で、駅前直結のロケーションです。
         イオン戸畑から戸畑駅を望む(←鉄道マニア的パースペクティブwww)
    そういえば、わざわざ劇場まで出向いて映画を観るのは、劇場版「ラブライブ!」(2015年夏)以来だったような。。。(^^;

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    それでは、感想タイムです(^ω^)

    ここでは、本記事のオリジナリティ追求のため(?) ネタバレは極力避けるように努め、
    ゆえにストーリーの詳細については敢えて触れようとは思いません。あしからずwww

    作品全体を通して個人的に感じた、大まかな印象について語っていきたいと思います。

    2017年1月29日の上映スケジュールは、詳しい時刻は忘れてしまいましたが、10時と13時を過ぎた時間になっていました。朝起きれなかったので、13時の時間帯の方を観ました(笑)

    この時の観客数は、座席数の3分の1くらいだったと思います。100人くらいはいたのかな?
    客層は老若男女さまざまで、親子連れもいましたが、これはなぜか母娘のパターンが有意に
    多い傾向にあったような???

    この映画を観て、まず思ったのは、背景の絵が美しい。日常にありふれた「月並みな美」も、なぜか愛おしく思えてしまうのは、この作品の持つ大きな魅力の一つと言ってよいでしょう。


    原爆に被災する以前の広島の市街地の様子が、ごく限られた場所とはいえ、丹念に描かれています。この再現力には、ただ敬服するばかりです。




        すずさんも「芸術の目で人生を見る修業」を実践する同志の一人であった!?

    映画を観終わって、ふと脳裏に浮かんだのは、「重たいものが底に沈んでいった後の上澄みを掬(すく)い上げたような…」・・・いつかどこかで読んだ本にあった、このフレーズでした。

    作品世界の全体を貫く、どこか悲しげで、しかし優しい、あるいは儚い、もののあはれな、
    そのような雰囲気は、作中に流れる音楽が寄与するところも大きいのでしょう。

    このへん表現については、総合芸術である映画の持つ「強み」と言ってよいかもしれません。

    主人公・すずさんと主要な登場人物である嫁ぎ先の北條家や実家の浦野家の皆さんは、戦争で悲しい出来事に遭遇したりするわけですが、この作品では、悲惨な出来事については間接的に描写されるか、暗示されるか、それくらいにとどめておいて、むしろ出来事が起きた後に対する「態度」の描写の方に重点が置かれているように思われました。

    戦争期の広島とそこで暮らす人々を描いた漫画というと、「はだしのゲン」という作品が自ずと思い出されるわけですが、こちらは悲惨な出来事がいろいろと描写されていました。

    この作品は、小学4年生の時に原作を読みましたが、よほどインパクトが強かったのか、それ以来、頭の片隅には、イメージの断片がずっと残り続けていたりします。。。

    「はだしのゲン」は故・中沢啓治先生の自伝的作品で、被爆者として表現者として、「反戦・反核」への固い意志と、平和を願う熱い思いが作中の随所に読み取れます。




    ゲンの初恋の人である光子さん。ようやく初恋が成就したところで、光子さんは原爆症で呆気なく夭折(ようせつ)してしまうのでした。悲しい。。。

    映画「この世界の片隅に」では、日本の敗戦を告げる玉音放送を北條家の家族たちと聴いて、すずさんの戦争に対する憤りが露わになるシーンがありますが、そのへんはどうも原作に忠実ではない、という指摘があるようです。

    アニメ「この世界の片隅に」が日本を加害者として描いてないと憤るいつもの人達【反戦思想】【トゥギャッター】

    原作では、すずさんは、先に掲げた光子さんのセリフと似た立場にあったように思われます。

    「戦争の被害者でありながら、実は加害者でもあった。」・・・それを知った時の絶望感。

    原作が『漫画 アクション』に連載されていた事実から察するに、この作品は大手の出版社からは連載を断られたのかもしれません。・・・これはあくまでも憶測ですが。。。

    原作では可能だった表現が劇場版では自重される。メディアの世界では、よくある話です。

    しかもこの映画は、クラウドファンディングの方式で一般市民から多数の出資者を募って完成に至った作品らしいので、政治的配慮にはなおさら敏感にならざるを得なかったのではないかとも考えられます。・・・これもあくまで憶測ですが。。。

    「この世界の片隅に」は、戦争期を生きた人々の姿が描かれているわけですが、これをもっと時代を超えた文脈で捉え直すと、「無常」を生きる人々の姿が描かれている。

    生成と消滅を絶えず繰り返す諸行無常の運動は、時には人間に対して冷酷で非情だったりするわけですが、だからこそ、人情の温かさが人々に救いや希望を与えてくれるわけで、
    この作品に好感と共感を抱いたのは、たぶんそのへんではないかと思います。


    この日、映画を観終わったのは午後3時半くらいでした。4階からエスカレーターで3階に降りていくと、そこには子供服売り場やゲームコーナーなどがあって、少年少女たちのグループや家族連れなどで賑わっていました。雨の日曜日の午後をそれぞれに楽しんでいる人たちの姿がありました。

    僕は、通常は、日曜の昼間にこんな場所などはあえて近寄らないわけですが、どうしても避けて通れない場合は、視界に入ってくるものに対して「リア充爆発しろ!」とか「人生は一行のボオドレエルにも若かない」とか、そのようなひねくれた考えを起こしたりするわけですが、しかし、この時ばかりは、これらの光景が全く可愛らしく微笑ましく思えたのでした。

    あらためて「平和は尊い」ものだと思いました。

    今回は、重たい系の話になりましたが、このへんで結論に入りましょう(^o^)

    (けつろん)
    この映画は「芸術の目で人生を見る修業」に大変有益である!(*´ω`*)

    映画を観たなら、原作にも、すべからく目を通すべし!(`・ω・´)

    というわけで、原作の方も買って読んでみよう。

    しかし、こういう作品なら、公立の図書館にも置いてくれそうですね!(^ω^)

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    ここからは、「投稿者贅言(とうこうしゃぜいげん)」のコーナーです(^o^)

    読んでくれる方は、ありがとうございます。読んでくれない方は、ありがとうございました。


    ・・・さて、イオン戸畑を後にして、電車で戸畑駅から小倉駅へと向かいました。

    これから、小倉の飲食店で軽く一杯やろうと思います(^o^)
                 ・・・で、「餃子の王将」かよwww

    京都に住んでいた頃は、「餃子の王将」にはずいぶんとお世話になりました。青春の味w(笑)

    この日は「この世界の片隅に」という映画を観たことで、二人の人物が思い出されました。

    ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

    一人は大学時代の友人であったH君で、彼は鉄道愛好家で写真にもそれなりに造詣があって、高校時代はバンドをやっていたそうで、YMOのコピーもやっていたということで趣味が合い、入学して間もない頃から卒業するまで、彼には仲良くしてもらいました。

    すでに1年生の5月で周囲から「5年生候補」と噂されていた僕が何とか4年で卒業できたのは、事あるごとに、彼が親切にも適切な教示を与えてくれたおかげだったのでした。

    H君は呉市の出身で、4年生になって間もない頃、彼は「卒業後の進路は呉市の職員の上級職(大卒程度)を目指している」と言っていました。その後の経過は次の通りです。

    7月中旬(夏休み前) H君「一次試験合格してたwww」
    9月中旬(夏休み後) H君「最終合格できた!」
    10月 H君「内定通知きた!」

    われわれは文学部地理学科の学部学生で、自分なんかは「文学部に公務員試験は無理だろう」みたいな先入観を抱いていたわけですが、それを彼が払拭してくれて、卒業後の進路を決めかねていた僕も公務員を目指してみることにしました。大学4年の1月のことでした(笑)

    僕が大学を4年で卒業できたのも、卒業後、某政令指定都市の職員採用試験(上級)に何とか最終合格して、そこの自治体の職員になれたのも、彼の影響が少なからずあったものと、今になってしみじみと思い返されます。

    彼はもしかすると、人をその気にさせて行動への「促し」を与える、その方面での天才だったのかもしれません。

    あの頃は、いい友人に恵まれたものだ。ありがたや、ありがたや(*´ω`*)

    大学を卒業してから、H君とは一度も会うことはありませんでしたが、今回この映画を観て、彼のことが自ずと思い出されたのでした。・・・彼も観てるよな、きっとwww

    今はどうしてるか知らないけれど、この場を借りて、H君の今後のご健勝と呉市の今後の発展を祈願させていただきたいと思います。 ガンバレヨ!(^o^)

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    次は、京都で社会人をしていた頃の話です。

    年末年始の休暇で、京都市から郷里である京都郡(福岡県)まで「青春18きっぷ」を使って帰省したことがありました。

    学生だった頃は、夏休みや冬休みの帰省時に「青春18きっぷ」をよく利用したものですが、
    長期の休暇が普通には取れない社会人になると、さすがにこれはキツい(;^ω^)

    この時の「青春18きっぷ」を利用した帰省は、1月2日だったか3日だったか忘れましたが、
    上り方面の「ムーンライト九州」の指定席が取得できることが前提の話で、自分のおぼろげな記憶では、指定券の発売日(乗車日の1か月前)に京都駅の「みどりの窓口」で座席を予約・購入したはずで、それで、この計画は実現されました。・・・たしか、そうだったはず(笑)

    京都駅から山陰本線を経由して松江で一泊。二日目は木次線と芸備線を経由して広島で一泊。そして三日目に山陽本線で4時間くらいかけて九州にたどり着く、という日程を組みました。


    で、ここで語るのは、広島に泊まった時の話です。

    あいまいな記憶では、20XX年12月30日だったか、自分を乗せた芸備線の列車が広島駅に到着したのは、たしか宵の7時頃で、広島駅前から路面電車に乗って市の繁華街に向かいました。八丁堀という場所に向かったと思います。広電の運賃の安さに感激したのを覚えています。

    事前に予約していたのか、予約なしで当日飛込みで入ったのかは忘れましたが、繁華街にあるカプセルホテルに泊まりました。カプセルホテルと言うと、個人的には、大阪ミナミの千日前にある「アムザ1000」が当時大変に気に入っていて、それと比べると、広島の方は何だかショボかったような。。。とはいえ、アムザと比べるのは意地の悪い見方とも言えそう。。。

    この夜は、広島焼を食べて、キャバクラで遊んで、半ばヘベレケになってホテルに戻っては、とっとと寝床に就いたのでした。この頃は、「日本の歓楽街、全国制覇じゃー!」などと調子こいては、「大人の男のレジャー」(?)をフツーに面白がっていたものでした(´ω`)

    翌朝。晴天。

    半ば二日酔いの状態で出掛ける準備を整え、折り畳み式のキャリーカートに大型のバックパックをくくり付け、チェックアウトを済まし、そいつを引きずりながらホテルを後にしました。

    路面電車に乗って広島駅へと向かいました。

    途中の電停から、一人のおばあちゃんが乗って来て自分の隣に座りました。小柄で上品そうな感じのする人でした。見た目、年齢は70代くらいだったのではないかと思います。

    電車にガタンゴトンと揺られている間、そのおばあちゃんが自分に話しかけてきました。

    「旅行の方ですか?」

    傍らに大きな赤いバックパックを従えさせて、いかにも旅行者然とした様子からして、僕は、そのおばあちゃんから興味を持たれたのかもしれません。

    「そうです。」

    おばあちゃんは話を続けました。

    「私は、子供の頃に原爆に遭いまして、その時に足を怪我しましてねぇ……」

    突然、原爆に被爆された時の体験を語られて、半ば二日酔いの半恍惚の頭では、どう反応してよいのか分からず、思わずうろたえてしまいました。

    その時、おばあちゃんは、それは短い時間でしたが、被爆した当時のことや現代の情勢などについて淡々と語られて、そのへんの内容はほとんど頭に入ってきませんでしたが、話の終わりになって「…平和は尊いよ。」としみじみと語っては、途中の電停で降車されたのでした。

    あの時の、おばあちゃんに対する自分の反応は「はあ」とか「そうですか」とか、ずいぶんと味気ないものだったかもしれません。

    別れ際に、せめて「貴重な話をありがとうございました!」くらいは言えたかどうか、もしかして、これは後になって「あの時、こう言っとけばよかった」と思った時に出た言葉なのか、そのへんは今となっては定かではありません。

    ただ、あのおばあちゃんの「平和は尊いよ。」という言葉は、後々まで心に残りました。

    あの時の記憶は、ほとんどおぼろげですが、この言葉だけは今も明確に覚えています。


    今、われわれが水や空気のように享受している平和は、過去の多大な犠牲と深い反省、そして人々の不断の努力によって維持されてきたものなのだ。

    社会というものは、垂直方向には堅牢に出来ている割には、水平方向にはひびが入りやすく、いとも簡単に崩れてしまいそうな構造をなしているものだ。経験的に、そのように思う。

    平和を維持するためには、努力を要する。 平和は尊いものだと思う。

    やや神妙にして複雑な心境に陥っている間に、やがて電車は広島駅前に到着しました。

    広島駅ビルの中にUCCカフェプラザがあるのを発見して入りました。
    当時、京都の烏丸七条にも同じ店があって、僕はその店に足繫く通っていたのでした(笑)

    モーニングセットを注文して、この日の朝食としました。


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                そろそろ梅花のほころぶ季節となりました。
                  白梅(小倉城庭園の入口付近にて)

       次回の記事は、小倉のこのへんのエリアについて語っていきたいと思います。
       今回の記事の続編のような内容になることが予想されます。

    それでは、皆さん、ごきげんよう! バイビー(^o^)/
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