ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

まろんの君さん のコメント

userPhoto
まろんの君
>>6
「ラブライブ!」というコンテンツはマーケティングの視点から見ても面白そうなので、今後の展開を見守りたいです(笑)

プロフ拝見したら、公開と非公開と、いろいろ書かれてますね! ぼちぼち読ませて頂きます♪
No.7
75ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
10日ほど前、劇場版「ラブライブ!」を観てきました。これで二回目です。レイトショーの時間帯に入場したら特典のミニ色紙はもらえませんでした。。。 とはいえ、二回目の観劇では、なぜか海未ちゃんが特にかわいく見えてきて、劇場の大画面であれをまた観たいような気もして、現在、財布と相談しながら三回目を観に行こうか考えているところです(笑) ☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★ ☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ では、本題に入ります。 ・・・前回、このような記事を投稿した。 【ネタバレ注意】ブログ記事「アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」への反論と賛辞【8887文字】 上記の記事では、 "アニメ「ラブライブ!」に物語性はあるのか?" をお題に、まとまりに欠けるものの、それを肯定する立場から思うところを述べた。 そこで肝心なことを言い忘れたので、ここで補足しておく。 TV版・劇場版含めて、アニメ「ラブライブ!」における「物語性」は、ストーリーの中で人間や人生の暗黒面に積極的に関わったり、自化し得ない世界と対峙する人間の姿を描いたり、そういうことはしないので、なるほど深みには欠けると認めざるを得ない。 しかし浅薄かというと、そうとも言い切れない。というのは、 その物語性には、深みの足りない分を補ってもなお、お釣りが返ってくるくらいの、われわれを惹きつける何かがあるように思えてならないからである。 それは何か? その点について少し考えてみたい。 結論から先に述べてしまうと、 アニメ「ラブライブ!」の物語性とは、楽曲のメッセージと連動して、受け手にとって親しみやすい、もっと言えば主体化しやすいものとなっている。 まずはこれであろう。また、このことは「ラブライブ!」の人気を支えている要因の一つでもあるだろう。 個人的にはこのように考えているのだが、しかし、これでは何のことやら、この文章を書いている本人ですらいまいちピンとこないので、この点について簡単ながら検証してみたい。 まず、ここで問題となっている「物語性」について簡単に定義しておこう。 人は、誰かに何かを伝えたい時、何かを知ってほしい時、分かってほしい時に「物語」をする。そのような前提に立って「物語性」を定義すると、大まかには次の二つの条件を満たしていることだろう。  (1) 作品を通して何が言いたいのか、一貫した主題がある。  (2) 作品を通じて語り手や聞き手たちが世界を共有できる。 この定義を踏まえて、具体的な事例で見てみよう。 劇場版の冒頭では、穂乃果の幼少期のエピソードが語られる。 夕暮れの公園で、穂乃果がことりちゃんと海未ちゃんに見守られながら、大きな水たまりを飛び越えようと何度も挑戦するシーンが現れる。 何度やってもうまくいかない。それでも簡単にはあきらめそうにない穂乃果。そんな折、どこからか流れてきた歌声をふと耳にする。その歌声に力付けられ勇気付けられて、歌声に乗りながら駆け出して跳躍した瞬間、それまで悪戦苦闘していた水たまりをひょいと飛び越え、この挑戦はささやかな驚きをもたらして成功に終わろうとする。そのところでTV版2期の最終回の続きからのシーンへと切り替わる。 冒頭に出てくるこのシーンは、和菓子職人の娘である穂乃果の元来の性格であろう内部指向的な性格とともに 「歌が持つ力」 というものについても語られている。歌声が持つその不可思議な力は 「飛躍を媒介する力」 と言い換えてもいいだろう。 この「飛躍を媒介する力」なるものは、ストーリー全体を貫く通奏低音となって、アニメ「ラブライブ!」の物語性を支えるライトモチーフであり、劇場版においては、このことがすでに冒頭で端的に語られている。 そして、ここで語られる「穂乃果と歌との関係性」は、「われわれとμ'sとの関係性」に置き換えることもできる。 深みには欠けるが受け手にとって親しみやすく主体化しやすい、その根拠について、劇場版では、すでに冒頭の場面から求めることができるというわけである。 あたかも精霊の力を借りて宙を舞うかのように、歌の持つ力に助けられながら、われわれも現実で直面する困難や障壁を飛躍し超越していく、またその過程を通じて自分の知覚できる世界を拡大しながら、われわれもさらに新しい場所へと辿り着く・・・ 「ラブライブ!」の物語性は、楽曲のメッセージと連動することによってその効験が十分に現れる性質のもので、そしてさらに、それは、現実のわれわれの人生の物語性を精神面で支援する性格のものである。 これは、夢や目標を持って「今」を一生懸命に頑張っている人たちほど共鳴しやすいのではなかろうか? そのように思われる。 これはおそらく「まどマギ」にはない魅力である。また芸能人の中にもファンがいたり、コンテンツが何やら宗教じみた雰囲気を帯びている理由も、このへんと関わりがあるだろう。 アニメ2期の中で出てきた 「みんなで叶える物語」 のキャッチフレーズは、μ'sとファンとの関係性に注目すれば、以上に述べたようなところまで含意しているのかも知れない。 これは完全な余談であるが、芸能界は実は孤独で厳しくしんどい業界なので宗教に走る人たちもちらほらいると聞く。 劇場版のストーリーで、現在の穂乃果が夢の中で(ヤスパースの実存哲学に出てくる超越者のような存在の)女性シンガーの助けを受けながら大きな水たまりを飛び越えるシーンからスクールアイドルの祭典~「SUNNY DAY SONG」~「僕たちはひとつの光」までのくだりは、テンポよく流れた感じがした。 それで結局、二回目の鑑賞で最も印象に残ったシーンといえば、「 SUNNY DAY SONG 」の海未ちゃんが、特にかわいかった❤(笑) あと、どうでもいいことで率直な感想として「これは警察から道路の占有許可とるの大変だっただろうなあ」などと思った。これは一回目に観た時から思った(笑) (参考) 超越者(ちょうえつしゃ)とは - コトバンク ヤスパース(ヤスパース)とは - コトバンク ところで、2ちゃんねるまとめブログには、「 SUNNY DAY SONG 」で海未ちゃんだけ画面から消えてる、みたいな記事もあったけど、それを引き算しても、このライブシーンでの海未ちゃんのアップはかわいかった❤ (参考) 【劇場版ラブライブ】サニデイで海未ちゃんだけ映ってない箇所があった!?これは修正はよ! 話が脱線してしまった。本題に戻ろう。 何かとてつもなく不幸な出来事に遭遇したとか、そういう深刻さは無いものの、それなりにジレンマに陥っては悩んで、ひとつ行動を起こすことによってそれが解決できた時の心境とは・・・それもまた、 重たいものが底に沈んでいった後の上澄みのような「軽み」の境地 であることには、やはり変わりないだろう。 「SUNNY DAY SONG」~「僕たちはひとつの光」のライブシーンを観た後になって、そのような考えが頭に浮かんだ。 アニメ「ラブライブ!」の面白さ、普遍性は、実はこの「軽み」の境地を先鋭化させて表現したことにあるのではないだろうか? ライブシーンはその象徴的表現である。そのように考える。   そして、この「軽み」こそが、われわれに元気を分け与えてくれ、まだ知らない新しい場所へとわれわれを連れて行ってくれる「魔法の暗号」となるのだ! たぶん。 余談ながら、世の中の宗教には「ジェダイ教」なるものがあるらしい。 (参考) 「スターウォーズ」が宗教を作る - Be inspired! 「まどマギ」はストーリーの内容が宗教じみていたので、「まどマギ教」なる現象も十分ありうる話だとは思ってはいたものの、それについては特に目立った話題はなかったように思う。しかし「ラブライブ!」はそれとはちょっと訳が違っていた。「ラブライバー」と呼ばれる熱心なファンたちによって、いつの間にかすっかりと宗教的な雰囲気が醸成されてしまったのだ!・・・なので、「ラブライブ教」なるものは、事実上すでに存在していると言っても過言ではない(笑) 閑話休題。先に「…穂乃果の元来の性格であろう 内部指向的な性格 」と書いたが、この点についても少し触れておこう。 「内部指向的な性格」とは「内部指向型パーソナリティの傾向が強い性格」ということであるが、この対概念は他人指向型パーソナリティである。 (参考) 内部志向型(ないぶしこうがた)とは - コトバンク ここでは、ちび穂乃果が大きな水たまりを飛び越えることにチャレンジした動機について考えるわけであるが、穂乃果は、海未ちゃんやことりちゃんたちに「自分のスゴいところを見せてやろう」とか「褒められよう」とか「喜ばせよう」とか、そういうことを考えて行動したとは思えない。 一方、ことりちゃんと海未ちゃんは「早く帰ろうよう」みたいなことを言いながらも、穂乃果を置いて帰ろうとはしない。この二人は、早く帰りたい気持ちと結果を見届けたい気持ちと相半ばな状態にあったのかも知れない。 ここでの穂乃果のチャレンジの動機は、例えば、登山家がある山の登頂に挑戦する理由を聞かれた時に「そこに山があったからだ」と答えるようなシンプルなものだろう。しかし、それは興味に対する純粋な態度の表われでもある。「内部指向的な性格」というのは、ややくだけた感じに捉えれば、このような性格を指す。 穂乃果は、地位や富や名声とは、或いは利他的な精神などとは関係なく「だって、面白そうだから」という理由で行動を起こして情熱を傾注することのできる、市場原理が支配的な現代社会のイデオロギーからは割合に自由な「奇特な現代っ子」であるとも言えそうだ。 明るくて行動力はあるものの、周りに対しては少々強引で独善的とも言える穂乃果の、いわば内部指向的な性格は、TV版にしろ劇場版にしろ、アニメ「ラブライブ!」でのストーリーを展開する鍵となっているように思う。それはまた「μ'sがスクールアイドルであることにこだわる理由」に関わる事柄でもあるだろう。 ☆★ ☆★ ☆★ ☆★☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ さて、ここまで書いたところで時間的に厳しくなってきたので、また体力気力の方もしんどくもなってきたので、続きは次に回して、予定では再来週あたりにでも「μ'sがスクールアイドルであることにこだわる理由」について思いついたり考えたりしたことを書きたいと思います(笑) 最後に、この記事を最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。 それでは、ごきげんよう!
まりさるの☆ウェーぶろぐ
芸術の目で人生を見る修業と文章修業の一環でブログやってます。作文がイヤになった時の現実逃避で記事を書いてます。