城巡り9~二条城
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城巡り9~二条城

2013-12-31 10:12
    今年最後の城巡りの記事は去年の春先と秋に訪れた二条城を紹介したいと思います。

    二条城



    現存する二の丸御殿。大政奉還が行われた場所としても有名です。




    実は二条城は歴史上3つ存在し、それぞれ異なった同名異城です。

    ①織田信長が防衛能力が皆無の足利義昭の為に築城させた「義昭二条城」
    これは義昭追放後に破却され安土城にリサイクルされました。

    ②足利義昭追放後、誠仁親王の住居として旧二条邸の跡に建てられた「二条新城」ないしは「二条新御所」。本能寺の変の際、信長の長男である織田信忠が引き籠って最期を遂げた
    場所として有名です。

    ③今も現存し今日我々が「二条城」と認識する「徳川二条城」は徳川家康によって
    1603年に完成しました。

    この二条城の歴史は江戸時代の最初と最後の時のみ非常に重要な役割を果たしました。
    江戸時代初期は豊臣氏に対する京都の拠点として、豊臣氏滅亡後は京都滞在中における
    将軍の宿泊所兼後水尾天皇の行幸場所として重要な役割を果たしました。
    現在現存する二の丸御殿を始めとした建造物はこの行幸時に際しての大改修の時に建てられた建物です。

    しかし、この行幸を最後に徳川将軍は京都へ上洛しなくなり、平和になるにつれて次第に
    この城の戦略的及び存在価値が薄れていき、二条城代(後に二条在番、二条定番)が置かれる
    だけの城となってしまいぶっちゃけた話事実上の廃墟と化していました
    その為1750年に落雷で天守閣が、1788年に起きた大火で本丸御殿がそれぞれ焼失しましたが
    再建すらされず放置されている有様でした‥

    天守台。何でも創建時の天守閣は図面が残っていて現在の技術で再建可能だとか‥
    でも再建の話はこれっぽちもない。


    在りし日の二条城天守閣(創建当初)大和郡山城の天守閣を移築したとか‥
    後に移築され淀城天守閣になりました。


    在りし日の二条城天守閣その2



    本丸御殿。現在ある建物は明治時代になって桂宮邸の建物を移築した物です。


    本丸と二の丸は水堀で分かれています。意外と籠城戦を意識した造りになっています。


    この様に江戸時代中期は散々な目に遭っていた二条城ですが幕末になると再び脚光を浴び始めます。天皇のいる京都へ約230年振りに14代将軍徳川家茂が入洛する為に急遽修復工事を
    施したりする等して再び京都における将軍の拠点としての役割が復活します。
    その後家茂は死去し15代将軍に徳川慶喜が就任し幕藩体制維持を感じていた慶喜は大名諸侯を二の丸御殿に集めて「大政奉還」が行われたことは皆さんもご承知の通りだと思われます。
    その後鳥羽・伏見の戦いにおいても幕府方が素直に城を明け渡したため、放火により
    城内の建造物のほとんどが焼失した大阪城とは正反対に奇跡的に戦火を逃れて今日まで
    遺構が残る事になりました。

    二の丸庭園


    数少ない城郭遺構の東南隅櫓


    残念ながらメインの二の丸御殿内部は文化財保護の為写真NGなっておりと
    豪華絢爛な障壁・襖絵や御殿建築の様子をお見せする事は出来ません。
    もっとも襖絵の約9割が損傷が激しい為レプリカに入れ替わっていて
    現在本物の襖絵は二条城内にある「展示・収蔵館」に保存されており季節毎に
    展示替えが行われ一部の本物の障壁画を目の前で見る事が出来ます。
    因みに私は二条城に行った翌日名古屋城に訪れたのですがたまたま

        「名古屋城と二条城の襖絵展」

    となる催しがやっていて、皮肉にも名古屋城で二条城の襖絵
    (しかも収蔵館より出展数が多かったw)をみる幸運(?)に恵まれました。

    唯一撮影できた黒書院外観。


    御覧のように城郭建築物の現存物は殆ど無く、お城として楽しむのには少し難がありますが
    京都市内に残る唯一の城だけに京都に来た際は一度ご覧になるのをお勧めします。

    次のお城巡りシリーズの続きは年を開けてからの予定です。
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