城巡り12~明石城
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城巡り12~明石城

2014-02-21 23:43
    今回は兵庫県明石駅から眼前に見える名城明石城を紹介したいと思います。

    明石城



    JR明石駅から徒歩1分、恐らく同じく兵庫県にある有岡城や福山城
    (こちらの場合は駅前に城があると言うよりも城の敷地内に駅がある
    言う表現の方が正確なのですが…)と並んで
    日本一アクセスの良い城の代表的存在です。

    JR明石駅。すぐ目の前にあります。因みに奥の山は淡路島


    広大な敷地を誇る明石城址は現在城内に2つの球場や陸上競技場が建てられ、
    連日多くの人が賑わう場所となっています。
    その為、遺構は本丸の建造物のみとなっています。

    遺構その1、坤櫓


    遺構その2、巽櫓


    そう、石垣以外で残っている建築物はこの2つの櫓のみとなっています。
    (厳密に言うと門の1つが1873年に月照寺というお寺に移築されている為3つとなります。)
    2つの櫓を結んでいる塀は復元された物です。

    さて、この城は篠山城と同じく坤櫓の後ろに天守台があるにも関わらず

    天守閣が建てられた事がありません‥

    理由は云うまでもなくこの城の防御性が余りに優れているあまり、
    「この城の藩主に謀反を起こされた時厄介だから」そうです。
    だったら築城するなよ‥と言いたくなります。

    その警戒ぶりは歴代藩主にも如実に表れており、江戸時代初期の65年間に5回も藩主が
    目まぐるしく入れ替わり、立ち替わりを繰り返して最終的に徳川家康の二男、
    結城秀康の末子である
    松平直良を祖とする明石松平家が入封されて固定し幕末まで続きます。

    とてもきれいに舗装されている登城路







    さて、この城は先ほども書いたように、天守閣が存在しない為、代わりに本丸四隅に建てられた4つの三重櫓と本丸にあった3階建てのが本丸御殿が天守閣の代わりを果たしてきました。
    残念な事に本丸御殿は1631年(寛永8年)に失火で焼失してしまいましたが、襖絵の一部は
    現存し戦後になって海外に流出したものの、現在は現存する全ての12面全てが日本に戻り、

    何故か愛媛県の美術館に所蔵されています…
    明石市、落札しろよ!


    残る4つの櫓ですが、明治時代に入りまず1881年(明治14年)北東にある艮櫓が
    老朽化により解体され、哀れ小学校の建築資材になってしまいました‥(泣)
    因みに一部は坤櫓に使用されているとか‥

    艮櫓跡


    そして1901年(明治34年)、今度は西北の乾櫓が解体されてしまいました‥

    乾櫓跡


    残念ながら古写真にも残されておらずどんな姿かたちをしていたのかは想像に頼る他ないのですが、現存する前2つの櫓を考慮すると似たような形であった事が伺えます。

    そして残る2つの櫓ですが、まず南西にある坤櫓


    客観的証拠は皆無なものの、徳川伏見城からの移築物と言われています。
    少なくとも阪神淡路大震災の被害による修復工事の際に
    廃材の再利用で建てられたのでは無く
    何処かの城からの移築物である事は確定していますので、
    何処かの城の櫓であったのは間違いないと思われます。

    続いて巽櫓


    こちらはこの城を築城した小笠原忠真がこの城の前に住んでいた
    船上城からの移築物であるとされています。(こちらは信憑性あり)

    右端に見えるのは明石海峡大橋


    問題はこの櫓、船上城時代は櫓だったのか天守だったのかはっきりしておらず
    (丸亀城備中松山城のようにこのサイズの天守閣は全国ゴマンとありました)
    もし、船上城の天守だった場合、「13番目の現存天守閣」という
    非常に素晴らしい栄誉を手に入れる事になります。
    (明石城の天守代替物としての要件も満たしていますし、
    これを弘前城の様に現存天守閣と見なしても個人的には良いのではないかと思っています。)

    以上の様に現存建築物は僅かな上、城内は公園として改造されてしまっている為、
    城好きの方々が楽しむにはちょっと辛い物がありますが、アクセスも素晴らしく、
    明石市内を一望できる眺めは絶景ですので一度訪れてみる価値はあると思います。
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