城巡り21~掛川城
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城巡り21~掛川城

2014-09-10 17:14
    もう訪れたから1か月以上経ってしまいましたが、
    東海の名城の一つ掛川城を紹介したいと思います。

    掛川城



    室町時代中期に守護の今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したのが
    始まりとされています。今川の名前が出た事からも分かる様に戦国時代に入り
    今川家が没落すると時の当主今川氏真が駿府から落ち延びこの城に立て籠もった事があり、
    徳川の大軍に包囲されましたが半年に及ぶ籠城の末、和議により開城するなど、
    この事からみてもこの城の防御力が優れている事が伺えます。

    山内一豊が領有した時に現在の城の縄張りが築かれ、関ヶ原の戦いで真っ先にこの城を
    徳川家康に差し出したのは歴史の教科書にも載る有名な話ですね。
    山内家が関ヶ原の功績で高知へ加増転封した後は一時期巡るましく藩が入れ替わった後
    大田家で固定し、江戸末期まで続きました。

    平成に入り当時の場所から北に移動して木造再建された大手門


    大手門を潜り左側に暫く歩いて行くと城が見えてきます。

    本丸に移築された三の丸太鼓櫓


    天守と同時に復元された城門


    外から見ると平櫓に見える太鼓櫓ですが、中に入るとまず目にするのが


    実は重箱櫓になっている太鼓櫓です。

    こんな感じ


    そして反対側を見ると平成に入り木造復元された天守閣がそびえます。


    因みにこの天守閣、山内一豊によって建てられた初代天守は1604年に地震で崩壊し、
    1621年に再建されるも1854年の震度7を記録したとされる
    安政東海地震で再び倒壊し
    以後再建される事はありませんでした。当然明治期に撮影された古写真も存在しません。
    にも、関わらずどうして再建できたか?
    当時の資料や絵図は無論の事、山内一豊が高知に加増転封した後「掛川城そっくりに」
    と作られたと言う高知城天守閣を外見イメージに用いています。
    (因みに現在の高知城天守は創建当初の物では無く江戸時代中期に再建された物ですが、
    創建当初と全く同じに風に再建されたとされており、OK(?)だそうです。)




    高知城が4層6階に対して掛川城は複合式望楼型3重4階となっています。

    天守内部は行ってからのお楽しみと言う事で天守閣からの写真を載せたいと思います。
    大手門(左上)、城門(左下)、太鼓櫓(右下)



    さて、この城の最大のポイントは実は天守閣ではありません。

    この現存する貴重な二の丸御殿なのです。


    安政東海地震で全壊後の1861年に再建された建物で、
    現存する御殿建造物としては江戸時代最後に建てられた物です。
    その為、内装は至ってシンプルで、襖絵もなく行政執行部屋兼藩主の居間といった趣です。

    入口


    丁寧な説明



    藩主の居間、小書院





    シンプルで装飾と言った物はあまりありませんが一か所だけ粋な装飾が施されています。


    掛川は新幹線駅とはいえひかりとこだましか停車しない駅ですが、掛川を訪れられた際には
    是非一度訪れられるのをお勧めします。それぐらいとても良い城です。

    最後に姉妹城といえる高知城が天守と大手門がセットで撮れるのを意識して
    掛川城の天守と大手門を1枚に収めてみました。



    城巡りは今の所ネタが尽きたのでしばらくお休みですが、
    また訪れたらUPしていきたいと思います。
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