TAJIRIのプロレス放浪記
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TAJIRIのプロレス放浪記

2014-10-17 22:12
    この前ちょっと書きましたが今回の書評は今までとは全く異なる
    プロレス関係の本を紹介したいと思います。

    TAJIRI / TAJIRIのプロレス放浪記


    購入場所:地元のブックオフ

    購入金額:950円

    アメリカ最大のプロレス団体にして世界最大のプロレス団体でもあるWWE
    2001年~2005年まで5年間に渡り在籍したTAJIRIこと田尻義博が週刊プロレスに
    2002年~2005年の退団に至るまでの巡業の日々を綴ったコラムをまとめた本です。
    因みに新たな書き下ろしもあるなど実にサービス精神旺盛な本です。

    プロレス本というとミスター高橋に代表される「暴露本」系か昔のプロレスを
    ”真剣勝負”として懐かしむ「ファンタジー」系に分かれますが、この本はその
    どちらでもありません。
    というか、そもそもWWEはプロレスに必ずつきまとう「八百長論争」に対して
    株式上場の際、事業内容を公開するにあたって台本の存在を公式に認めており
    選手側も過去のシナリオの事に関しては普通に裏話をする事も別に珍しくありません。

    さて、今回の著者であるTAJIRIですがWWEに入る前の経歴をさらっとまとめると

    IWAジャパン→EMLL(メキシコ)→大日本プロレス→CMLL(EMLL)→ECW(アメリカ)

    と活動団体、経歴も多岐に渡り、日本、アメリカカンレスリング、ルチャリブレ
    (メキシコのプロレスの事)のスタイルを習得している軽量級の選手に当たります。

    さて、年間200試合以上を裕にこなすWWEのレスラーたちの悲喜こもごもをリアルに
    描写しており、TAJIRIの文才もあって非常に読みやすい本になっています。
    特にTAJIRI在籍時のWWEはライバル団体WCW買収によるアメリカのプロレス市場
    全体の低迷もあって団体が積極的に世界ツアーを行い始めた時期と重なります。
    その為、兎に角移動に次ぐ移動で過酷なスケジュールをこなしているのが分かります。

    例えば、2003年12月のオセアニア・アジアツアーは1週間で

    サンホゼ(出発地)→アラスカ(給油)→ロシア→韓国(試合)→台湾(給油)→シンガポール(試合)
    オーストラリア(試合)サンディエゴ(試合)

    と4試合+移動3日という全盛期のNWA王者にも劣らぬハード・スケジュールであり、

    2004年10月の欧州ツアーに至っては

    10/5 ニューヨーク→フィンランド
    10/6 フィンランド(試合)
    10/7 イギリス・シーフィールド(試合)
    10/8 シーフィールド→ロンドン(試合)
    10/9 ロンドン→ドイツ(試合)
    10/10 ドイツ→イギリス・ウェールズ(試合)→マンチェスター
    10/11 マンチェスター(試合)

    7日間連続試合ともはや殺人的スケジュールの様相を呈しています。

    そんな巡業をこなしつつ、道中のあれこれが色々綴られています。
    特に2014年現在、WWEのトップスターであるジョン・シナやランディ・オートンも
    当時は1軍に昇格したばかりのルーキーであり、今や最高人事責任者であるHHHや
    NXTで活躍中でTAJIRIとは巡業仲間であったウィリアム・リーガルも当時は立派な現役で
    特にリーガルはTAJIRIが「師匠」と呼び慕っており、巡業仲間として数々の面白エピソード
    満載です。(詳細は本を見て爆笑してください。)

    この本を見ると試合以外のWWEの日常が垣間見ることができます。
    例えばハウスショーでの試合の決め方や必ずどんなきつい移動であっても試合前に
    必ずトレーニングを欠かさない、車や飛行機での移動での珍道中…等事欠きません。

    当のTAJIRIはというとクルーザー級(軽量級)の選手として同じ軽量級の選手との試合が
    メインですが、次第に師匠と慕うリーガルやエディ等とタッグ王座を獲得する中堅クラスの
    ポジションに昇格している事が分かります。
    その証左に同じ日本人選手であるFUNAKIと共に大物もしくは大出世確実の選手しか
    招かれなかったとされるHHHの結婚式に招待された事からもお分かりいただけると思います。

    しかし、5年間にも及ぶ過酷なツアーの繰り返しの反動による身体的限界の到来と
    2005年11月13日にかつてのタッグパートナーで共にWWEタッグ王者にもなった
    エディ・ゲレロが動脈硬化性疾患により急死した事が最大の引き金となって12月を以て
    WWEを退団し活動再開するまでの細かいプロセスが綴られてこの本は終わります。
    因みにTAJIRIのあとコラム枠はFUNAKIに引き継がれFUNAKI退団後にYOSHI TATSUに
    引き継がれましたがYOSHI TATSU解雇後は唯一の日本人所属選手であるKENTAが
    引き継いでいませんので現在ではこういったコラムは消滅しており、ちょっと悲しいです。

    そのTAJIRIですが日本帰国後は新日本プロレスや全日本プロレスといったメジャー団体や
    ハッスルを経てSMASHとWNCという団体を立ち上げましたが両方とも経営難で活動停止と
    なり、現在は全日本分裂により武藤敬司を主として旗揚げしたW-1という団体に所属しており
    TNAとW-1が提携した事によりつい先日、TNAの「レッスルマニア」に当たるPPV、
    「バウンド・フォー・グローリー」のメインで登場していました。
    残念ながら経営者としては上手くいかなかったTAJIRIですがこれからも
    「ジャパニーズ・バズソー」として活躍して欲しい限りです。

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