城巡り22~川越城
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城巡り22~川越城

2014-12-21 17:13
    さて、もうすぐ年末でございます!

    今年最後の記事は8月以来3か月ぶりの城巡りで〆たいなと思います。

    川越城


    城自体の歴史は意外と古く室町時代中期に築城されていますが、
    現在の川越城の礎を築いたのは知恵伊豆と呼ばれた名老中である松平信綱が
    1653年に行った
    拡張工事によるものです。

    江戸末期の川越城の縄張り


    またこの城は酒井忠利とその息子で信綱と共に家光の右手、左手と呼ばれた忠勝を
    始めとして堀田正盛、松平信綱、柳沢吉保、秋元喬知、松平康英
    江戸時代最多の7人もの老中が輩出される等「老中の居城」として有名でした。


    しかし城主の住居は二の丸御殿にあり、本丸御殿は信綱時代には
    建物があったことが確認されているものの、相次ぐ転封により
    目まぐるしく藩主が入れ替わった事もあって管理がおざなりになったのか
    江戸時代後期には本丸は家作なし(空き地)となっていました。

    そう川越城には実は長い間本丸御殿は
    存在していませんでした‥


    ところが二の丸御殿を始めとする信綱以来の建造物は1846年の火事で焼失してしまい
    1848年に時の藩主松平斉典によって建てられたのが現存する本丸御殿です。
    そう川越城の本丸御殿は明治維新の僅か20年前に出来たばかりの真新しい御殿でした
    しかし、その本丸御殿も明治期に入り他の建造物と共に相次いで解体された結果

    ぶっちゃけた話、

    本丸御殿の一部しか残っていません‥

    こんな感じ


    (それでも築20年しか経っていない事を考慮された結果大広間と玄関が現在まで残ったと
    考えるべきなのかは未だに難しい所があります。)
    なので思いっきり本丸御殿だけを中心に紹介したいと思います。

    入口から廊下を撮影





    老体、番抜詰所
    江戸末期も押し迫った時に再建(?)された為か全体的に質素な造りになっています。


    物頭詰所


    使者の間
    それでも同じ江戸末期の1861年に再建された掛川城の二の丸御殿に比べると
    金具や障壁画がある分親藩としての格式が感じられます。



    平成に入って再移築された家老詰所


    下記の絵図面を見ればお分かり頂けると思いますが実際の場所とは
    思いっきり異なる場所に移築されています。(元あった場所は現在高校の敷地)



    二条城二の丸御殿みたいに再現人形が置かれています


    しかし、家老詰所を含めても敷地面積にして8分の1、
    建坪で6分の1
    しか残っていないという現実…現存してるだけ感謝しています。
    赤く囲まれているのが現存部分





    江戸末期の再建とあって金箔障壁画とはいかなかったものの、
    板敷に描かれた見事な松の絵


    最後に城外に残る富士見櫓跡


    実は他にも数少ない遺構である中ノ門堀跡や小江戸と呼ばれる川越の街並みも
    撮影したのですが‥

    データーが破損してしまい復元できませんでしたorz
    すいません‥

    では、みなさん良いお年を~


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