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城巡り29~弘前城
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城巡り29~弘前城

2015-09-06 09:30

    前回書いたように今回の城巡りはこの城を紹介したいと思います。

    弘前城



    青森県弘前市にある弘前藩の居城で
    独立式層塔型3層3階の天守は現存12天守の1つであり
    1949年の松前城天守焼失後は日本最北端の現存天守でもあります。

    東北の梟雄、津軽為信が築城を開始したものの僅か1年で急死してしまい
    為信の死後から5年後に息子である信枚が他の城から移築したり
    後述する石垣の問題等がありながらも僅か1年1ヶ月で完成させました
    本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の主要6郭から構成された
    遺構がほぼ完全に近い形で現存し天守の他、3つの櫓と5つの城門が現存しています。

    今回は散策範囲が広いので地図を見ながら読むのをオススメ致します。





    私は弘前駅から炎天下歩いて三ノ丸追手門から入城しました。

    三ノ丸追手門



    この城門はその古式の奥ゆかしさや間取りの美しさから時代劇で
    使用されるワープステーション江戸の「江戸城大手門」のモデルとなっています。

    ワープステーション江戸の「江戸城大手門」



    近距離でもう1枚


    追手門を潜るとすぐ正面に二ノ丸が見え、正面に二ノ丸南門、
    左右に未申櫓と辰巳櫓を見る事ができます。

    左にそびえ立つ二の丸未申櫓


    現存する櫓は天守も含めて全て3重3階、3階のみ逓減率を減らす形をとり
    瓦は積雪による腐食を防ぐ為に銅瓦を
    用いており石瓦を用いる丸岡城とは
    また一風違う独特な緑青映える綺麗な景観を見せてくれています。

    右側にそびえ立つ辰巳櫓
    三ノ丸側は植物園(有料)の為、二ノ丸側から撮影


    現存する櫓はどれも1つ1つ意匠が異なっており、
    格子窓や破風にそれぞれ違いが見られます

    そして真ん中に位置する二ノ丸南門


    この南門を潜り右に曲がるとすぐに天守閣が見えますが
    私はあえて左に曲がり本丸の西側にある「西の郭」を回りました。
    西の郭は本丸の後ろに位置する蓮池を挟んで位置し
    他の廓から少し離れた静寂な場所にあります。
    江戸時代初期までは城内という位置づけでしたが江戸中期には

    付近を流れる川の工事により「城外」という扱いになってしまいました。
    実はここにも3層3階の櫓が明治維新後も現存していましたが、
    明治39年(1906年)になんとタバコが原因で焼失してしまいました…
    犯人を全身根性焼きの刑にしてやりたい気分になりました。

    西の郭未申櫓跡


    そしてそのまま西の郭を北上するといきなり広々と開けた場所に出てきます。
    そこが「四の丸」でありその先端に位置するのが北門です。

    亀甲門こと北門


    築城当初はここの門が追手門(大手門)とされた事もあり
    非常に堅固で格式のある大手門に相応しい造りとなっています。
    またこの門は大光寺城の門を移築した事が分かっており
    鉄砲狭間がないなど5つの門の内もっとも古式を留めています。

    そしてそこから再び南下し額田門跡を通過すると
    現存する3つの櫓の最後の1つである丑寅櫓が見えてきます。

    丑寅櫓


    この丑寅櫓を右に見ながら過ぎると広大な三の丸が現れ
    暫く歩くと上で少し触れた植物園が見えてきます。
    そこを右に曲がると二の丸東門(東内門)が姿を現します。

    東内門


    この様に弘前城には東と南にそれぞれ一ノ門とニノ門が揃って現存し
    幾重にも堅固な城門を拵え敵の侵入を防ぐ造りの面影を伺い知る事ができ
    刀傷残る北門と共に戦国時代の面影を色濃く残した城の魅力を味わえます。
    そして門を潜るとすぐ正面には珍しい遺構である与力番所もあります

    与力番所


    この建物は維新後に何故か破却されずに残り
    城外に移築され昭和56年(1981年)に再移築されました。
    この様な番所が現存するのは他に掛川城ぐらいであり
    城郭遺構の中でも彦根城の馬屋、高松城水手御門と並ぶ非常に珍しい遺構です。

    そして番所の目の前に2代目天守が遂に姿を現します。

    御三階櫓こと天守


    現在石垣修復工事に伴い内堀は埋め立てられ内部の公開は中止となっています。

    上の写真だと見辛いので問題部分を拡大撮影したのがこちら


    明らかに真ん中の石垣が膨らんでいるのが確認できます。
    元々この箇所は二代藩主の津軽信枚が1611年に築城した時には
    石垣ではなく土塁となっていて80年後の1699年に
    四代藩主信政の頃になって漸く石垣となった箇所であり
    完成から約200年後の1897年には何と1度崩壊しているなど
    かなり脆弱な部分でもあります。
    修復工事にはトータルで約10年かかるとされており、
    天守閣が元の位置に戻るのは6年後の2021年の予定となっています。
    一刻も早く元の姿と頑丈な石垣を取り戻して欲しいです。


    さて天守閣を通過すると本丸エリアに入りここから有料となります。
    有料エリアに入ると本来なら天守閣へと行ける通路がありますが
    曳家直前とあって「立ち入り禁止」で通過する事ができません。

    入れるギリギリの位置から撮影した天守


    その天守の対角線上にはこれから6年近く位置する事になる
    移設場所の土台が既に完成していました。

    移設先の仮土台



    仕方なくそのまま西側に100mほど進むと本丸未申櫓跡が見えてきます。

    初代天守こと本丸未申櫓跡



    ここに寛永4年(1627年)まで5層の天守が聳えていました。
    5階建てが災いしたのか落雷による火災で焼失してしまいました。
    その後ここの場所には幕末まで他の櫓と同じく3重の櫓が建っていたそうです。
    ただ元は天守だった事もあり他の櫓と比べても間取りが広くなっています。

    そしてそこから北上して階段を降りると北の郭があります。
    北の廓の最も北に歩くとあるのが子の櫓跡です。

    北の郭子の櫓跡



    奇しくもこの櫓も維新後も現存してましたが西の郭未申櫓と同じく
    1906年にこっちは花火が原因で焼失してしまいました…
    こっちの犯人は火炙りにしてやりたくなりました…

    最後は元来た道を戻り最後に訪れていなかった三ノ丸東門を通って
    今回の探訪は終了しました。

    三ノ丸東門


    感想としては非常に素晴らしい期待を裏切らない城でした。
    現存12天守の内、かなりの建造物が現存(復元)してる姫路城と松山城に
    次いで3ではないかと思えます。

    私の独断と偏見で見る現存12天守の城の(天守を含めた)遺構建築物のランキング
    (天守の良さとは別にあくまで城全体のトータルでのランキングですのでご了承ください)

    1位 姫路城
    2位 愛媛松山城
    3位 弘前城
    4位 彦根城
    5位 高知城
    6位 松本城
    7位 松江城
    8位 備中松山城
    9位 犬山城
    10位 宇和島城
    11位 丸亀城
    12位 丸岡城

    彦根の方が多くない?という意見もあると思いますが
    彦根城は現存建築物の多くが本丸と二の丸に集中しており
    それに比べ弘前城は本丸、二の丸、三ノ丸、四の丸と
    城全体に均等に遺構が残されており城らしさで言えば
    非常にバランスが取れているかと思います。

    オマケで弘前を訪れた日に開催された「ねぷた祭り」での弘前城関連の山車の写真





    個人的には天守内部を見れなかった事ともし未申櫓と子の櫓が焼失してなければ
    より城としての実感が味わえたであろうだけだけに少し心残りですが
    これだけ立派な遺構が残っているだけに贅沢は言わない事にします。
    石垣修復工事に伴い10年近く往時の姿は見る事が叶いませんが
    城好きな方は見る価値は十分ありますので是非訪れて見てください。

    次回はこの次の日に訪れた仙台の名城である仙台城を紹介したいと思います。


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