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城巡り30~仙台城
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城巡り30~仙台城

2015-09-22 16:36
    さて少し遅れましたが8月の東北城巡り最後の城を紹介したいと思います。

    仙台城


    仙台藩62万石を治めた伊達藩の祖であり東北の雄と呼ばれる
    伊達政宗が1601年に築いた城です。

    前回の弘前から新幹線で移動した為、丁度お昼頃仙台に到着しました。

    昼はやはり牛タン


    そしてバスで移動しまず本丸から訪れました。

    本丸御殿跡


    残念ながら仙台城に関しては前2つの城と比べて現存遺構はほぼ壊滅状態なのです。

    幕末までは本丸、二の丸共に(改修はあれど)ほぼ現存していましたが
    幕末に奥羽列藩同盟の盟主として祭り上げられた事の怨嗟もあってか
    1872年の東北鎮台建設に伴う破壊1882年の火災
    本丸、二の丸共に殆どの遺構が焼失してしまいました。

    その結果、僅かに残ったのは

    ・本丸辰ノ口門
    ・二の丸大手門及び脇櫓
    ・二の丸表舞台楽屋
    ・寅の門
    ・三ノ丸巽門

    の1櫓4門、能舞台のみとなり、しかも追討ちをかけるように
    第二次世界大戦中の仙台空襲で大正時代に城外へ移築した
    辰ノ口門と寅の門以外の全ての建物が焼失してしまう悲劇に見舞われました…

    大正時代に宮城県知事公館正門に移築され現存する寅の門(と言われている)
    後述しますが元々は大手門と同じく二階建ての楼門形式であり
    大きさも全く異なり扉と鯱は移築後に付けられるなど
    明らかに部材を用いて新たに作られており原型は留めてません。



    仙台の観光雑誌で必ず掲載される伊達政宗公の銅像


    訪れた日は8月7日とあって七夕まつりの初日でした。


    崖に突き出した形で建てられるという特異な形をしていた本丸能舞台跡



    残念尽くしだった本丸ですが紹介ビデオの解説が声優の御大、若本規夫さんが
    いつもの若本節で解説してくださったので少し心救われましたw



    そんな訳で本丸は軽く回った程度で降りて二の丸へと徒歩で向かいました。
    二の丸までの道(一部堀)は狭いにも関わらずアスファルトで舗装されてしまい
    車がガンガン通っており少しドン引きしました…元通り堀を埋め戻して欲しいです。

    そんなこんなで少々がっかりしてた私の前にこの城で唯一残り
    しかも素晴らしすぎる物が目に映りました、

    そう、石垣です!




    近年の修復工事で仙台城の石垣は

    伊達政宗創建時の石垣
    2代藩主忠宗、3代綱宗による石垣
    4代綱村以降に作られた石垣

    と大きく3つに区分する事が出来ます。

    まず政宗期の石垣


    見ての通り、その辺に転がってる自然の石をただ積み上げただけ
    非常にシンプルな野面積みとなっています。
    石垣と石垣の間の溝が大きい為、耐震性に難がある反面、排水性は高いです。

    次に2代目忠宗期と3代目綱宗期の石垣(手前)


    政宗期の石垣と比べて石を加工して整合性を高めており、
    打込み接ぎとも呼ばれています。また技術革新により石垣の高さも
    高くする事が可能になり傾斜も高くなっています。


    そして綱村以降の石垣

                           

    綱村以降の石垣は完全に石垣を加工し表面を平にして
    ブロック状に積み上げる切込み接ぎとなっています。
    この方式は見ての通り耐震性や防御性に優れているものの
    隙間が皆無の為に排水性が悪く写真のの辺りに排水口が設けられています。

    仙台城の見所はほぼこの石垣のみと言っても過言ではない位に
    時代の変化に伴う石垣の築城技術の変遷が目に見える形で見る事が
    出来るというのが最大の魅力でもあります。

    そんな石垣の素晴らしさを堪能しつつ降りていくと、

    中門(寅の門)跡


    上記に掲載した寅の門の跡です。ご覧の様に
    現存する石垣を見ても明らかに大きさが異なっており、
    現存する門とは明らかに別の物であるのは明白です。
    幸いにも江戸時代初期に門を正確且つ精密に記した
    立体図面が残されている為、大手門復元の暁には
    コンクリート引っペがして元の形に復元して欲しいです。

    沢門跡


    そして最後に見えてくるのが大手門跡です。(右の塀のみ創建時からの現存)


    似たようなアングルで撮影された焼失前の大手門



    焼失前の大手門その2


    脇にそびえ立ち、戦後唯一コンクリで復興された脇櫓


    戦前の脇櫓


    一説には名護屋城の門を移築したと言われるほど
    豪華絢爛な二階建て楼門形式の門で返す返すも
    空襲での焼失が惜しまれます。

    という訳で石垣は素晴らしいものの、建築物は残念極まりない結果でしたが
    朗報もあります。今年2015年末に開業される仙台市営地下鉄東西線開通後に
    大手門の復元整備が行われ始めるそうです。

    是非ともコンクリ引っペがして道をなくして脇櫓共々
    木造復元という形で復元してほしいなと願っております。

    次回は城巡りは15年前、現存12天守の中で初めて訪れ
    そしてシルバーウィークに再び訪れた松本城を紹介したいと思います。
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