城巡り32~上田城
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城巡り32~上田城

2015-10-13 22:02
    前回に続いて今回は信州を代表するもう1つの名城、
    上田城を紹介したいと思います。

    上田城



    戦国時代の名将である真田昌幸が築城した平城です。

    前回紹介した松本から特急と鈍行を乗り継いで
    およそ1時間半で上田に来る事ができます。

    オマケその1
    特急「しなの」



    オマケその2
    日本三大車窓の1つ、姥捨車窓


    上田城といえば徳川家康、秀忠の2度に渡る襲撃を防いだ事で
    名高い名城ですが、それ故に徳川にとっては余程恨み骨髄で
    あったのか徹底的に破壊されてしまい、現在の上田城は
    昌幸の上田城の上に後から入封してきた仙石忠政が新たに築いた
    全く別の城となっています。

    二の丸入口



    とはいえ、大阪城同様に全体の縄張りは昌幸時代の古城を踏襲していて
    三の丸こそ明治以降に開発されてしまい痕跡を留めていませんが
    幸いにも一部開発された所はあれど本丸と二の丸は概ね原型を留めています。

    二の丸外堀
    今では遊歩道になっていますが往年の姿は保っています。


    忠政は上田城復元に当たり本丸に7つの櫓と2つの城門を築き、
    続いて二の丸にも櫓や城門を建てようと計画していたようですが
    急死してしまいそのまま工事は中断してしまい、こうして未完成のまま
    中途半端な7つの櫓と2つの城門のみを持つ変則的な城となりました。
    現在は3つの櫓が現存し、1つの城門が復元されています。

    二の丸の入口から駐車場を超えるとすぐ見えてくるのが
    冒頭の南櫓~東虎口櫓門~北櫓です。

    南櫓


    1994年に復元された東虎口櫓門


    北櫓


    と、本来ならここで門を潜り中に入るのが定番ですが
    弄れている私なので(笑)そのまま北に直進し二の丸を周遊する事にしました。

    暫く本丸内掘沿いを歩くと見えてくるのが
    日本の城郭でも珍しい鬼門除けが見えてきます。

    地図


    鬼門除けというのは方角で言う所の鬼門に当たる北東の部分を
    不吉だとして意図的に堀や石垣を削って欠落状態にする事です。
    上田城も本丸の鬼門(北東)の角が切り落とされています。

    鬼門除け




    この鬼門除けは他に有名な城では江戸城や鹿児島城にも見受けられ
    それぞれ堀や石垣を意図的に削る・曲解させているのでもし訪れた際には
    ちょっと目を凝らして見る事をお勧めします。

    そして鬼門除けのすぐ傍には二の丸北虎口があります。

    例によって地図


    現在では虎口付近の石垣が僅かに残る北虎口


    この北虎口のすぐ正面には広大な百間掘の跡を見る事ができます。

    百間掘跡


    現在ではその広さからグラウンドとして使用されていますが
    そのお陰もあってか原型を留めており反対側の外堀の北東部分が
    開発によって跡形もないほどになっているのと対照的になっているのが
    印象に残りました。

    その二の丸外堀跡と現存する本丸内堀を眺めながら半周すると
    上田城のもう1つの現存遺構である西櫓が見えてきます。

    西櫓


    この櫓は仙石忠政によって築かれた上田城本丸七櫓の1つで
    後述しますがこの西櫓は先程の北櫓、南櫓と異なり
    創建時から一度も移築する事なく上田城に存在し続ける唯一の遺構でもあります。

    なぜ西櫓のみが破却も移築もされる事なく残ったかは不明ですが
    しなの鉄道線から見える西櫓と南櫓の姿はとても印象的でした。

    西櫓から本丸に入ると城内には(元々何もなかったのですが)
    真田神社がある以外は建造物はなくそのまま本丸の櫓沿いを歩く事にしました。

    西虎口櫓門跡


    詳しい外観は不明ですが上記の江戸時代の絵図を見るに
    恐らく東虎口櫓門と同一の意匠をしていたのが推測できます。

    隅櫓跡


    西櫓及び西虎口櫓門と土塀で一つになっていたと思われる櫓です。
    他の櫓と異なり正式名称がなく仮に隅櫓と呼ばれています。
    個人的な邪推ですが方角から見て本来この櫓が「西櫓」で
    現存する西櫓は「南西隅櫓」とでも呼ばれていたのではないでしょうか?
    方角的にもこの櫓が西で現存する櫓は「南西」であり、他の櫓がそれぞれ
    「北東」、「北西」など細かく分類されている事からも全くありえない
    話ではないのではないかと思います。

    そのまま北に歩いていくと2つ目の北西隅櫓跡が見えてきます。

    北西隅櫓跡


    北東隅櫓


    上の写真の真ん中の箇所が先程の鬼門除けの部分です。

    ここも正式名称がなく名称不明の隅櫓


    こうして本丸内を一周していよいよ南櫓~東虎口櫓門~北櫓へと入ります。
    因みにこの北櫓と南櫓は明治時代に破却こそ免れたものの、競売にかけられ
    城外に移築され何と遊郭の小屋として使用されていました…

    南櫓だけ撤去された頃の古写真



    再移築直前の北櫓と南櫓
    強引に接続され1つの建物にされてます…


    更に戦時中には目黒雅叙園に売られそうになりましたが上田市民の尽力で
    買取られ昭和24年に元あった上田城へと再移築されました。
    が、遊郭として使用されていた為か梁や屋台骨といった基本的な骨組みは兎も角、
    明らかに階段、2階板間等が改造された形跡があり修復されているのが伺えます。

    南櫓内部
    明らかに階段部分と裏側が見える2階板間だけ材木が新しい…


    階段上部分


    これも邪推ですが上の古写真を見ると分かるように
    強引に1つの建物に連結されて使用されていて不要な
    階段部分を削って大部屋の様に使用していたのかもしれません。

    梁等の骨組みは往時のままの様です。


    とは言え、紆余曲折を経ながらもこうして2つの櫓が
    空襲にも合わず奇跡的にも残っていた事を考えると
    遊郭になっていた事など些事に過ぎないかと思います。
    (因みに福岡城では城そのものは空襲の被害を免れたものの
    皮肉にも市内の黒田別邸に移築されていた東櫓と西櫓が焼失しており、
    一歩間違えればこの北櫓と南櫓も同様になっていたかもしれません)

    新幹線が止まるとは言え城全体の残存度や遺構建築物も今一つな城ですが
    近くに有る小諸城や松本城とセットで訪れて見ると十分楽しめるかと思います。

    これで今回の城巡りは終わりですが願わくば年末までに
    もう1城くらい紹介できたら良いなと思っています。
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