• 「陽の翳る街(仁木悦子著)」3/3

    2020-12-01 19:002時間前


    ・風の荒れる街
     悠子と拓は、ニューワールド探偵社(著者の別の作品・探偵三影潤のシリーズに登場する探偵事務所である)の佐々木という男にアポを取り付ける。佐々木は迷惑そうにしながらも、二人が堀尾未亡人の依頼で動いているのだとほのめかすと仕方ないかという感じで口を開く。
     佐々木は夏葉ミサヨの夫だった男と同棲していたという飲み屋の女と会っており、由利という名字と店の場所を教えてくれる。
     二人は浦和駅のそばにある小百合という店を訪ね、由利マチ子という60歳近そうな女主人に話を聞くことができる。マチ子は二人がミツヨの事件に遭遇したと聞いて話をする気になった様子。
     ミツヨの夫だった利造は付近すると必死で妻のミツヨの行方を捜したが見つからず、それでもミツヨの生存を信じて死亡届や失踪宣告の手続きを取らなかったという。つまり戸籍上は既婚者で通した。そのため店の客だった利造がポツリポツリと妻の事を話すうちに同情し、当時はマチ子もまだ若くて伯母の店を手伝っていたのだが いつしか同棲するようになったのだという。だから結婚はできなかったがそれでもいいと思っていたという。
     利造は竹細工が得意で、土産物屋や貿易会社にも品物をおろしていたというのだが、ここで意外な名前が出て来る。彼を貿易会社の上司に紹介したのは、近所に住んでいた篠江という娘だったというのだが、どうもこれは大津スエと名乗っていたミツヨが働いていて一家三人が殺された川崎家の夫人・篠江と同一人物らしい。マチ子はそうそう、川崎というお金持ちに見初められて嫁に行き、それからは付き合いが無くなったと話すので間違いなさそうだ。利造が病気と聞いて見舞いに来てくれたことがあるが、ちょうど利造が息を引き取ったタイミングだったという。葬儀にも通夜にも用事で出れないが最後に顔を見れて良かったと帰ったという。
     まだ十代だった篠江の写真を借りて二人は引きあげる。もう一つ収穫がある。利造は2枚の写真と、戦地から妻に宛てて出した手紙を2通、大切に持っていたが、マチ子はこれをお棺に一緒に入れてやろうとしていたところ、紛失したのだという。前後関係から篠江が持って行ったように思える。これがいつミツヨに渡ったのか。同じものが二組あったとも思えない。
     ミツヨが持っていたものと同じ写真と手紙が、この時点までは利造の手元にあったことになる利造が死んだのは、篠江が未亡人となった翌年だった。

     浩平は中町夫人の家を訪ねている。彼の書店の上客だった夫人は何者かに襲われ、その時に訪ねて行った浩平に不可解な口止めをして以来店を避けるようになっていたが、その後また誰かに襲われたらしく今度は意識不明になっている。留守番をしていた夫人の妹の娘だという姪から事情を聞くのだが、彼女が大怪我をしていた夫人の発見者だという。浩平は少し踏み込んで、夫人が以前にも誰かに殴られて倒れていたのに彼に口止めしていたこと、近所の米屋やクリーニング屋の話からその直前に若い男性がこの家に滞在していたように思われることを伝えると、姪はおそらく従兄だろうと話す。
     当時二人組の男が青山の宝石店を襲ったことがあった。その一人が従兄で、伯母は彼をかくまいどこかに逃がした。だがもう一人が従兄を探しに来て夫人を襲ったらしいと思われる。
     姪の話では、従兄は三十を過ぎてもぶらぶらしている一族の鼻つまみなのだが、夫人はこの従兄に甘いのだという。もしかしたらこの従兄が盗んだ金を独り占めにして逃げたので仲間に追われ、その仲間が行き先を言えと伯母を殴ったのではないかと姪は言い出す。
     何故そんなふうに思うんですか?と浩平が聞くと、姪は箪笥の中に八百万円が隠してあったんです、と声をふるわせる。

     警察に届けた方がいいでしょうかという彼女に、それはご両親と相談して決めてください、ただ私の知っていることでしたらいくらでも証言しますと約束して浩平は引きあげる。その際以前乱丁があったので交換しますと約束したままになっていた本があったので渡してもらう。

     浩平は堀尾未亡人に電話を入れて、堀尾氏が左利きであったことを確かめる。また、堀尾氏が以前ミツヨを無理やり遠方に使いに出したことがあったのだが、その時の様子を聞いてみる。その時は堀尾氏の従妹が遊びに来たのだという。
     浩平は推理する。堀尾のダイイングメッセージと思われた「恵司」という文字は、右手で書いたような位置にあった。彼が左利きと知らない犯人の工作だったのではないか。
     堀尾は中堂正則だった。中堂の従姉ということは、殺された川崎ヨシと血のつながりがある。つまり、川崎家を訪問して大津スエに会ったことがあるかもしれない。スエとミツヨを同一人物と従姉に知られたくないから無理やり使いに出したのではないか。

     このことに間違いないという気がするが、全体像はわからない。有明留美子がどこで関係してくるのかもわからない。中町夫人から回収してきた乱丁本をチェックしなくてはと手に取ると、ページの間から紙片が落ちる。何とそれは殺された人物が残したメモだった。
     そこに悠子と拓がやって来る。二人の調査結果と浩平の見聞きしたことを合わせると、真相が見えてきたように思える。二人は由利マチ子と別れた後、青梅の春光園にも寄ってきている。そこで重大な事実が明らかになっている。消息不明となっていた篠江は、春光園の施設長夫人・上代寛子だったのだ。

    ・愛の灯る街
     春光園にはベテラン職員というものがおらず、10年前を知る者は施設長夫妻しかいない様子だったが、知恵おくれの入居者が現在の施設長夫人と、由利マチ子から借りてきた十代の頃の篠江の写真が同一人物だと見抜く。夫人は整形したらしく、目が大きくなり鼻筋も通っているのだが、知恵おくれ故にそのようなものに惑わされないのだと思われる。言われれば顔の輪郭や瞳の色などはそっくりだ。
     浩平は悠子と拓にこのことを聞き、自分の発見を告げる。中松夫人の落丁本に挟まれていたメモは、大津スエが書き残したものだった。この中にはスエが川崎家の三人を殺した犯人を目撃していたことを最近になって思い出したこと、そのことを施設の寛子先生に相談したところ刑事を紹介してもらったこと、明日その刑事さんに呼び出されているので話をしに行くことが書かれている。
     中松夫人は夏葉ミサヨの遺品として組み紐をもらっていた。組み紐仲間ではなかったのだが国文科を出ていて、古典文学の講演会をきっかけに面識があったので遺品ももらったらしい。浩平はおそらくスエが自分の日記を万一を思ってこの帯留めに隠しておいたのが夫人の手に渡り、甥が強盗をして転がり込んできたため、甥の不始末を埋めようと甥が共犯者から奪った800万を用意するために寛子を脅し、首尾よく金を手に入れて自宅に戻ったところを襲われたのだろうという。犯人は金を取り返すつもりだったがそこに姪が訪ねて来たため逃げ、その後は警察が来たり姪が留守番をしたりで取り戻す機会を失ったのだと思われる。

     浩平は二人を連れて六ツ井家を訪ねる。ここの老婦人はミサヨが一番親しくしていた相手だった。まだ何か話していないことがあるような気がする。 
     老婦人は、組み紐仲間の旅行でミサヨと一緒に犯罪の現場を目撃していた。牛乳受けのジュースに毒を混入する男をそれと知らずに目撃していたのだ。その後毒を使った殺人事件が報道され、二人は喋れば犯人が殺しに来るのではと怯えて黙っていたのだった。
     そしてこの光景は、本当に記憶を失っていたらしいスエが目撃した川崎家の毒殺の手口と同じ。同じような光景を見たことがきっかけで記憶が蘇った彼女は、川崎家の三人を毒殺した犯人も思い出し、これを寛子に相談した結果殺されたということになる。もしかしたら犯人は堀尾だったのかもしれないと浩平は思うが証拠はない。

     久々に三人でモザイクの会として活動した三人はもう一人のメンバーである留美子を訪ねることにする。もうわだかまりは無くしたい。浩平は堀尾の殺害現場に行き合ったこと、その時門のそばで留美子のブローチを拾ったことを二人に話す。悠子は彼女が犯人のわけないじゃない、これから行って本人に確かめましょうと浩平の背中を押す。

     久々に会った四人。悠子は夏葉ミサヨを殺した犯人がわかった、とまず留美子に告げ、浩平が春光園の上代寛子の本名は川崎篠江だということも告げる。
     彼らは自分たちの推理を留美子に話す。大津スエは川崎家の三人が殺されてるのを目撃したショックでおかしくなり、記憶を失って保護されて大田嶺子となる。それから夏葉ミサヨという名前を証拠のハガキや写真を渡されて名乗るようになり、堀尾家に引き取られた。 
     だが記憶が戻り、川崎家の三人を毒殺した犯人を目撃していたことも思い出したことから殺されたのだった。
     留美子はその犯人のことを聞いて落涙する。彼女が偽名まで使い、仲間にも内緒で行動していたのは当時一時的に犯人と疑われて逮捕され、証拠不十分で釈放直後に死亡した田丸留男が本当に犯人ではないのかを調べるためだったという。
     田丸は留美子の父親だったのだ。酒乱気味で母とは留美子が七歳の時に離婚したのだったが、彼女には優しい父親だったという。
     留美子は独自の調査で堀尾が中堂だったと知り、彼にアポをとって話を聞きに行ったところ殺されていたのだという。

     わだかまりが無くなった四人は、この出来事の真相と思われるものを推理して組み立てる。
    ・誰が大津スエを殺したのか。彼女が言い残したケージとは誰のことだったのか。
    ・誰が堀尾真佐也こと中堂正則を殺したのか。その動機は。
    ・誰が二十年ほど前に川崎家の三人を殺したのか。その動機は。
     
     四人は相談してこの推理を警察に話すことにする。警察は三つの殺人事件の犯人を逮捕した。真相はほぼモザイクの会の推理通りだった。
     中松夫人は意識を取り戻して順調に回復しているが、横浜の姪に引き取られることになっている。浩平は上客を一人失うことになった。夫人が恐喝をしてまで守ろうとした甥も、その共犯者も逮捕された。甥は悪質なサラ金業者に追われていると夫人には話していたらしい。 
     六ツ井老婦人がミサヨと一緒に偶然目撃した毒入りジュース事件の犯人も、老婦人の証言がもとになって逮捕された。

     これまでは男女間のことは無かったモザイクの会だが、この事件をきっかけに浩平と留美子の距離はぐっと縮まり、浩平は求愛したらしい。留美子はそのまま二カ月以上かかるという取材旅行に出かけてしまったが、悠子はおそらく二人は交際することになるだろうと思っている。自分は失恋だが仕方ない。拓は自分にチャンスが来たと思ってるみたいだが、私はお店を手作りケーキを出すしゃれた喫茶店にするためにがんばるからダメよ、と思っている。

     以上で終わり。ミステリだけどちょっと青春小説でもあるような。商店街の描写がちょっと懐かしい感じで個人的には好き。
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  • 「ロケットガール(野尻抱介著)」3巻 私と月につきあって 第五章

    2020-11-30 19:00


    ・第五章 月は東に 地球は西に
     月へ行くには、途中でヴァン・アレン帯を通過しなければならない。ここは放射線が強い領域で、アポロの時は特に対策もとられなかったが未婚の少女を月に送るとあればそういうわけにはいかない。
     そこでアリアンは一号機の推進段内部にシェルターと呼ばれるスペースを設けた。ここは液体燃料で放射線から保護されている。少なくとも往路では総被爆量を軽減できる。四人はコントロールを地上に任せ、このシェルターに避難する。だが直径90センチ、高さ1.5メートルのドラム缶に4人を詰め込むようなもの。 
     ここでゆかりはソランジュと顔を超接近させた状態で耐えることに。しかもソランジュはハードシェル・スーツを着たままだ。ヘルメットは全員していない。ソランジュはゆかりが汗臭いと傷付くようなことを言う。スキンタイトスーツは内側から外側に汗を通すのでこれは仕方ない。でも四人で入ってしまうともう姿勢も変えられない。二時間以上ソランジュと顔をそむけあって過ごす。

     アンヌとイヴェットは地上に無事帰還。アリアンの幹部たちはこのガールズの反乱に困惑しつつも対策を協議。ソランジュが船長なので最低限の名目は立つ。もうモジュールが月に行くことを止めるわけには行かないが、自由帰還軌道をとらせれば月着陸は阻止できる。

     ようやく時間が来て全員シェルターの外へ。ソランジュが船長として指示を出す。まずはアースビュー。船を回転させて、窓を地球に向ける。周回軌道を脱出しているので地球は静止して見える。日仏どちらのガールズもこの位置から地球を見るのははじめて。みんなに見せたかったとソランジュがつぶやく。日本のガールズもそれぞれの思いで地球を見つめる。
     
     宇宙船は日照が船体に均等に当たるように、バーベキュー・ロールと呼ばれる緩慢な回転をしながら飛行する。低軌道を離れたので通信もDNS(ディープ・スペース・ネットワーク)に切り替える。地上にシェルター退避、アースビューの二つのミッションを終了したことを伝えたソランジュは、地球から軌道修正データを受け取ると、ゆかりとマツリの訓練スケジュールを作ってほしいと要請する。
     月軌道まではソランジュとゆかりをブルー、茜とマツリをレッドとして二交代制をとることに。一日16時間活動して8時間は両シフトが重なる。さっそくレッドは睡眠のためシェルターへ。だが月着陸機と月面活動の手順書を精読しようとしたゆかりは困惑する。フランス語なのだ。茜が参加する月周回軌道分は英語版が用意されたが、日本側が参加予定の無い分はフランス語版しかない。ソランジュは手順書に猛然と英語訳を書きこみはじめる。ゆかりはこうしたことには手を抜かず熱心なソランジュを、茜そっくりだと思う。
     
     レッドチームが起床してきて両シフトの重複時間帯に。茜に船をまかせてソランジュとゆかりは船外に出る。既に地球は夏みかんサイズ。ポレール(調べたら北極星という意味らしい)と呼ばれる月着陸機を引き出し、実機を使っての訓練を行う。ポレールは魔女のホウキのようにも蜘蛛の死骸のようにも見える。
     構造は平たい八角形の箱から四方に足が伸び、箱の底部に二基一組のメインエンジン。
    箱の上には球形のタンクが二つ。タンクの間に簡単なサドルがあって、背中合わせに座る。二人の背中に挟まれるように一本の太いマストが頭上に伸びる。マスト先端にパラボラアンテナ。搭乗者を保護する、ロールバーのようなフレームもある。アームレストの先に操縦桿が左右一つずつ。液晶ディスプレイ1枚とスイッチ、パイロットが数個のシンプルな計器盤。 
     ゆかりの席にもソランジュの席にも同じ操縦装置があるが、ソランジュが操縦を受け持ちゆかりはサポートに徹することになっている。コンピュータまかせの自動操縦からいつでも手動に切り替えられる。

     ソランジュはゆかりにまず通信装置からパラボラアンテナの操作を教わる。通信トラブルが発生しても月面に降りるか、互いの意志を確認する。どちらもGOだ。 
     姿勢制御、スピン、弾道逸脱、異常燃焼、照明弾の不発など様々な状況を想定したトレーニングを行う。終了して船内に戻るが、ついでに食料など消耗品を船内に運ぶ。エアロックが無いので出入りの旅に空気を宇宙に捨てることになり、出入り回数にも制限がある。

     地上から軌道修正プログラムが送られてくるが、軌道をチェックした茜が、この軌道だと最初の予定とわずかにずれていることに気付く。ここでは自由帰還起動と呼ばれる月の裏をまわって地球に舞い戻る軌道から、ハイブリッド軌道という月周回軌道に移行するよう軌道修正するのだが、このままではハイブリッド軌道に移行しないと思われる。おそらく地上側の意志で、もう手遅れになったところで連絡してきて月着陸をあきらめさせるつもりなのだろう。

     ソランジュはコンピュータを地球に乗っ取られないようスタンドアロン・モードにし、ハイブリッド軌道に移行する軌道修正プログラムを作るよう茜に指示。ソランジュは茜の事は最初から信頼している様子。軌道修正の噴射を行う。
     この噴射はテレメトリを通じて地上に感知され、月飛行モジュールがハイブリッド軌道に移行したことがわかる。地上はこれを知るとテストは合格だ、彼女たちを月に行かせてやれ、と全力でサポートする体制に入る。

     ここまでで打ち上げから約30時間。全員宇宙服は着たきり。スキンタイト宇宙服はまだしもハードシェル・スーツは長時間使用に向いていない。あくまでも船外作業用の服で、宇宙船内では脱いでボディスーツで過ごすのが本来の使い方。ゆかりにそろそろ脱いだら?と言われてソランジュもそうしようかしら、と金具を外す。上半身と腕を宇宙服から抜く。だが脚が抜けない。手伝おうとゆかりが引っ張ると、ソランジュは悲鳴を上げる。
     ゆかりを接近するオービターからかばおうと、イヴェットとソランジュがハードシェル・スーツでかばってくれたが、イヴェットのスーツは座屈して、中の腕は骨折した。シェルは凹んでもすぐ復旧して割れないのだが、中の人体はそうはいかない。凹めば折れる。
     イヴェットの腕に起きたのと同じことが、ソランジュの足にも起きていたのだ。そしてソランジュはイヴェットを宇宙で骨折を放置しては駄目だと地球に返しながら、自分は骨折を黙っていた。幸いシェルがギプスのような役割をしていて、耐えられない痛みでは無いという。それでもソランジュは月に行きたかったのだ。月着陸機の操縦は手がメインで、足は突っ張れれば問題ない。
     ソランジュはいずれ話すつもりだったと謝罪する。月に着くまでに自然に回復することに掛けたのだが裏目に出たのだ。
     だがゆかりは怒らない。ソランジュがどれだけ月に行きたがっているか、それだけが重要なのだ。ソランジュとは今一つ心がこれまで通わなかった。でももうわかった。そこまで行きたいなら絶対月に連れて行く。一緒に行こう、這ってでも行こうと手を差し伸べる。
  • 「陽の翳る街(仁木悦子著)」2/3

    2020-11-29 19:00


    ・雨の降る街
     モザイクの会が開かれる。今回は浩平の家であるスズヤ書店の二階の部屋が会場。会で出している「モザイク」という雑誌の編集会議が主題だが、それとは別に内密の話がある、と前もって伝えてある。
     浩平は殺された夏場ミサヨと昔浩平の隣人だった大津スエが同一人物ではないかという推理を述べる。だがどちらが偽名なのか。夏場ミサヨは夫からのハガキを持っていた。だが大野スエも浩平の記憶だと堂々と暮らしていて、記憶喪失とかを感じさせるところは感じなかった。
     話しているうちに彼女のもう一つの名前、大田嶺子について発見がある。これは記憶喪失で発見された大田区の嶺町にちなんで行政側がつけたのではというもの。それに違いないと身を乗り出す一同だが一つ辻褄が合わないことがある。彼女が戦災で記憶を失ったのであれば、当時はまだ大田区は無かったのだ。当時は大森区と蒲田区。それが合併して大田区になったのは戦後のことだ。
     仮にミサヨとスエが同一人物だとすると、夏葉ミサヨは空襲にあって何年かの空白のあと国立に行き浩平の隣人大津スエになる。どの時点で記憶を失ったのかわからないがその後大田区で保護されて大田嶺子と行政側に名付けられ、あちこちをたらいまわしにされて精神病院で働くようになり、そこが解散となって春光園に行き、そこで彼女を探していた堀尾氏に発見されて引き取られたということになる。大田嶺子であった間も夫からのハガキと写真は持っており、自分が夏葉ミサヨだということは承知していたことになる。それなのに何故本名を名乗らず係累を探そうともしなかったのか。
     浩平には子供の頃の記憶に残る大津スエが悪人とは思えないし、警察に相談することが彼女のプライバシーを侵すのも抵抗を感じる。もう少しモザイクの会で調べようということになる。とりあえず川崎の会社の顧問弁護士て、遺産相続を担当した人物に話を聞くことにする。これには浩平と悠子が出かける。

     弁護士はもう息子に事務所を譲って悠々自適。古くからの顧客の相談に応じる程度の状態だったが70歳でもまだまだ言葉も記憶もはっきりしている。葬儀の時に会葬者一同で撮った写真が直前にできてきたのでこれも持っていく。
     弁護士は浩平と悠子の前にも同じ事件について話を聞きに来た女性がいたが知り合いか?と逆に聞いてくる。三十そこそこの女性で登戸明子(のぼりどあきこ)と名乗ったらしい。だが心当たりは無い。その女性は当初犯人と疑われた田丸という男について聞きたがったという。
     弁護士は川崎氏の会社の方の弁護士だったので大津スエと面識は無かったそうだが、川崎氏の奥さんである篠江については好印象だったという。もう一人の相続人である中堂正則はちょっと軽薄でキザな印象を持ったという。だがそこは仕事なのでなるべく公平になるよう遺産を分け、屋敷は篠江、会社は中堂という感じで話をまとめた。
     だが篠江は家族が殺された屋敷には住みたくないとこれを売り払い、どこかへ行ってしまった。中堂も工場経営などやりたくないというので税金対策でしばらく共同経営した上で工場を売ったという。その工場は今もあって地元ではちょっと知られた企業になっているという。
     弁護士から篠江の入院先だった病院や中堂の事件当時の足取りなどを聞くことはできたが、大津スエとは一度も会ったことがないとのことで目ぼしい情報は無い。
     ふと浩平は受け取ったばかりの葬儀の写真を見せると、意外なことに弁護士はその写真の中に登戸明子と中堂正則がいるという。それは有明留美子と堀尾真佐也だった。

    ・陽の沈む街
     モザイク会の仲間である留美子が隠れて何かを調べている、ということは浩平にショックを与えたようで、悠子にも伝搬する。引き続き弁護士に教わった、川崎氏の工場を引き継いだ経営者や、篠江が当時入院していた病院関係者にも二人で聞き込みに行くが浩平はどこか上の空で、新たな収穫は無い。中堂正則が堀尾真佐也で間違いないことは裏付けられた。
     浩平は別れ際にこのことは秘密にしてほしい、と悠子に頼む。留美子が偽名まで使って何かを調べて言うことと、中堂=堀尾ということを伏せておいてほしいというのだ。
     苦悩する様子の浩平は、実は留美子を好きだと悠子は知っている。何故なら悠子は浩平を好きだから。
     浩平は一人で三日ほど考えた末に、堀尾に直接事情を聞いてみることにする。悠子や拓、留美子にも相談せずに一人で堀尾邸をアポなし訪問するが、インタホンに応答が無い。そしてドアに鍵がかかっていない。嫌な予感。
     背中にナイフを突き立てられた堀尾が死んでいる。妻子の姿は無い。堀尾の右腕の脇に置かれたクッションの表面に、血で「恵司」と書いてある。ケージ。ミサヨの言い残した人物だろうか。堀尾は心当たりが無いと言っていたのだが。浩平は警察には届けずにその場を立ち去ることにする。だが門のそばでブローチを拾う。見覚えのあるブローチを。留美子のものだった。
     堀尾は化粧品会社の社長で地元の有名人でもあり、事件は派手に報道される。以前のモザイクの会であれば犯人は誰か、みたいに集まって議論するところだが、留美子は仕事を口実に仲間を避けているし、浩平も悠子を避けている。だが拓は悠子の店にやってきて、ちょっと話したいことがあると言う。悠子は商店街の中は知り合いだらけ。そのため二駅離れた喫茶店で話すことにする。拓の話というのは、彼が事件直後にたまたま堀尾邸の近くの友人を訪ねていて、ただならぬ表情の浩平が堀尾邸の方からやって来るのを見たというものだった。時間も事件発生時刻と思われる時間の少し後。
     浩平が犯人と疑うわけでは無いが、何かおかしい、と拓は言う。悠子はこれはもう仕方ない、と浩平に口止めされていた、留美子の行動を拓に話す。浩平はそれを知ってから様子がおかしいのだと。二人は留美子も浩平も何かわからないけど悩んでいる、二人で事件について調べれば助けになるかもしれないと決意する。二人は出発点に戻って、堀尾が夏葉ミサヨを探し出すために探偵社を雇ったことを思い出し、その探偵に会ってみることにする。

     一方で浩平は堀尾家に焼香に訪れている。堀尾夫人は恵司という名前には心当たりが無いと言う。浩平は思い切ってご主人は改名されたことがありましたか、と聞いてみると夫人はあっさりよくご存じね、昔は中堂正則だったのよ、私のところに婿入りして名字が代わり、その時下の名前も事情があって変えたのだという。浩平は堀尾夫人にミサヨと主人を殺した犯人を見つけてほしいと頼まれるような格好になるが、できないとも言えず気休めを言って引きあげる。
     偶然ミサヨの組み紐仲間だった六ツ井という老女に会い、ある事実を知る。