「アイ・アムIam.(菅浩江著)」メモ
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「アイ・アムIam.(菅浩江著)」メモ

2016-07-02 19:00
    ・「アイボ」シリーズから撤退したソニーが、再びロボットというかAIというかの開発に復帰するというニュースを見た。
    http://www.asahi.com/articles/ASJ6Y54ZKJ6YULFA01K.html

    撤退したのにはそれなりに理由があったのだろうし、今度もどこまで続けられるのか疑い深くなってしまっているのだが、基本的にはいいニュースと受け止めたい。

     以前、ソニーの元技術者さんが集まって、ソニーが修理できなくなった、例えばアイボのような製品を修理している会社を紹介したことがある。こうしたところのお客さんにも福音となるだろうか。
    http://ch.nicovideo.jp/metabou/blomaga/ar701255

     囲碁の名人を破ったり、何かとニュースを聞くようになった人工知能・AIだが、SFでは昔からおなじみのテーマ。「アイ・アムIam.」もそうした系譜に連なる作品のひとつ。


     近未来。ホスピスを備え、外科や小児科棟も併設した病院に、新人がやってくる。彼女は介護を受け持つ。彼女と言ったが人間ではなく、人工知能である。外観も人間とはいいがたく、
    クリーム色のボディはほぼ円柱形で、金属の上に肌触りのいい緩衝材を貼ったものだ。ボディにはさまざまな看護用品を収納した薄い箱がついていて、ところどころ石組みの突き出した塔のようにも見える。
     という胴体に人間そっくりの特殊ラバーの腕、脚はなくボール状のコマが三つつき、ボディの上部に隆起した透明な鉢状の部分にホログラフで人間の顔が浮かび上がる、というしろもの。
     ドラム罐に入った人間が顔と腕を突き出しているのにそっくりだった。
     とある。浮かび上がるホログラフィは、若い女性の顔だというが、本人?はあまりその容姿に関心は持っていない。実写にしたら、真面目にやればやるほどどこか滑稽になってしまうだろう。ロボコップ2の敵がブラウン管に悪人の顔が映る、みたいなロボットだったような。あれは編集が悪くてちっともおもしろくなかった。

     彼女は自意識と、データベースから送られてくるらしい介護や医療に関する知識を持っている。だが自分が何者かはわからない。起動時に立ち会った院長と総看護士長と会話するうちに、自分がこの病院で介護全般を補助するために造られた?送られた?購入された?らしいとわかるが、あまり自分の事は考えず、与えられた仕事を淡々とこなしていく。
     まずは外科病棟、次に小児病棟、と研修を兼ねてかひと月ずつをすごした後に、彼女はホスピス棟に最終配属される。この病院に来た三体目のロボットらしく、彼女はミキと名付けられる。前任の二人目はジローと呼ばれていたらしい。一代目はよくわからない。

     彼女は人間の患者、看護婦、看護士(この作品ではそういう表記になっている)や医師とかかわっていくが、基本的に周囲からは便利な道具扱いをされる。周囲の会話から、彼女は院長が試作した三体目のロボットであること、院長と総看護士長は夫婦であること、などを知る。
     彼女は当然周囲からはロボットとして扱われるが、時として口癖のように
     「私はボディは機械ですけど、ロボットでは・・・」と言いそうになる。

     外科にも小児科にも、自分の意志では身体が動かせない患者もいる。
     全身麻痺で目にも障害があり、ゴーグルとカメラで視力を補っている患者は、入浴時にしか機械を外さない。彼はその時彼女に裸眼で空を見たい、と機械の合成音で呼びかける。
     力のある彼女が介護して、はじめて彼は裸眼で空を見ることが出来た。
     7歳でありながら癌で全身が動かず、会話もできない女の子もいる。彼女の母の諦念と怒りに、彼女は我が事のような共感を覚える。

     院長夫妻は時々彼女に様子はどうだ、困ったことはないか、と問いかける。
     彼女は人間の看護婦には聞きにくいことを、自分なら大丈夫だろう、と聞かれることなどを
    話すが、さして深刻な問題ではない。夫妻は、「あなたのような人が、社会の中で自然にくらす」ことを願っている、と言う。

     前任者のジローは、小児病棟で人気者だったが、ある日突然調子がおかしくなってしまったという。そのジローに一番なついていたという男の子は、ミキに話しかける。
     「お姉さんも 中身はサルなの?」
     
     彼女は考える。自分はロボットなのか。
     思いやりの心を持たない人間は、人間とは言えないのか。
     痴呆症で人間としての意思疎通ができなくなった患者は、人間なのか。
     新生児は人間なのか。精神病患者は人間なのか。
     機械の助けが無ければ生きられない、自分の意志も伝えられない患者は人間なのか。
     
     そんな患者の家族は、人間としての喜びを持っているのか。
     自分ひとりでは生きられない患者と家族。どちらが先に死んだほうが幸せなのか。
     絶望しか持たない人間は、人間なのか。

     自分と人間の違いは何なのか。そしてある日、彼女は自分自身を知ることになる。

     とそんな感じ。彼女が何なのかは、読めばすぐにわかると思います。
     そういうわけでちょっとAIものとは微妙に違うのだけど、AIを普通の人間がどう
    受け入れるか、受け入れていけばよいか、という視点は共通だろう。


    今日、今年初めて蝉の声を聞いた(アブラゼミ)。7月だもんな。
     昨日の半夏生はタコメシと蛸のカルパッチョというのがスーパーに売ってたのでそれで。


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