「定年後(加藤仁著)」メモ
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「定年後(加藤仁著)」メモ

2016-09-11 19:00
    ・著者の加藤仁(ひとし)氏は、若いときから取材テーマをサラリーマンの定年、あるいは
    早期退職に絞り、膨大なインタビューを元にして、いわゆる第二の人生についての実例や考察、提案などを単行本にまとめていた。一時期は新聞や週刊誌にも連載を持ち、よく名前を見かける人だった。
     だがご本人は2009年に62歳(63歳とも)で病気のため亡くなったようだ。氏の書いた多くの本は絶版となり、今は執筆当時とはサラリーマン事情も大きく異なるので新たな読み手を獲得するのも難しいだろう。今ご健在ならば、どのような切り口で現在のサラリーマン事情を書いてくれただろうかと思う。


     「定年後」は2007年に出版された、氏の定年ものとしては後期に属するもので、それまでの著書の集大成みたいになっている。すでに定年(早期退職を含む)関係の取材は25年に及び、直接インタビューした人は3000人以上だという。さらに著者はインタービューした相手とはその後も年賀状などを交わし、時折りその後日談などもトレースしている。

     著者はまえがきで夏目漱石の「私の個人主義」という講演に大きく影響を受けたと書いている。この講演については青空文庫で読める。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

    この講演で、当時47歳の漱石は自分が何をすればいいか、という懊悩に長く苦しめられ、それまでは他人が何を書いたか、みたいなことを気にして、その他人の意見から出られなかったのが原因だと悟り、以降は「自己本位」というキーワードを作って、これまで全く読まなかった科学や哲学などの本を読み、思索を深めることによって自分のすすむべき道を見出したという経験を語っている。著者が他人があまり取り上げない、無名のサラリーマンの定年を自分のライフワークにしたのもこの講演を知っての事だという。
     
     私も他人事ではないのでその手の本はいくつか読んでいるが、大きく分けて、精神論に近いような感じで、定年後の生きがいを見つけましょう、趣味とかボランティアとか、みたいな本と、生活基盤の維持に重点を置いて、資産運用などのマネープランのノウハウや健康についての習慣付けなんかを法制度の解説なんかも絡めて紹介したもの、みたいなものの二通りがあると思う。
     最新の医学知識や年金制度、老人介護制度や施設の状況なんかは毎年のように変るから、その手の解説本は新刊が絶える事はない。

     だが著者の本はそのどちらでもない。大勢の人を取材した経験をもとに、著者が感じるところの人生の成功例と失敗例を多く紹介し、その成功例と失敗例を分けたのは何だろうか、と読み手に感じ取らせるようなスタイルだと思う。これはその取材データがないと書けないし、退職後に夢だったお店を出しました、とかではなくて、5年も10年も追跡しているのでそのチャレンジがすぐに潰えてしまったのか、根を下ろしてゆるぎないものに育ったのか、というデータが著者のもとにはある。

     その著者が思うところの成功例あるいは失敗例が、パパパっといくつも流れるように紹介されていくのだが、成功例で共通しているのは「一点突破」をした人だという。自分なりのこだわりを持って、自分の評価は自分でくだし、自分の人生は自分で仕切る、という心構えを持った人だとも。
     こうした人たちは、サラリーマン時代は人生のリハーサルで、退職後の人生が本番だった、というような意味の事をみんな口にするそうだ。成功例の多くは50を過ぎるあたりから定年後の自分に対する投資と、準備をはじめている。

     人生には誤算がつきもので、せっかく準備をしてお店を出したり、店の開店準備をしたりしても経営が思わしくなくてすぐ潰してしまったり、自分自身や奥さんや子供や孫が病気になったりで気力がつきてしまう人もいる。そのまま潰れてしまう人も、甦る人もいる。
     自分で起こした会社を起動に乗せ、60人の社員がいる規模まで成長させながら脳梗塞で倒れて半身不随となり、残りの人生はできるだけ妻に負担をかけないように日々楽しく生きる「女房孝行」そのものが生きがい、という例も紹介されている。

     定年後に限ったことではないが、著者は 成功例に共通するものとして「企画力」と「修正力」をあげている。いざはじめてみたが思うようにいかない、思ったほど楽しくない、新しい環境になじめない・・・と計画倒れになる人も多いとの事だが、常に考え直して時には微調整し、時には違う道に転身し、ということを上手にできる人は、いつかぴったりした定年後の生活にたどりついている。

     「男のロマン」を口にする人も多いようで、在職中にしていたのと同じような仕事であっても、それがスケールとしてははるかに小さい仕事であっても、組織の一員としてではなく、全てを自己責任で行うようになると、満足感は違うらしい。すべてを自分で仕切るわけだから。

     「好きなこと」をやるのがいい、と言われても、「好きなこと」がわからないという人も多いという。長年自分を押し殺して、自由な発想を持つことが許されないような定型業務ばかりを続けてきた人には多いらしい。著者は講演会などでどうやれば好きなことが見つかるでしょう、と問われた時には、十代の頃あこがれていたことに挑んでは、と答えているという。
     それも思い当たらないなら、自分自身とあくなき対話を重ねるしかないとも。

     登場する人たちには、他の人に無い特技や技術を持っている人もいるが、いわゆる事務系の管理職になると、自分の持っている能力というのが会社を離れても通用するものなのか、自信が持てない人もいる。そういう人も、組織を離れてなんらかのチャレンジをすることで自信をつけていく。一方では失敗にめげて、自分の殻に閉じこもった余生を送る人も少なくない様子。また、自信をつけるための一つの方法として、資格を取得するのもありかと著者は書いている。資格までいかなくても、技術講習の修了証書や養成講座の受講が背中を押してくれる例もあるようだ。誇り高く活動したいという思いは誰にでもある。
     対象になるのは企業の規模はともかく、一つの会社に長く勤めた人が多いため、再就職を考える人はどうしても正社員を望む人が多いが、スポット就労で生きがいを感じている人も多数紹介されている。収入は激減するので、それなりのたくわえなり、年金なりで経済基盤がしっかりしている人に限られるのだろうけど。

     夫婦で離島や農村漁村などに移住する例も紹介されている。著者によれば定着する人は5割いないとのことで、なかなか厳しいみたいだが、上手く行った人の満足度は高いようだ。海外移住にも同じような傾向がある様子。在職中に地方勤務や海外駐在の経験のある人にはさほど難しい決断ではないらしい。私はイヤだが。

     こうした人たちは自分の体力、気力が自分で気付かないうちに衰えて、周囲に老害を与えていないかということも気にしていて、柔道の寒稽古に参加したり、毎年富士山に登ったり、献血を続けたりとそれぞれのやり方で自分をチェックもしている。

     再就職ではなく起業を選ぶ人たちは、大成功してやろう、というよりも自分のコントロール出来る範囲で自分の好きなことをしよう、という傾向が強いようにも書いている。

     模型帆船の輸入会社を一人で興したり、口コミで集まる程度の顧客相手に、在宅でほどほどの収入を得ながら耳かきの注文制作や、七味唐辛子のブレンドなどを行っている人もいる。一人で出来る程度の規模の商売が、こうした人には合っているようだ。失敗しても傷が大きくならないうちに撤退できる規模でもあるだろう。
     インターネットを利用した在宅ワークが必ずしも成功するものだとは思わないが、ここで紹介されている人たちは年金で食べていけるけどそれだけでは物足りない、みたいな人たちなので今とはちょっと時代も違う。この時代は個人ではじめてもインターネット上ですぐ話題になったりもしたし、今みたいに検索エンジンに支配されてもいなかったのだろう。

     NPO法人で働く人たちもいるし、農業をはじめる人もいる。収入が目的ではなく、在宅ボランティアをはじめる人もいる。特に視力に障害があったり、リウマチや人工関節などの不自由を抱える人たちは、パソコンとインターネットによってこれまでにできなかったことが可能になりはじめた時期だったようだ。

    著者は「八万時間の財産」というキーワードを使って、定年後の時間を説明する。
     個人差はあろうが、仮に20歳から働き始めて60歳で定年を迎えたとする。
     一日8時間×5日間×50週間働いたとすれば(実際にはもっと多い人が大部分だろうが)
    1年で2000時間働くことになる。これが40年続けば8万時間。この間に家や家族や社会的地位を得ることになる。私は得て無いけど。
     一方、定年後は(実際にはもっと働く人が多いだろうが)睡眠食事入浴その他を除いた
    1日あたりの自由時間を11時間とすれば、80歳まで生きるとして
     11時間×365日×20年=80300 とこちらもほぼ8万時間。これまで働いてきたのと同じくらいの余暇時間があるかもしれないことになる。
     この頃はまだ60歳からすぐに、贅沢をしなければ暮らしていけるだけの年金をもらえる人が大部分だったわけで、今はもうすぐ65歳以上にならないともらえないし、金額も贅沢しないで切り詰めても暮らしていけるかどうかぎりぎり、病気などすればそれも危うい、みたいな感じになってきているので著者が言う 八万時間の余暇がある という主張はちょっと合わなくなっている気もするが、こうした数字で示されると、まだまだあるんだなあ、ともまだそんなにあるのか、とも思う。

     お金はちょっぴり、時間はたっぷりというのが、著者が想定している読者層なので、お金も時間もたっぷりあるとか、お金も時間も全然無いとかの人には参考にならないが、その気になればいろいろな事ができるだけの時間が残されちゃっているのかもしれないのなら、うまく使ったほうがいい。著者もそう思いたい、と書いている。実際には著者には3年に満たない、12000時間程度しか無かったわけだが。年金も5万円くらいなので一生働かないと、と書いていたが。こういうのは医者の不養生とでも言うのだろうか。

     定年を迎え、それまで出来なかった事を、ということで 長期の旅行に出る人は多いようで、それもツアーなどに参加して名所旧跡を見て温泉につかって食事して、というのでは物足りない、プラスアルファで何か旅の目的がほしい、という人が多いらしい。

     デジタル機器の使用説明書などを、時間があるのを幸いにじっくり読み込んで取り扱いに精通している人も多いらしい。今はリタイアした年代でも携帯電話やスマホ、パソコン操作は当たり前だし、ホームページを作れる人もよく見かける。同じ病気や障害を持つ人同士でインターネットで交流している人や、HDDレコーダーのついたテレビで自由に録画やDVD作成をしている人も多い。私の方がわからない。

     絵画や彫刻などをはじめる人も、スポーツをはじめる人もいる。60過ぎからはじめたスポーツで、シニアの部で日本一になった人の例なども紹介されている。
     
     また旅の話に戻って、著者は旅の面白さはその人の独自性だと書く。寝たきりの実母がいるため長期旅行ができなかったある人は、5日間かけて自分が住んでいた世田谷区の区境を歩いたという。鉄道に沿って歩いたり、川に沿って歩いたり、応用はいろいろありそうだ。

     学校に通いなおしたり、語学の勉強にホームステイをしたり、という例もいろいろ紹介されている。84歳から万葉集の講座に通い、これを読み込んで、86歳ではじめて本を書いた人、74歳からハーモニカを習いはじめて81歳で公認指導員になった人、北京で鍼灸の専門学校に通って帰国後鍼灸治療院を開業した人など、いろいろだなと思わせる例がたくさん紹介されている。

     倒れたときにどうするか、というのは共通の不安であり、この頃は介護保険制度もまだ無い時代にすごした人たちに取材しているので、今とは状況も異なるが、こちらは決め手が無い。様々な福祉サービスをよく知って、それを上手く組み合わせる、というのがせいいっぱいのようだ。

     定年後、もしくは早期退職後の第二の人生がうまくいくか、いかないかは伴侶の協力にもかかってくる。紹介されている事例は男性が大部分なので、奥さんの協力ということになるが、ここで著者が当惑した例がいくつか紹介されている。
     ある男性を取材し、ほぼ正確に男性の言った通りを記事に書いた。するとえらい剣幕で奥さんから電話があり、全文取り消して欲しいという。部分的に間違いがあるというのではなく、全文取り消しだという。著者があとから男性から聞かされた事情というのは、男性はそれまでかなり亭主関白で、自分はやりたいことばかりやってきたが、奥さんにはNOばかり言ってきた、という。自分の望みをずっと封じ込められてきた妻からすると、ご主人が好き勝手やってきたことや、活動的な日々を過ごしている事を嬉々として語り、それが肯定的な記事になる事はガマンがならないことだったらしい。
     ある夫婦は、奥さんはアイスクリームが好きだがご主人は奥さんがそれを食べているのを見ると嫌な顔をする。夫の顔をたてて普段はガマンしていたのだと思うが、ある日風邪をひいて寝込んだ奥さんが夫に、帰りにアイスを買ってきて欲しいと頼んだが、夫は忘れた。そして「忘れた」とひと言言っただけで、家の目の前にある店に行ってこようというそぶりも見せなかった。これが離婚の引き金になったという。
     西原理恵子さんが、「女はポイントカード制」と言っていたのはこの事だな。
     著者は妻のたっての望みであれば、なにはさておき夫はYES、と答えねばならない、と
    書いている。私は関係ないけど、奥さんがいる方はご用心を。

     定年を機に「主夫」となった事例も多く紹介されている。自分は定年後、仕事は無い。時間はたっぷりある。奥さんはパートに出ている。料理をし、日曜大工をし、奥さんが体調を崩せば介護をし、となれば必然的に、家の中のことをやるようになっていく。

      一方、夫婦共通の趣味があるにこしたことはないが、無理にそうしようとして険悪になった例もあるという。外出好きの夫が、家に奥さんが引きこもりがちなのが良くないと考え、無理やり海外旅行に連れ出した結果、旅行先で大喧嘩となってしまい、帰国後も元に戻らず、ほとんど口をきかない夫婦になってしまったという。夫婦共通の趣味や楽しみを無理して持とうとしたことが仇となった例を、著者は多数見ているという。別行動している夫婦が必ずしも仲が悪い、ということは無いそうだ。私は関係ないけど、奥さんがいる方はご用心を。

     奥さんの情報網により自分に合った趣味や仕事に出合ったりする例も紹介されている。ご主人の長所も欠点も知りつくしている奥さんなら当然だろう。夫婦で仲良く同じことをやっている例では、先に奥さんがはじめたことにご主人があとから寄り添う、というパターンが多いみたい。共通するのは奥さんの才能を押さえつけない、ということのようだ。逆に夫が妻の才能を見抜いて、その能力を開花させた例も紹介しているがこちらの実例は少ないのかもしれない。私は関係ないけど、奥さんがいる方はご用心を。

     一方で、うまく定年前と定年後を切り替えられない夫の例も紹介されている。自分でもそれがわかっていて、なんとかしようと努力する人もいれば、全面的に奥さんに寄りかかってしまって、自分はテレビに釘付けになってひとり画面にむかって政権批判を繰り返すばかりの人もいるという。この人の奥さんは夫と一緒に過ごすことがストレスになり、必要は無かったが働きに出たそうだ。地域の交流会に出かけては、出会った人の悪口を延々と奥さんに聞かせる人も。こちらは幸い先輩が関連会社に招いてくれたそうで、さもなければ奥さんのポイントカードは満杯になっていたかもしれない。私は関係ないけど、奥さんがいる方はご用心を。

     どんなに仲がよかろうと、あるいは悪かろうと、いつかはどちらかが先に逝く。普通は残されて悲惨なのはご主人のほうなので、どちらからともなく妻無き後の生活が成り立つよう、夫の「自立」訓練をするご夫婦も多いようだ。この訓練が不十分だと、妻に先立たれた夫は無残な老後を過ごすことになる。私は関係ないけど、奥さんがいる方はご用心を。
     逆にお金のこととか夫に任せきりの奥さんが夫に先立たれれば、夫の預金が封鎖されてすぐ生活に困ったり、引き落としができなくなって電話やインターネットが使えなくなったり、ということもあるかもしれない。互いに自分がいなくなっても相手が困らないように、という配慮は必要なんだろう。

     思わぬ夫婦の衝突を防ぐための工夫としては、夫婦の生活空間を分けて、和室Aは夫の領分、和室Bは妻の領分として個々は互いに干渉しない、共用部では協力し合って家事を行う、とか、1階2階を互いの領域とするとか、同じマンションの別々の部屋に住むとか(この夫婦は朝方と夜型で生活時間帯が違う)、夫は田舎、妻は都会、週末は夫が農作物を持って妻のもとへ、など。著者はこれらを「別居」ならぬ「別住」と呼んでいる。当然離婚を前程としたものとは全く違う。これらの例では、どちらかが倒れた時が「別住」の切り上げ時だという。

     コレクションの処理なども気になるところだが、ある人は非常に貴重なものも含み、億の値がつくという貝のコレクションを国立科学博物館に寄付したという。本なんかも寄贈することはできるが、図書館はいずれ処分してしまう。私もさほど価値は無いがいざ探すとなかなか手に入らない類の本は少し持っているが、60を過ぎたら手頃な寄贈先を探してみるつもり。

     定年後に考え直さなければならないのは、夫婦の関係だけではなく、親子の関係もある。
     特に自分が定年を迎えても子供が定職についていなかったり、就職していても突然退職してしまったりすれば、親としては気が気でない。自分の定年を機に、息子と一緒に旅行代理店をはじめたり、居酒屋をはじめたり、という例がいくつか紹介されている。もちろん在職中に父親が「一般旅行業務取扱主任者」の資格を取り、息子はパソコンの技能を磨く、あるいは息子を料理学校に通わせて自分は早期退職し、自宅を居酒屋に改造して父親は接客をする、親子共に退職して地方に移住し、一緒に農業をはじめる、など準備も覚悟も必要だし、ある意味後が無い背水の陣でもある。それでもやるのは子供への愛情ゆえか。

     個性の強い、あるいは我の強い親との距離の取り方は難しい。著者はうまくいっている例として、同じ敷地の別々の棟に親子が暮らし、一週間以上口も聞かないのが当たり前、という家族をあげている。親が息子に声をかけてくれば付き合うし、食事を一緒にと言われれば共に食べるが、息子からは誘わない。だが、息子は毎日のようにさりげなく親の家に出入りして様子をチェックしている。
     一方失敗例としては、息子と同居したものの親の我が強すぎて折り合いが悪くなり、三人の息子の家をたらい回しになったあげく独居に戻った例がある。この人は「世の中けしからん」と繰り返すようになっていたという。子供もつらかったろう。

     高齢でそして一人暮らしになると、「放っておいてほしい」と「さびしい」という相反する気持ちが交錯するものらしい。そうなると二つの居場所が必要になるという。
     私的な場所と公的な場所、と言えば簡単だが、著者によれば「孤独を楽しみ、自分を取り戻す場所」と「自分の姿を他人にさらす場所」だという。サラリーマンだと自宅と職場だろうが、退職者であれば職場に代わるものは地域活動とか趣味のサークルなどになる。社交的な人は自宅を開放して近所の人が集まれる場所にしたりする。その場合でも、他人が踏み込まない自分だけの場所は必要なのだという。来客が集まる居間はきちんとしていても、寝室や書斎は他人を入れない、散らかし放題の部屋だったりするみたい。
     自分を取り戻す部屋というのは退職者でなくても、現役のサラリーマンでも必要なはず。
    男性サラリーマンが欲しいもの、というアンケートで「書斎」がトップだったのを見たような気がする。たいてい子供にいい場所は取られてしまって、ゆっくりできるのはトイレだけ、みたいになっちゃうのが昭和のお父さんだったけど。

     退職してはじめて自分の住み暮らす地域を知り、そこに生きている鳥や植物に興味を持つ人もいれば、史跡や商店街に興味を持つ人もいる、気の赴くまま貪欲に、そこに何があるかを見続けているうちに、その人に合ったものを発見するらしい。

     社会の役に立とうとNPO法人を立ち上げたものの、開店休業状態になってしまうものも多いそうだが、著者によれば「便利屋」を自認するような活動は上手くいくことが多いみたい。
    「何でもやります」と活動しているうちに、メンバーの得手不得手や能力も見え、地域住民が必要としているものもわかってくるからだという。

     人間には溜まり場というものも必要で、学生時代の同級生と毎月1回用がなくても喫茶店に集まるとか、地域の人と福祉センターみたいなところに集まるとか、集まっているうちに一緒に旅行に行こうとか、いろいろ共同作業をするようになっていく例もあり、これは最適な介護予防だろうと著者は書いている。

     こうしたものの成功例として、旧・清水市(現在は静岡市に合併)発祥の「清見潟大学塾」というものを紹介している。これは市民によって運営される市民講座で、誰でも十名以上の受講者を集めれば「市民教授」になれるという。教授は教えるだけではなく受講生の名簿管理や受講料徴収・修了書の発行など雑用一切も行う。行政は場所を貸す程度で、基本的に干渉しない。この本執筆時点で20年以上続いているとのことで、現在は30年近いわけになるが健在のようだ。
     ※現在は「教授」を「講師」に改めているとのこと。
    http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-510/cb/jirei2011_kiyomigata.html
    http://www.kiyomigata.sakura.ne.jp/jouhou/tanjou.html
    http://www.kiyomigata.sakura.ne.jp/jouhou/gaiyou.html

     もう一例、退職者が集まって開設した宅老所「悠々たかとり」についても紹介されている。運営者たちの自宅の畑から野菜を持ち寄るなどして、100円の昼食を提供しているとのこと。
     現在は社会福祉協議会のHPに掲載されているので、事情が違っているのかもしれない。
    http://www.takahama-shakyo.or.jp/2kourei/takurou/top.html

     こうしたものは、はじめるのもたいへんだが、維持するのはもっとたいへん。中心メンバーが年をとるのに伴い、次の世代に運営をうまく引き継いでいく必要がある。

     定年退職すると会社勤めの時のような所属先が無くなるわけだが、遊び心で名刺を作る人も少なくないらしい。元の職場名を示してそこのOBであると添え書きしたり、出身大学名を示してそこの同窓会の幹事であると記したり、現役時代の殻を引きずっているような人もいれば、様々な資格を刷り込む人、肩書きでも資格でもないメッセージを刷り込む人など様々で、このメッセージには「日本百名山挑戦中」「折り紙で楽しみましょう」「一日一万歩」など、忘れがたいものがあったという。

     高齢者自身が作った、高齢者の働きの場としては「おやき村」という例をあげている。
    現在でも活動している様子。
    http://www.ogawanosho.com/index.htm

     現役時代のサラリーマンは、仕事に対する達成感を生きがいとする場合があるが、定年退職後の暮らしにはどのような達成感があるだろうか?という問いに対して、著者はいくつかの例を上げている。三百以上の離島も含め、日本の全海外線を歩いた人、自宅近くの川を源流まで遡り、さらに河口まで下ってその間にある全ての橋を撮影した人、やりようによっては世間相場に振り回されない達成感は持てる。この生きがいの更新は、自分自身でできる、と著者は書いている。

      老人だけが集まる溜まり場は、過去の共有という意味では心やすらぐものがあるかもしれないが、10年か20年もすれば中核メンバーが老いて、自然消滅してしまう。だが、ここに若い人も一緒に集まって、未来をも共有するようになればまた違ったものになる。若い主婦も参加する児童図書館、大学生も参加するNPOなどそうした事例をいくつか紹介したあと、悪い例として一人の男性を紹介している。この人はちょっと依怙地なところがあり、入居したホームでは孤立し、街を歩き回るが仲間はできず、毎日のように新聞に投書するようになったという。その内容はひと言でいえば「世の中けしからん」というもので、こればかりを大量に投稿するもので、一度は掲載されても、二度は無かったという。今ならさしずめツイッターに毎日のように「世の中けしからん」と投稿しているようなものか。
     どんな活動をするにせよ、未来の共有は心がけたい、と著者は書いている。

     終の住処を転々とせざるを得なくなった人たちが少なからずいるという。アパートを建て、その収入で老後は安泰、と安心したところ、住人に問題があってストレスが溜まり、耐え切れずにアパートを売り払って別の土地に転居した人。丘の上の分譲地に終の住処をかまえたが、足腰が弱って丘の上の我が家への行き来が不便になって転居した人。娘夫婦と二世帯住宅とするが、娘がまさかの離婚、さらに再婚。その再婚相手と折り合いが悪く、二世帯住宅を解消。夫婦で海外移住をするが、どちらかが亡くなってさびしくなり帰国。など。国内の田舎に移り住んでも同じ事は言える。何が正しい判断なのか、今暮らすのは終の住処なのか仮の住処なのか、自問自答しながら進むしかないと。

     無病息災ならぬ多病息災というべきか、難病と付き合いつつ毎日を過ごす人もいる。年々身体が動かなくなる難病にかかった女性は、歩行はできなくなったが腕立て伏せは500回できるようになる。動くところをとにかく動かす。ガンを抱えた男性は、毎年前半に検査をして後半に海外旅行に行く。日々人生計画を更新する覚悟だという。

     いたれりつくせりの介護は、その人から生活能力を失わせてしまう場合がある。ラディカル(根源的)介護という言葉があり、認知症の人であっても自発的に身の回りの事をするように仕向け、生活を維持してもらう、というみたいな感じらしい。半身不随の人が、スキューバダイビングを習い、若者なら3日で取れるライセンスを半年がかりで取得した例なども紹介されている。海に入り、無重力を感じることが魅力だという。
     
     家族介護が介護するもの、されるものの共倒れになる悲劇がいくつか紹介されている。著者は在宅介護と家族介護は全く異なる概念だという。介護を家族だから、と素人だけでやろうとすると、介護するほうが潰れる。在宅介護は、家族だけで介護することではなく、自宅に他人を招いて協力を求めることなのだと。在宅介護とショートステイなど施設介護を組み合わせることができればさらによい。訛りがある人が、自分の郷土の言葉で思う存分話せる施設を見つけてようやく落ち着いた、などという例も紹介されている。自分たちが暮らす地域にどのような福祉サービスがあるかは、日頃から調べておきたいと著者は書いている。

     定年になり、子育ても終えると、これまで暮らしていたこの家に住み続ける必然性が薄れたと感じる人がいる。年金で暮らしが成り立つのならどこに住んだっていい。ということで、故郷にUターンしたり、生家の近所は人間関係が濃密すぎると、故郷に少し距離があるところに移り住んだりする。人間関係については出すぎず、目立たずかいいようで、有名大企業の管理職から故郷の町長に立候補し、この地に文化を運ぶ、と訴えた人は落選。地元には既に文化は根付いていた。

     生活を縮小した方がいいのか、拡大してもいいのかは正解が無いようで、人によるとしかいいようが無いみたい。物を減らす人もいれば、俺が死んだら全部廃棄しろ、と増やし続ける人もいる。人間はいくつになっても経済活動をしたがるものらしく、認知症の人でも財布を持って買い物をすると生き生きといてくるという。ただお金をあげるより、労働対価としてもらったほうが喜ぶとも。生活保護にもこうした視点は必要かもしれない。

     子供や孫に囲まれて老後を過ごす人もいれば、伴侶や子供にも先立たれて、一人で長い老後を過ごさねばならなくなる人もいる。そうした人は場合によっては周囲に溶け込みにくくなり、結果として周囲からも距離をおかれる。そうなってしまった人が、劇的に変わった例を著者はいくつか紹介している。
     身寄りも無く、訪れる人も無く老人ホームで過ごす女性は、誕生会などの催しがあると、楽しい雰囲気を壊すような行動を取るようになった。他の人が楽しんでいるのが、偽りの優しさみたいに思えたらしい。嫌われ者となり、無視される存在となった。だが、ある日同室の入居者が胸の痛みを訴え、自分ではナースコールが押せない、という事態が発生し、この女性が代わりにナースコールを押して事なきを得た。これがきっかけで、「優しい人だ」と言われるようになり、次第に奇行も収まり、本当に優しい人になったという。
     また、講演会などに出かけて行っては、講師に質問というよりは難癖をつける男性がいた。周囲はまたこの偏屈が、と無視するようになる。男性はますます食ってかかるようになる。
     男性は気に食わないことを新聞、雑誌に投書し、採用されないとさらに新聞社や雑誌社に電話して文句を言う。先ほども同じような男性の例があったが、この男性はある新聞社の提言コンクールで優秀賞に選ばれ、新聞にも大きく名前が出て審査員の高名な作家からも評価された。するとこれがきっかけで優しい人に変わったという。これは奥さんが提言コンクールの受賞式に夫と一緒に出席した際にコンクールの担当者に話し、担当者から著者が聞いた話だという。
     また、自分の意志ではなく、息子夫婦に厄介払いのような形で介護施設に送り込まれた車椅子の女性は、捨てられた、という思いが強いのか常に無表情、無反応、かと思うと突然怒りを爆発させる、という毎日だったという。
     だが食堂や集会所などへ向かうとき、新しく入った全盲の女性がその車椅子につかまったことがあり、それ以降全盲の女性を集合場所へ導くのが車椅子の女性の役割みたいになったという。すると女性は変わり、他の入居者の世話をするなどさながらボランティアのような活動までするようになったという。
     共通するのは、誰かに認められて評価されること。そして自分は無用の存在でなく、役割があること。こうした出来事はその施設の管理方針にも影響を与えたらしい。

     定年になって会社から切り離されると、自分が社会にとって無用な存在になったような気がしてストレスを抱えたり、心を病む人もいるらしい。ある人は「一日一笑」という造語のもと、誰かを笑わそうとし、別のある人は「面白いから笑うのではなく、笑うから面白くなるのです」と無理にでも笑うという。城山三郎氏が書いていた「一日一快」にも通じるものがある。

     社会問題に興味を持つのは結構だが、毎日のようにニュースやドキュメンタリーで世界の不幸や理不尽を見聞きして、怒りと悲しみを毎日自分に溜め込むのもほどほどがいいと思う。それで自分が病んだり、ストレスを抱えて感情的に不安定になったりしては元も子もない。
     例にもあったが、テレビに釘付けになってひとり画面にむかって政権批判を繰り返すばかりの人や「世の中ケシカラン!」だけの老後は痛ましく思う。

     高齢者のひとり暮らしで大切なことは、「明日にたのしみをもつこと」だという。
     明日は図書館に行こう、明後日は病院だ、それから洗濯をして、終わったらおいしいものを食べに行こう・・・一週間、さらにその先、と予定が組めればさらによい。

     最後の時、脳裏に何を思い浮かべるか。身をゆだねる最後のイメージが描ければ、それまでをより活動的に過ごせるだろう、と締めくくられている。

     あとがきに 「この新書は、60歳以降を生きる私自身のためのテキストである」と書かれている。だが最初に書いたように、加藤氏の60歳以降は短かった。もっと長く生きて、また本を書いてほしかったし、書かせてあげたかった。

     この本は定年後は年金で暮らせる、というのが当たり前の頃の本なので今の若い人の老後には合わないところもあるが(私にも合わないのだが)、参考になるところもある。

     加藤氏のインタビュー記事を見つけた。この本の出版当時のもののようだ。
    http://www.slownet.ne.jp/sns/area/life/reading/interview/200707021414-9751683.html

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