受賞と辞退
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受賞と辞退

2016-10-24 19:00
    ・数学界のノーベル賞、とよくたとえられるフィールズ賞というものがあって、これまでに3人の日本人が受賞している。これは選考上の基準となる日に40歳以下である若い研究者に与えられる賞であるという事だが、2006年にこの賞を辞退した人がいる。今のところこの人が
    唯一の辞退者らしい。

     さらにその人をフィールズ賞受賞者とした業績は、ミレニアム(懸賞)問題という、解いたものに100万ドルが贈られる、ということになっていた問題の解答でもあった。だが2010年、この人はこれも辞退した。
     この人は同僚や恩師も含めた多くの数学者とも連絡を絶ち、数学の世界から完全に引退してしまう。マスコミの取材などにも一切応じる事は無く、今どうしているのかはわからない。

     何故辞退したのか、ということについて本人は一切語っていないので、多くの人があれこれ推測をしているし、もっとはっきり理由を聞いたらしい人もいるにはいるのだが、他言無用の約束だから、と彼らも語ろうとしない。

     もともと数学だけやっていられれば他のことには何の興味も無い、生徒を教える義務がある(つまり自分の研究の時間が奪われる)なら大学教授にもなりたくない、みたいなタイプの人だったようで、静かな環境で数学ができなくなるから受賞は嫌、みたいなこともあったのかもしれない。マスコミが非常に乱暴な取材をして、金目当てで研究をした、みたいな報道をしたりもしたらしく(この人がその研究をはじめたのは賞金がかかる前から)、それが嫌だったとも、途中で中国の研究者グループが、論文の発表日に細工をしてまで、我々が先にこの問題を解決していた、と言い出したこともそれに輪をかけたのかもしれない(後から彼らの論文の中に丸パクリがあると発覚し、最初にこのことを考え付いたのが誰かは明白になったとか)。
     数学界に幻滅した、みたいな意味の事を親しい人には言ったらしい。

     賞を受けるには決まった手順で論文を発表する必要があった(この分野の数学は実験で真偽を確かめることができないので、その論文が本当に正しいことを言っているかどうかは権威のある数学雑誌に査読というシステムでその道の専門家のチェックを受けてから発表するという慣習がある)が、それもしなかった。数学者が使っている掲示板みたいなところに、自分の論文をひっそり投稿して、知人にそのことを伝えただけ。その時に何々問題を解決したぞ!なんてことも言っていない。読めばわかるでしょ、という感じ。もともとこの人は就職の際自分の論文を要約してくれ、と言われて、本文を読めばわかるのに何故要約する必要があるんだ、と心底不思議そうに訪ねるような人でもあったらしい。

     その人の名前はグレゴーリー・ペレルマン。親しい人からはグリーシャと呼ばれたらしい。ソビエトで数学教育を受けた、ユダヤ人の数学者だった。当時のソビエトでユダヤ人が数学で職を得るということは、表向きは公平といいながら事実上は民族差別があって非常に困難であり、この人は実力でその壁を越えた。彼の実力を知る数学者たちがこれを助けた。
     彼が解決したのは「ポアンカレ予想」という、凡人が聞いても何を言っているのかわからないような問題だった。

     フィールズ賞は同名のカナダの数学者(この人自身の実績はこれといったものが無いらしい)が発案したもので、制定後まだ100年を超えていない。現在はICM(国際数学連合)という団体が主催し、何故かは書いていないけどスペインのマドリードで会議と授賞式が行われ、メダルはスペイン国王から渡される慣習があるらしい。

     ペレルマン氏にフィールズ賞を贈ろうとした人たちは事前に彼の気難しさを知っており、なんとかして彼に会議に出席して賞を受け取ってもらおうと、委員長自らが氏を訪問し、出席しなくてもいいから賞は受けてくれなど、多くの妥協案も示したが彼は固辞した。
     結局フィールズ賞委員会はペレルマン氏が受賞したことと、彼がそれを辞退したことを同時に発表したらしい。

     もう一つのミレニアム問題解決者に贈られる賞と賞金100万ドルも、ペレルマン氏は当然のように断わった。というかこの頃は恩師や元同僚や元上司を含めて、彼と連絡を取れるものが数学界にはほとんどいなくなっていたらしい。メールに返信する事はめったになく、職場を辞めてからはメールアドレスを知っている人もいなくなったみたい。主催者のクレイ数学研究所は、ペレルマン氏を受賞者として発表したが、氏は拒否したとある。実際には拒否の意思表示さえせず、無視し続けたのかもしれない。連絡さえできなかったのかもしれない。そこらへんの詳細は私の手元の本には書かれていない。

     フィールズ賞の選考委員会も、クレイ数学研究所の人たちも、何とかペレルマン氏に賞を受け取ってほしいと尽力したが、努力は報われなかった。

     ペレルマンさん本人は、自分は成すべき証明を成した、それを数学界に理解してもらった、それだけで満足し、もう数学には興味を無くしたようにも、今後はもう誰にも煩わされずに静かに数学のことだけ考えて、騒がれないよう今後は誰にも研究成果を発表しないで過ごそうと決心したようにも思える。もしかしたら、死後に発表すること、という条件で何かものすごいことに取り組んでいるのかもしれない。


     だが、ペレルマンさんの事を傲慢だといった関係者は(少なくともオオヤケには)いない(みたい)。それだけ彼の成し遂げた事は数学者にとってもの凄い快挙なのだという。
    髪の毛ばかりか爪も伸ばしっぱなし、いつも同じ服、などちょっと常識人ではないところもあって、変人である、とは常に言われていたようだが。
     彼らは賞をやる のではなく 賞を受け取っていただく というスタンスで動いていたように思う。もちろんペレルマンさんの方から賞をください、みたいな働きかけもしていないのだと思う。中国の学者は違ったかもしれないが。

     最近のもっと有名な賞とその周辺の騒動についての報道に接する度に、この話を思い出す。
     賞を取ろうと取るまいと、ペレルマン氏の偉業は揺るがない。だがこれに賞を出さなければ、ICM(国際数学連合)の方は存在意義を問われるところだったと思う。
     賞を受け取ってもらうために全力を尽くして、それでもあの人は受け取らなかった、あの人らしいね、シカタナイネ、という感じで終わったんだと思う。
     賞をあげなければペレルマンさんは引退せずにすんだ、みたいな意見もあるけど本人はオオヤケには何も言っていないのでわからないみたい。

     今回の場合、あの人に賞を出さなくても別に存在意義が問われるわけではないので、誰もが十分に評価しているものにさらに賞を重ねなくてもよかったのかもしれない。おそらく今後は二度と歌が候補になることは無くなるような気もする。どう展開するかわからないが、誰も幸福にならなかった、という結果にならなければいいな、と思う。
     歌が受賞することを過剰に持ち上げようとしたり、歌が受賞する事が絶対許せない、というような事をしかるべき権威のある人が今後発言すればするほど、おかしな方に行ってしまうように思う。
     報道する側には揉めたほうがありがたい、という人もいるだろうから、関係者は発言の一部を強調されないように、配慮が必要だろう。今騒いでいる発言も、全然違う意味の発言の一部を切り取って強調したものだ、なんて続報が出てきたけど。


     あっちの賞は、日本の場合受賞しないと素晴らしい業績に一般人の目が全く行かず、その学問分野が衰退してしまうようなところもあるように思うので、受賞することには大きな意味もあると思う。科学関係の賞の場合は。でも科学でない賞は、こんな感じに問題の方が今後は大きくなってくるばかりかもしれない。

     歌手がありなら、漫画家やアニメ製作者もありということになって、手塚治虫さんや水木しげるさんが健在だったら、受賞可能性はあったかもしれない。漫画家やアニメも含めた映画やテレビの監督、脚本家などに受賞の道が開かれるなら面白いかもしれないが、十分に知られ、評価されている人でないとそういう対象にはならないだろうからあまり意味はないかも。
     文楽とか、浄瑠璃とか、浪曲とか、あまり一般に見られることのない分野で受賞したら衰退や消失を免れるかもしれない。
     今後俳句や和歌での受賞もあるかもしれない。川柳は無理かな。絵画や写真や彫刻だって、文学性がある、と誰かが言い張れば、あるかもしれない。

     ペレルマン氏については以下の2冊の本の内容をもとに、私が理解した範囲でまとめたものです。いろいろ間違いがあるかもしれません。



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