「瀧口入道(高山樗牛著)」メモ
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「瀧口入道(高山樗牛著)」メモ

2016-12-01 19:00
    ・むかーし買ったままになっている本を消化中。


     高山樗牛って、中学校ぐらいの国語の時間に名前だけ知ったような気がするが、一度も読んだことなかった。解説によるとこの本は樗牛が東京帝国大学の学生の時に書いたもので、あるコンテストに二席入賞して出版に至ったものらしい。本人の存命中は、某大学生作として取り扱われ、樗牛が亡くなってはじめて作者が明らかになったという。
    小説はこれだけみたいで、生前は文芸評論みたいな著作がほとんどだったらしい。31歳で若くして亡くなっている。

    自らを卑下し「役立たざること樗のごとく、遅きこと牛の歩みごとし」として「樗牛」を名乗った。
     
     らしい。「樗」というのは植物の名前で、荘子に役にたたない木、と書いてあるらしいが、この木が日本で現在「樗」と言っている木と同一のものなのかは諸説あるみたい。

     作品は平家物語のサイドストーリーみたいな感じで、平清盛の嫡男・重盛(作品内では小松の殿と呼ばれている。小松というのは住居の地名らしい)に仕える23歳の斎藤時頼は身の丈六尺に近く筋骨逞しく、早く母に別れたこともあって武一辺倒の男。
     登場した時から斉藤瀧口時頼(ときより)と描写されており、瀧口というのはぐぐると当時の宮中警護の任にあるものを言ったらしい。重盛の推挙で瀧口の侍に取り立てられたことになっている。
     この時期は清盛を中心に平家の勢力が絶頂だった頃で、偉い人は皆文弱華美に流れ(つまり女の子にチヤホヤされようと踊りや楽器やお洒落にばかり夢中になって、武術の稽古などしない)、時頼はこれを苦々しく感じており、周囲からも武骨すぎて付き合いにくい、と敬遠されている。
     だが時頼はある花見の宴で、春鶯囀(しゅんあうてん とふりがながあるが、調べるとしゅんのうでん とも)という雅楽の舞を納めた娘に心を奪われ、思わず娘の名を居合わせた老女に聞く。娘の名は横笛で、中宮(帝の妻で、のちの建礼門院、重盛の妹)のもとで最近曹司(平家物語の原本では雑仕と書いてあり、樗牛がどういう意図で書きかえたのはわからないらしい。どちらにしても宮中で雑用を行う女官みたいな感じか)に召しかかえられた者だという。
     というわけでこれまではいわば硬派で通していて、周囲のものを軟弱だ、みたいに扱っていたであろう時頼が恋に悩み、恋やつれしていって稽古もしなくなり、以前の自分が軽蔑していたような華美な装いをするようになるなどして嘲笑を浴びるようになる。何度も文を出すものの返事は無く、父に横笛との縁談をすすめてほしい、と願い出るものの、これも武骨者の父、茂頼(もちより)は、そんな身分の卑しい娘(御室わたりの郷家の娘、とあるので田舎娘くらいの感覚かな)は駄目だ、と聞き入れない。
     父としては武勇をうたわれた自慢の息子がつまらぬ女に迷った、と受け止めている感じで叱咤激励して目を覚まさせようとしたわけだが裏目に出て、父上のおっしゃりようはごもっとも、とわかったかに見えた時頼は、極端から極端に振れて己の柔弱な心を恥じて出家したい、ついては永のお暇を、と申し出る。茂頼の方も勢いで息子との縁を切ってしまう。
     時頼は最後の別れのつもりで小松の殿のもとに顔を見せるが、そこで彼から息子の維盛(とももり)の行く末が心配だ、あれでは将来未練卑劣な最後を遂げるかもしれず、頼りになるのはお前だけだ、そうならぬよう見守ってほしい、と託される。この作品では重盛は非常に優れた人物になっており、彼は平家がいずれ滅びるであろうこと、自分はそれまで生きていないであろうことを悟っている様子。時頼は自分がこれを最後に去ることを言えずに引き下がる。

     時頼が発心して仏門に入ったことは横笛の耳にも入る。世間の噂では「罪作りの横笛殿、可惜(あたら)勇者を木の端とせし」と横笛が時頼を手ひどく跳ね付けたがため、みたいになっているが実は横笛も時頼を嫌ってはいなかった。ただ、時頼と同じように熱心に文を送ってくる者がもう一人おり、この人物が武だけの時頼に対し文武に優れ、身分も将来性も時頼をしのぐため周囲が時頼に返書を送ることを許さず、かといってこの人物にも断りを入れられず、という次第で彼女も板ばさみだった。
     横笛は家人の目を盗んで黄昏時に家を抜け出し、時頼がいるという嵯峨の寺院を苦労の末に探し当てるが、時頼は修行の邪魔である、と門を開けない。実際に二人が直接言葉を交わしたのはこれが最初で最後となる。横笛は家に一度戻るが、ほどなくして行方知れずになる。

     それからどのくらい経ったのか、遠出をした時頼、今は僧となって瀧口入道はある老婆から、美しい尼僧がこの近くに住みついて、里の者にも慕われたが病に倒れ、今はその庵の傍らに埋葬されて小さな塚がたっており、誰ともなくこれを恋塚と呼んでいる、という話を聞く。
     その尼僧はもとは御所の曹司で、名は横笛といったという。瀧口入道はその塚を訪ね、祈りを捧げる。

     やがて小松の殿が43歳の若さで病で没し、平家は没落の道を歩み始める。源氏の木曽の次郎(木曽義仲)や右兵衛佐(うひょうのすけ:源頼朝)が続々と挙兵し、ろくに鍛錬もしていない平家の軍勢は敗れ続け、清盛も病死する。瀧口入道から見れば、小松殿と清盛亡き後に平家に支柱となれる人物はいない。やがて都は炎に包まれる。瀧口入道はかつて仕えた小松殿の屋敷の焼け跡に出向いて供養をすると、いずこかへ姿を消してしまう。

     瀬戸内海を西へ西へと追い立てられ、今は屋島にある平家の運命はもう風前の灯、となった頃、高野山に庵を結んでいた瀧口入道のもとを二人の旅人が訪れる。入道は追い返そうとするが、相手が小松殿の嫡男維盛と、かつては時頼と優劣を競った今は維盛唯一の家来、足助二郎重景(あすけのじろうしげかげ)で、重景こそ横笛のもう一人の求婚者だった。彼は横笛の心が時頼にあるのを知り、横笛の家の者を懐柔したり時頼の父親にあること無い事吹き込んで、二人の恋路を妨害したことを詫びる。
     維盛は都に残した妻子に会いたいと、屋島の一門から離れてここに来たという。この姿では都に入れないので、瀧口入道の手で僧にしてほしいと。

     懐かしさから二人を迎え入れる瀧口入道だが、小松殿の最後の言葉が甦る。将来未練卑劣な最後を遂げるかもしれず、そうならぬよう見守ってほしい、という。
     入道は心を鬼にして、維盛に屋島に戻って一門と共に死なねば恥になります、と告げる。
     二人は和歌を残して高野山を去り、入道は男泣きに泣く。

     二人は和歌の浦という地で、松の幹を削って自分は何者であるかを書きつけて入水する。
    それを追ってきた瀧口入道も浜辺で割腹して果てる。

     モデルに当たる人物は平家物語に登場しているが、そちらでは小説みたいに横笛に振られたわけではなくて時頼と横笛は相思相愛だったが身分違いのため結ばれず、出家して瀧口入道になるが割腹はせず、偉い僧になったとか。
     そのあたりの人物像があまりにも平家物語と違いすぎる、ということで当時は批判もされたらしい。

     またこの話はストーリーよりその文体に特徴というか評価される点があり、昔の古典のようないわゆる美文調で書かれている。
     青空文庫から最初のくだりを引用すると



    http://www.aozora.gr.jp/cards/000271/files/1556_45797.html

     みたいな感じで話とは全く関係ない形容詞とかが満載されていてじれったい。今は使われないような言葉や漢字も多く、フリガナがないとまず読めない。当時の人はこういうのを苦もなく読んでいたんだろうか。当時の人にとっても難しかったんだろうか。

     何で買ったのかもよく覚えてないけど、もう処分していいな。
     
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