「ヘンリ・ライクロフトの私記(ギッシング著 平井正穂訳)」メモ
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「ヘンリ・ライクロフトの私記(ギッシング著 平井正穂訳)」メモ

2017-01-08 19:00



     序文によれば、ヘンリ・ライクロフト氏は売れない作家で、20歳くらいからロンドンで文筆活動を始めたようだが、50歳近くになるまでこれといった代表作がなく、かろうじて下訳などの自分の名前が出ない仕事を大量にやってなんとか困窮一歩手前くらいの生活をしてきたところ、50歳の時に友人の一人が亡くなり、彼が年間300ポンドの終身年金を彼に残してくれたことによって突然あくせく働く必要がなくなり、田舎に居を構えて家政婦を雇い、自分には一生縁が無いとあきらめていた悠々自適の生活に入ることができた人物、と紹介されている。その時点で妻とは死別、娘は嫁に行ってもう手がかかることは無い。
     しかし、その静かで心豊かな生活も5年ほどしか続かず、心臓の疾患のために世を去ったとある。

     この本は、田舎に引っ込む時にもう文章は書かない、と友人であるギッシング氏に語ったライクロフト氏が実は多くの遺稿を残しており、それをギッシング氏が整理して世に出したものだという。

     生活のために文章を書かねばならない、という境遇からようやく抜け出したライクロフト氏が、毎日何もしなくても暮らせる身分になってはじめて、のびのびと思いついたことをとりとめもなく記したこの遺稿が、皮肉なことにライクロフト氏最大のヒット作になった。

     発表されたのは1902(明治35)年との事だが私の手元にあるものは1961年1刷発行、1992年第34刷発行とあるので100年近く日本でも読まれ続けていて、本国でもそうだったらしい。現在もそうなのかはよくわからないが。

     書かれている内容は、春、夏、秋、冬の4章に分かれていて、労働から解放され、家の中のこまごましたことは全て任せられる家政婦に恵まれ、人生の残り時間を全て好きなことにだけ使うこととなった氏の日常生活と日々思う事が書かれている。
     氏は毎朝のように時間をかけて自宅周辺の散歩をし、自分は植物学者ではないと断りながら珍しい植物を散歩の途中で発見することを喜びとし、今日は何を見つけた、などとしばしば記録している。「くるまばそう」「とねりこ」「にれ」「きんぽうげ」「はりもくしゅく」「とちのき」「けし」「チャーロック」「えにしだ」「さんざし」「はんのき」などの名前が出てくる。

     貧乏が長かった人らしく、貧乏に関する考察も多い。また、ヨーロッパの古典的図書に関する記述も多い。そうしたものを読もうと思えばいつでも読めるようになった著者が、あるものを読み返したり、昔手放したものに思いをはせたり。そして、生活が苦しかった頃にはこのようなことを考えるような心境にはならなかった、ということも繰り返し述べられる。
     おいしくない、と言われがちなイギリス料理について、擁護するような記述もある。牛肉や羊肉やグレーヴィーソースやじゃが芋について熱弁をふるっている。動物や酒に関する記述もあるが、基本的には散歩と植物、書物と読書について繰り返し述べられている印象。

     Nという羽振りがよく、気前もいい友人が登場するが、注によるとこれはH・G・ウェルズらしい。ディケンズやブロンテは実名で登場し、彼らの収益について論評したりもしている。

     そして終盤近くなって、秋の終わりに著者は突然「自分の生涯は終わったのだ」と天啓を受けるかのように悟る。自分は隠棲したのであり、今後新たな仕事を成すことは無い。できるのは過去の思い出にひたることだけだと。

     最後は、私の人生も完結した、今は満足しきった毎日ができるだけ長く続くことを願うが、今はもう死ぬに死ねないなどという気持ちはなく、円熟した心境のうちに終わっていけるだろうと思っている、みたいな事を書いてペンを置いている。
     序文によればライクロフト氏はある夏の夕方、長い散歩の後に書斎のソファで静かに眠りについたと書かれている。

     だが実はヘンリ・ライクロフトという人物は実在しない。これは結局生きている間は成功を得られず、裕福な家に生まれながら女性でしくじってエリートコースから脱落し、極貧の中でのたうちまわるように生き、評価されなくても作家であろうとし、悲惨な2.5回の結婚生活を送って2つの家族のために書いても書いても貧乏から逃れられず、肺炎で苦しんでうわごとを言いながら46歳で死んだ、ギッシングその人が死んだ年に発表された、もし自分が裕福になったら、との夢を託したような本だったのだという(文庫の解説と日本語版ウィキペディアと英語版ウィキペディアで氏の生涯については微妙に相違があり、不幸だけの生涯だったようにも、かすかな満足を得て亡くなったようにも読める)。そしてこの本がギッシングという人の代表作となった。これがあるおかげで、生前は評価されなかった他の作品も再評価されるようになったとも。逆に言えば、これを書かなければギッシング氏の名は残らなかったのだろう。

     空想の中でとはいえ、自分が思うような生活を晩年にできたと夢見ることができた幸せ者であったのか、夢見るだけで幸福をつかめなかった敗残者だったのか。
     
     この本の愛読者は、裕福な人、窮乏している人、どちらが多いのか。

     いろいろと思うところがある。

     私は文章にせよ絵にせよ漫画にせよ、氏のようにどんなにリアルが恵まれなくても書かずに(描かずに)おれない、という人は私もそういうところあるし応援したいのだが、それが恵まれない今を抜け出す唯一の手段で、書けば成功して世界が変わる、なんて考えている人には逆にもうやめたら、と思ったりする。現実から目をそむけることになって、すぐに手を打たねばならぬことを見逃してさらに悲惨な方向に行くだけだと思うので。
     でもその両者を区別するのは難しい。

     これさえ書き上げれば死んでもいい、なんて気持ちで書いたものが傑作になるなんていうのは何千万人に一人、というまれなことだし(コナン・ドイルがそう言って書いた「霧の国」は
    大部分のファンからスルーされる作品になった)、そういう人は死と引き換えにしなくてもたいてい成功する。でもまれな例外もゼロではないので完全否定もできない。

     自分のささやかな楽しみ、あるいは内からわき上がるものとしてとしてどんなに生活が苦しくても書かずにおれない、というのを馬鹿にするつもりは無い。ドイルが満足して死んだんならそれはそれでいい。書かずにおれないで書いたものが自分を救う例は今もあるだろうし(最近だと永田カビさんとかそうだと思う。今後がたいへんだと思うけど)。

     命がけで書く、みたいな人は書くことによってかえって死に近づいてしまったりもする。「八本脚の蝶」を書いた二階堂奥歯さんとか、「二十歳の原点」の高野悦子さんとかは、書かなければ自殺しなかったんじゃないかと思ったりもする。漫画家のねこぢるさんや同じく漫画家の山田花子さんも。もちろん実際にどうだったかは永遠にわからないのだけど。死につながるような創作を、あまり肯定したいとは思わない。才能があるから作品と引き換えに死んでいいわけではないと思うし、才能が無いならなおさら無様なことだし。

     ギッシング氏はどういう気持ちでこれを書いていたんだろうと思う。ささやかな楽しみだったのか、一発逆転の秘策だったのか。わき上がる何かがあったのか、命がけのつもりだったのか。


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