ラバウル
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ラバウル

2017-01-23 06:00

    ・さらばラバウルよ、とはじまる軍歌がある。ラバウル小唄というらしい。ラバウル海軍航空隊という歌もあるらしく、著作権がどうなっているか知らないが、ニコニコやユーチューブとかで簡単に聞ける。私の世代くらいの人ならどこかしらで聞いたことがあるだろう。バックの映像がカラオケなんかに使われるのは私はちょっと抵抗があるが。
     ラバウルというのは日本軍の基地があった場所で、そこにはラバウル航空隊がいた、というのは子供のころからなんとなく知っていた。
     当時はアニメにもなった「ゼロ戦はやと」とか「ゼロ戦レッド」とか「ゼロ戦行進曲」とか「紫電改のタカ」とか「無敵のつばさ」とか、少し後になって「烈風」とか、太平洋戦争当時の戦闘機乗りを主人公にした少年向け漫画がけっこう売っていて、ラバウル航空隊とか台南航空隊とかいう言葉はたぶんそうしたもので覚えたんじゃないかと思う。

     そんな感じで知ったので、ラバウルというのは日本の地名みたいに感じていたのだが、ラバウルがあるのは今でいうインドネシアとパプアニューギニアの国境線で左右に分かれているニューギニア島の右の、ビスマルク諸島のニューブリテン島の右端の方で、現在はパプアニューギニアに属する。ニューブリテン島の右側にあるブーゲンビル島で大きな地震があったようだが大丈夫だろうか。
     もともとは第一次世界大戦の頃にドイツが建設した都市で、当時の呼び方で大東亜戦争が始まった時にはオーストラリア軍の統治下にあって米豪軍がいたものを昭和17年のこの日に
    日本軍が占領して拠点としたもので、二つの飛行場があり、大艦隊を収容できる天然の良港でもあり、相手がここを直接攻めれば被害も大きくなるし犠牲と戦果が吊り合わないとのことで包囲・孤立化戦術をとったこともあり、終戦まで日本軍の基地として陥落することは無かったが、爆撃で航空機の多くを失い、情勢を変える力も失われていたらしい。水木しげるさんもこのあたりにいたらしい。
     戦後は独立したパプアニューギニアのニューブリテン島の州都になったが、1994年に火山の噴火により現在は州都はココポという所に移転、今もラバウルの旧市街や史跡は灰に埋もれたままみたいにニコニコ大百科とかウィキペディアには書いてあるけどパプアニューギニア観光局HPだと今もラバウルではその痕跡はいまだ数多く見る事ができますみたいに書いてある。

    パプアニューギニア観光局HP
    http://pngtourism.jp/areas/rabaul/

     このあたりの地名にビスマルクとかニューブリテンとかやたら出てくるところに当時の世界情勢を感じる。

     ラバウル小唄はもともと別の歌の替え歌からはじまったらしく、レコード発売もウィキペディアでは1945年とあるが、何月かはわからない。終戦前なんだろうか終戦後なのだろうか。 
     最初軍歌って書いたけど、兵士を鼓舞する軍歌、というよりは哀切な別れの歌なのかもしれない。曲は明るくてあんまりしんみりした印象はないけど。
     反戦歌というとちょっと違う気もするけど、長い戦争、ラバウル駐留ももうすぐ終わるだろう、あるいは終わった、という平和に向う歌のように思う。当時は多くの島に日本の兵隊さんや民間人がいて、いつ帰れるのかと思っていたのだろうから、それぞれラバウルを自分のいた土地に置き換えて歌ったのかもしれない。

     そんな象徴であるラバウルが、日本軍に占領されたのは、昭和17年の今日だった。

     ボルネオ島の下のほうにある油田地帯、バリクパパン占領作戦もこれと並行してすすめられており、同じ日にバリクパパン沖で輸送船南阿丸が、翌24日に輸送船敦賀丸、輸送船呉竹丸、給油艦須磨浦丸、給兵船辰神丸が沈没。この日はセレベス島のメナド沖で輸送船妙見丸も被雷沈没している。
     23日にラバウル及びニューアイルランド島カビエン、24日にセレベス島ケンダリー、25日にバリクパパン、マレー半島バトパハを次々に占領していくが、フィリピンのバターン半島では歩兵部隊を中心に甚大な戦死者、戦傷者が出ている。
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