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「建設はじめて物語(清水慶一著)」メモ1
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「建設はじめて物語(清水慶一著)」メモ1

2017-03-17 19:00


    ・建築関係の小ネタというか、薀蓄というかがいっぱいの本。建築関係者や建築を目指す学生さんは必読かも。こういう本は文庫になってほしい。1994年の出版なので、注記でその後の情報などを付記する必要はあるだろうが。
     以下ざっと内容紹介。

    ・近代セメント
     セメントの起源と、それが日本に入るようになったいきさつ。セメントの語源はラテン語の固めるもの、みたいな意味らしく、砂とセメントを混ぜるとモルタルになって、砂と小石を混ぜるとコンクリートになるみたいな感じらしい。と以下のHPに書いてあった。
    http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_144.htm
     セメントという物質があるわけではなく、大雑把に言えば石灰と粘土を粉にして混ぜたもので、ローマ時代から使われていたそうだが、1824年にイギリスのアスプディンという人が水中でも固まるセメントを作り出して製法特許か何かをとったらしく、これがそれまでのものとは全く別物と言っていいくらい画期的な発明だったらしい。現在のセメントはこの流れを汲むみたいで、この製法で作られたセメントを「ポルトランド・セメント」と呼び、これがもう近代セメントの代名詞みたいになっているらしい。ポルトランドって何?というと、当時のイギリスではポルトランド島というところで切り出された天然石が建築資材としてよく使われていて、固まるとその石みたいだ、ということでアスプディンさんが商品名に使ったのだとか。
     ポルトランドというのはドイツ語由来らしく、英語読みではポートランドみたいだが一般にはポルトランドセメントで定着したみたい。
     現地まで行ってきた人の論文がある。これによれば船が何度も難破している海中の岩礁に灯台を作るため、木製の灯台は何度作っても波に壊されるから、みたいな開発を要する切実な理由があったらしい。ポートランド島というのはイギリスの下の方の真ん中あたりにあるようだ。
    http://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/story/images/story1.pdf

     ポートランドというとワイン、という連想が働くが、これはオレゴン州にワイン産地としても有名なポートランドという市があって、ポートランドという商品名のワインもあるみたいだけどそこはもともとメイン州のポートランドという地名にちなんだもので、そこはイギリスのファルマスから来た人たちに名付けられたということだから、ファルマスはポートランド島からは少し離れているけど、この灯台が作られた岩礁には比較的近く、ひょっとしたらこの島の名前がワインまで伝言ゲームしたのかもしれない。
     日本でこのポルトランドセメントがいつから使われたかは残念ながらわからないそうだが、セメントが最初に使われた記録はあって、後に海軍の横須賀工廠になった横須賀製鉄所の建設に使われたという。これが慶応3年(1867年)のことだというから江戸時代からセメントは使われていたわけだ。
    黒船が来たのは1850年くらい、1900年ころにはもう日清戦争になっちゃうわけだが、外国人居留地は各所に作られ始めていて、はっきりした記録もないので1867年以前にどこかで部分的に近代セメントが使われていたかもしれないけどわからないという。当時は今みたいにコンクリートで建物の躯体を作るわけではなく、レンガの目地にセメントとかコンクリートとかを使用したみたいに書いてある。 
     その後明治政府の深川にあった官営工場で明治10年ころから国産近代セメントが作られるようになり、その工場はその後民間に払い下げられ、その後改名や合併を繰り返してて現在は日本最大のセメント会社になっているという。
     著者は以下の本を参考にしたと書いている。
    http://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=4110

    ・煉瓦
     煉瓦は西洋や中国では古代から使われていたけど、日本は例外的に使わない国で、幕末に西洋文化と共に入ってきて(なぜ中国からは入らなかったんだろう)、記録に残っているのは幕末に海防の必要が出て、それには大砲が必要だ、となって製鉄所を建設だ、となってその製鉄所の建設材料として耐火レンガの生産が行われるようになり、1850年には日本最初の反射炉が出来たのでこの時には多分耐火レンガが生産されたと思われ、そのついでにもっと簡単にできる耐火じゃない普通の建築用レンガも造られたかもしれないが記録はなく、はっきり記録があるのは1857年の長崎鎔鉄所での生産だという。
     このころ建設された製鉄所はその後工廠になったり鎮守府になったりもしたみたい。

     明治時代は文明開化=煉瓦西洋建築だ、みたいに煉瓦造りの建物や塀や煙突がいっぱい出現したが、明治24年の濃尾地震と関東大震災で壊滅的に壊れたのと、明治末期から鉄筋コンクリートや鉄骨を使った建築技術も発展したこともあって東京駅や横浜の赤レンガ倉庫など一部例外を残して姿を消し、今はレンガ建築=明治時代、みたいな感じになったという。

    ・近代製材
     いわゆる材木屋さん。全然知らなかったけど江戸時代には木挽き屋さんという人たちがいて、大工さんとは別に普請場で木挽き、つまり材木造りをしていたのだという。そのため、この人たちの抵抗が激しく、機械による製材は江戸末期から丸鋸など製材機械が入ってきていて見世物などにもなっていたけどなかなか受け入れられなかったとか。ただし北海道だけは例外で、開拓地でほとんど木挽き屋さんがいなかったこともあり、最初から機械製材が根付いたとも。あまりはっきりした記録がなく、研究の余地はまだまだあるらしい。
     著者が子供のころの昭和三十年代には、パタパタと呼ばれたオート三輪で町中の建築現場に材木屋さんが材木を運び込む光景がそこここで見られたそうだ。

    ・鉄骨構造
     今では建築材料として当たり前の鉄は、イギリスのアブラハム・ダービーという人が18世紀にコークスで鉄を溶かす方法を編み出してから使われるようになったが、ヨーロッパでは鋳鉄の時代が100年ほど続き、1889年にエッフェル塔が造られる頃には錬鉄に切り替わっていったという。だが日本では鋳鉄の時代が無く、最初から錬鉄時代がはじまったという。慶応4年に長崎で造られたくろがね橋というのが最初の鉄の橋で、錬鉄製だという。また1860年頃に造られた神戸和田岬の砲塔も錬鉄製だとか。
     もし日本で柱なんかが鋳鉄で造られた建築物を新発見したら(一部の業界でだが)有名になれるような大発見だそうだ。鉄道関係では鋳鉄もかなり使われ、建築関係でも皆無というわけではないが少なくもちろんめぼしいものはすでに発見されているわけだが。明治村には当時の鉄骨工場があるという。この本には東京駅で鋳鉄製の柱を見れるところがあると書いてあるが、今は改修工事がされて、どうなんだろう。山手線内回りホームって書いてある。

     撤去することが決まった、とHPに書いている人がいらした。マニアの人には大事件だったのか何人も書いている人がいる。
    http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/kasukadari/2014/04/post-47f1.html

    ・駅舎
     汽笛一声新橋を~の新橋駅は現在の新橋駅ではなく、終点だった横浜駅も現在の横浜駅ではないとあり、新橋駅の遺構が汐留で見つかった、と書かれてるがご存知の通りその後汐留は
    再開発されて高層ビル群になり、旧新橋駅もその一角で復元されて鉄道歴史展示室になっている。
    http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
     一方旧横浜駅は桜木町駅になっていたが、旧新橋、旧横浜駅ともに関東大震災で焼失したという。その焼失した駅はどちらもお雇い外国人だったブリジェンスというアメリカ人が設計したという。ほぼ同一のデザインだったそうだ。また旧新橋駅を施工した組の中には、現在の大成建設の前身である大倉組が含まれていたとも。


    ・トンネル
     青の洞門のような例外はあるが、人や馬しか歩いていなかった時代はトンネルというものは必要なかったといい、やはり鉄道というものが入ってきてトンネルが必要となり、土木技術が必要となったという。鉱山や水道用のトンネルなどは別として、日本最初の鉄道トンネルは明治4年に完成した石屋川トンネルで、日本で新橋~横浜間に続いて大阪~神戸間で建設された鉄道のために掘られたという。長さは約60mだったという。これはお雇い外国人の手になるもので、日本人自身の手で造られた最初のトンネルは明治12年に完成した逢坂山トンネルで約110m。現在は使用されていないそうだが東側の入り口付近は三条実美の揮毫した額があることもあって記念物指定され、保存されているらしい。
    http://guide.jr-odekake.net/spot/4894

     長くなったので今回はここまで。

     著者は執筆当時は国立科学博物館の研究官で、「東京建築探偵団」の一員でもあったらしい。もともとは大成建設の社内報に連載されたものだという。残念ながら60歳という若さで2011年に亡くなられたようだ。

     出版時の紹介記事
    http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/seisaku/chousa/kihou/120/kihou120-078-078.pdf
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