「心地よく秘密めいたところ(ピーター・S・ビーグル著)」メモ(ネタバレ)
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「心地よく秘密めいたところ(ピーター・S・ビーグル著)」メモ(ネタバレ)

2017-07-27 19:00


     上記のリンクは創元文庫だが私の手元にあるのは月刊ペン社が出していた妖精文庫版。ブックオフで上下揃って216円だったので買った。




     この本は昔からSFマガジンの広告で見て知っていたが、読んだのは初めて。同じ著者の「最後のユニコーン」は読んだ事ある。

     挟み込まれている荒俣宏さんの解説によると、著者は1934年生まれのアメリカ作家、ブロンクス生まれのブロンクス育ち、1959年にピッツバーグ大学を卒業してヨーロッパに渡り、パリに暮らしたりイギリスやイタリアを旅して回ったという。この解説の執筆時点(昭和51年)ではカリフォルニア州のサンタクルスに在住とのこと。単純計算で当時37歳か。

     アメリカで最も人気の高い小説家の一人、と紹介されていて、一方非常に寡作だとも。
    作風はファンタジーで、「夢に見られている人びとの悲喜劇を描く・・・夢のなかから覚醒の世界を逆に見上げている」とも。

     この作品は著者の処女作で、1960年の発行というので単純計算で26歳のときだが、19歳の時に既に書き上げていたみたいな情報もある。

     現在のウィキペディアを見ると、ノンフィクションも多く、ラルフ・バクシの指輪物語やスタートレックの脚本なんかも書いているみたい。自作の最後のユニコーンはアニメになっていて、その脚本も手がけているとか。この作品はトップクラフトが担当したみたいな情報もあるが、日本語で紹介しているページがあまりない。日本語版のDVDとかもないみたい。ジブリがいっぱいとかで出ないものか。

     で、この「心地よく秘密めいたところ(A Fine and Private Place)」はどんな話かと言うと、ニューヨークのヨークチェスター共同墓地(実在するのか架空なのかよくわからない)というセントラルパークの半分ぐらいの大きさの墓地があって、そこの霊廟で一人の男性が暮らしている。彼はドラッグストアを経営していたが破産してしまい、そのあと深く人生に絶望して墓で暮らすようになった。もう19年になるが、その間一度も墓地の門を出ていない。
     管理人や墓地を訪れる人に見つからないように、細心の注意を払って生活している。
     どうやって食べているのかというと鴉の知り合いがいて、このカラスが日に2回程度、サンドイッチやら何やらを持ってきてくれる。どこから持ってくるかは深く考えない事にしている。彼はカラスと話ができる。

     カラスだけが話し相手、という生活を20年近く続けてきたわけだが、彼の生活に変化が訪れる。まず一人の男がやってくる。彼は妻に殺されたのだ。しばらくして若い女性もやってくる。彼女は事故死したらしい。
     つまり男はこの墓地に埋葬された死者の幽霊と話ができる。幽霊は死んでしばらくの間は自我を保ち、彼やカラスといろいろ話をしたりもするが、次第にいろいろなことを忘れていって存在が消えてしまう。
     新たな死者、つまり幽霊が来ると彼はそんなことを新人の幽霊に教え、存在が消えていくのを何度も見送ってきたみたい。

      だが新たにやって来た二人はこだわりを強く残していて、なかなか消えそうにない。
    男性の方は自分を殺した妻の裁判に興味を持っている。女の子はその男性に興味を持っている。彼女は生前あまり美人ではなく、自分に自信がなかったみたい。

     一方主人公の男にはもう一つの出会いもある。夫の墓を訪ねて来る未亡人に目撃されてしまい、別の墓の弔問客のふりをして話をしたのだが、それをきっかけに未亡人は時々男と話すことを目的に墓に通うようになる。

     未亡人とはやがて正直に自分の境遇を話すようになる。男は墓地の門をくぐって外にでることができない。これは自分がそう思い込んでいるだけなのだが、仮に外に出たとして何をして暮らしていけばと考えると、目が眩むような感覚を覚える。

     墓地の管理人は二人いるのだが、早番の管理人は厳しく、もし彼に見つかれば墓地を追い出されるのは間違いないのだが、もう一人の遅番の管理人は鷹揚でそうでもない。しかも彼は幽霊が見えて話もできる。主人公の男はこの管理人とも話をするようになる。

     やがて男性の妻の裁判が終わる。彼女は無罪。男性は自分ですっかり忘れていたが、自分が妻を全然愛しておらず、彼女に疑いのかかるように自殺したのだったと思い出す。
     このへんがよくわからないけど宗教的に自殺者をこの墓地に埋葬しておくわけにはいかないらしく、男性の棺は掘りこされてもっと寂れた感じの墓地に移動させられることになる。
     若い女性は、この男性と話をすることが生きがい(死んでいるのだが)になっており、棺が別の墓地に行ってしまうともう彼と話ができなくなる、と嘆き、それでは死んだ方がまし(死んでいるのだが)と生きている人間である主人公の男に自分の棺を彼と同じ墓地に運んでくれるよう懇願する。

     主人公は遅番の管理人に相談して、女の子の棺を共同墓地から男性が移された墓地に運んでもらうことにする。真夜中の作業だが、なぜか未亡人も同席する事になる。
     トラックに乗って、男は19年ぶりに墓地の門を出る。

     女の子の棺を埋葬し、男は管理人と別れる。もう共同墓地には戻らない。未亡人が私の家においでなさいな、と誘う。

     という感じ。あらすじを楽しむのではなく、雰囲気を楽しむ本という感じで、こういう紹介ではうまく雰囲気が伝わらない。毎日仕事に追われているサラリーマンなんかだとなかなかゆっくりしている展開で読みにくいかも。通勤電車で読むのにはあまり向かないかな。
     今読むと、ホームレスあるいはひきこもりになった主人公が、社会に復帰するまでの話みたいに感じるけど、これが書かれた1950年代のアメリカではまだまだそんなことは社会問題になっておらず、それをこの時期に書いたことが先見性ある、ということなのかもしれない。
     なぜか上巻に入っているあとがきにはアメリカ社会の荒廃を予言した作品みたいに書いてある。一見ハッピーエンドに見える結末も、決して主人公が救済されたわけではないと書いてあって、これから結局共同墓地に舞い戻る、あるいはそれさえもできずにのたれ死ぬ未来につながってるのかもしれない。

     今の若い人の方が、いろいろ読んで共感するものがあるのかも?
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