「エクソダス症候群(宮内悠介著)」メモ
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「エクソダス症候群(宮内悠介著)」メモ

2017-07-29 19:00



    ・舞台が火星。だが火星探検とか、火星探査とか自然科学的な内容ではない。火星は開拓段階で、テラフォームは完成していない。人類は柔らかな泡のようなドーム都市の中で暮らしている。私は文庫の方で読んだ。
     舞台は火星で唯一の精神病院で、主人公は地球から赴任してきた精神科医。彼はもともと火星生まれだが、ほとんど地球で育った記憶しか持っていない。
     火星では、今エクソダス症候群という精神病が増えているという。ここから逃げたい、地球に帰りたい、という妄想に捕らわれてしまう。地球では精神科学が進歩して、エクソダス症候群(地球では仕事をやめて紛争地に行きたい、みたいな症状になる)も含めほとんど全ての精神病は薬でコントロールできているが、火星では薬品もスタッフも足りず、地球でのような十分な治療は行えない。
     一方で地球ではISI(突発性希死念慮)という、何も悩みなどなかったはずの人物が突然自殺してしまう、という現象が多発している。主人公の妻もこれで亡くなっており、恩師の娘であった彼女の死は、主人公が地球の精神医学学会で抹殺されることと同義だった。

    主人公は突然いくつかある病棟の一つの責任者に任命されてしまう。そこで妻の死について考え続け、火星での様々な患者とも接していくことになる。さらに自分もエクソダス症候群にかかっていることに気付く。

     精神医学SFとでもいうべきか、精神医学の発達を様々なエピソードで紹介しながら話はすすむ。私自信は調べてないけど、巻末には4ページにわたる参考文献リストがついていて、かなり気合を入れて調べたんだな、と想像される。

     著者は田中圭一さんの「うつヌケ」にも体験者の一人として登場していたので、精神疾患関連に深く思うところもあるのかもしれない。

     紹介されたエピソードは初めて聞く話なども多かった。現在だと拷問として知られていることには、精神病の治療方法として考案されたものもあったこと。例えば電気ショックのような。こうしたものは何か衝撃を与えれば症状が改善されるのではないか、という試行錯誤の結果であって、今はコレハヒドイと思うような、例えば冷水をかけるとか下剤を与えるとか皮膚を切って出血させるとか、も当時の医師たちは真面目だったこと。当時の科学水準ではそれなりに科学的根拠があったこと。
     最初のガス室はアウシュビッツではなく、精神病院に作られたこと。
     ナチスの前に「生きるに値しない命を終わらせる行為を解禁」すべきと主張した精神科の医師がいたこと。
     この人は息子を第一次世界大戦で失い、多くの若者が戦場で傷付き倒れているのに、精神病者は病院で手厚く保護されている事からこういう考えに至ったらしい。敗北したドイツは財政難でもあり、回復の見込みがない患者を養う事に、どのような意味があるのか、生きたいと要求することさえしない患者を排除することは正しいことなのでは、と論文を書き、この論文にヒトラーの侍医が目をとめたことにより精神病院にガス室が作られ、7万人の患者が安楽死させられたという。
     ナチスに加担した医師たちは罰せられたが、戦後こんどは精神外科というものが出てくる。
     外科手術で精神障害を治療する、つまりロボトミー。今はとんでもないこと、という認識だが(これを扱ったブラックジャックのエピソードが発禁になっていたりする)、これで社会復帰をはたした例もあるらしく当時の医師はそれなりに真剣だったらしい。これが衰退したのは別に非人道的とか人格の荒廃や無気力化とかの副作用が大きすぎるみたいな理由ではなく、単にもっと便利で効果がある療法が開発されたから、というのが最大の原因らしい。
     その療法というのが抗精神薬の服用。だが薬が何故効くのか、ということは必ずしも解明されておらず、それは前頭葉を切除するとなぜ症状が緩和されることがあるのかを解明できていないのと同様だとも。薬が何故効くのかは諸説いりまじって必ずしも解明されきれないまま、多剤大量服用が行われて、たいていの精神疾患は表面的には症状が抑えられている、コントロールされているのがこの作品の地球の状況。
     
     
     そして作品の舞台の火星では薬剤も足りず、医師もスタッフも足りず患者は増える、医療崩壊のような状況。そこで責任者にされてしまった主人公は何をできるのか。
     スタッフもどんどん疲弊して倒れていく。主人公の前任者も心を病んで去ったみたい。精神病患者を治療するために、多くの健常者のスタッフが次々と倒れ、病んでいく。病院の財政基盤も損なわれていく。

     主人公の父親もかつてこの病院の医師だったらしいのだが、その当時の記憶はない。今以上に開拓時代で乱暴な事が行われていた時代、主人公の父は何かをやろうとしたらしい。
     それは何だったのか。

     そしてなんとか病院の状況を改善しようとする主人公も、自らエクソダス症候群に苦しみ、スタッフに裏切られたり助けられたり患者に裏切られたり助けられたりしながら何かに巻き込まれて行く事になる。

     みたいな話。
     
     医療関係者が読むと、そうだ、その通りだ、と思うのか、あるいは何を言ってるのかこの
    SF作家は、ケシカランと思うのか私にはわからないけど興味深く読んだ。

     精神疾患に限らず、介護のようなことを行うために家族やスタッフの方が疲弊してしまう
    悪循環は、なかなか解決がむずかしい。
     AIがすすんで介護ロボットみたいのが実用化されると、少しはましになるのかどうか。
    それまでどうすればよいのか。

     嘘をついて精神病院に入院できるか、みたいな話もあって、過去これを実験した人がいて、参加した8名のうち7名がウソをついて精神病と診断されて入院。だが同じ入院患者は彼らが偽の患者だと見抜いたという。医師に見抜けないものが精神病患者には見抜けるというのが不思議。

     筒井康隆さんが精神病院に患者として入って書いたルポなんかも昔読んだっけ。大熊一夫さんという朝日新聞の記者がやはり同様のことをして、いろいろ告発したりもしていたな。前後は逆だったかもしれないが。

     精神医学みたいのが話題になること自体、不幸なことなんだろうけど、話題にならないと救われない人もいるから悩ましい。
     
     
     
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