「やむにやまれず(関川夏央著)」
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「やむにやまれず(関川夏央著)」

2018-03-04 19:00


    ・著者の経験に基づくんだろうと思うけど創作も混じっていそうな、エッセイとも短編小説ともつかない作品集。

    第一話 通俗だけど泣けちゃう
     主人公は深夜2次の喫茶店で知人の女性と再会する。大学時代からの知り合いで、それっきりあわなかったが40歳くらいで連絡を取るようになり、それから2、3年に1度会うか会わないかみたいな間柄。彼女はご主人と経営する会社が好調でお金持ち。著者が投影されているであろう主人公はしがない物書き。お互いもう50歳になっている。
     彼女と話しながら、彼女に初老の気配を感じる主人公は、森鴎外の「普請中」という小説を思い出す。彼女は子供を作らなかったが、会社は好調で成功者のはずなのだがどこか彼女は物憂く見える。彼女はご主人に隠し子がいる、と告げる。損した、というのが彼女の感想。
     なすべきことをなして、あとは夫と一緒に平和に心静かに老いていく、という予定が、離婚するかなあ、ひとりで生きていくのかなあ、という感じで重たくなる。
     主人公は彼女に旅行に誘われるけど断わる。旅行先から絵葉書が来る。それを見ながら、50歳でも私はまだ普請中だ、と主人公は思う。

    第二話 ネコにだって過去はある
     主人公は同年代の友人と話をしている。どちらも独身で、友人は大学教授である。ネコの話題になり、ネコを飼う独身女性が増えたという話になる。独身者が増えるのは、ネコのせいと、女がこわくて男がずるいからだ、みたいな話になる。友人は彼を独身主義にした、若き日に出合った女の話をする。今風に言えばストーカーみたいな。暴力も振るわないし暴言もはかないけど、笑顔で付きまとう。ここで妥協して彼女と一緒になったら、いつかこの女に殺されると思い、会社を辞めて転居し、そんな時に迷い込んできたネコに心を助けられたという。そこも見つかったのでパリまで逃げて、今の仕事につながる。
     
    第三話 「赤いニシン」の物語
     マドリードの空港で、主人公はある人物と再会する。三十年ほど前、ある芝居のエキストラで知り合った男だった。その芝居はある神道系の宗教団体がスポンサーか何かだったらしい。
    芝居が終わって二人はそれぞれ次のバイトに向かい、縁は切れたのだったが、相手の男はその後その団体に入信し、そこで結構高位にあるらしい。ローマ法王と会ったこともあるという。
     
    第四話 をみなごに花びらながれ
     主人公は高校時代の同級生と電話で話している。話題はクラス会に出るか出ないか。どうも国政選挙に立候補する元生徒会長の思惑も絡んでいるみたい。相手は10年前に出たことがあるが主人公は本当にごぶさた。クラス1の美人のその後を見てがっかりしたと、相手は言う。
     主人公は、昔彼のラブレターの代筆をして、宛先だった子の親友みたいな女生徒に呼び出されて説教されたことを思い出す。三好達治の「をみなごに花びらながれ」みたいな詩の文句を使ったのだった。結局主人公はクラス会には今回も行かないようだ。

    第五話 仁侠映画講義
     著者は大学の客員教授の肩書きもあるので、その授業風景なのかもしれない。某任侠映画を学生に見せ、その背景を解説する。この役者はこんな経緯で業界に入った人で、当時はこんな役が多かった、とかこの人は今はコワイおばさんだけど当時は美人だった、とか、当時の悪役はたいてい右翼の大物から名前をとって、川島とか大田黒とかの役名が多いです、とか、仁侠映画の枠組みというのは、伝統ある業界の保守派が善玉で、そこにあたらしい儲けを持ち込もうという改革派が出て来て、今で言えば企業努力をして多角化とか付加価値とかをつけようとしている人たちが悪役になる。古いやり方を変えるな、という善玉と、それでは商売にならない、潰れてしまう、という改革派が悪玉が対決する、という構図。
     跡目争いなんかの時に民主主義的な合議で決まったことを、それは筋が違うと言って反発する兄貴分がいたりする。そうした保守的な枠組みを持つ話を、当時の政治は悪だ、企業は悪だ、とやっていた学生たちが支持したというような話をする。
     こうした古典的任侠映画の時代背景は戦前のことも多く、当時は戦前の知識というのが若い学生にはほとんど無かった事も神話的な魅力を生んだとか、こうした作品の歴史は意外と浅く、歌舞伎などを別とすると、長谷川伸と広沢虎造が先祖みたいなものだという。
     著者はこうしたものを見て育った世代であり、進歩を口にしながら生理的には進歩を拒絶していた世代がこうした作品を見ていました、みたいに締めくくる。
     学生たちは不況の中で育ち、進歩という概念を持たないので進歩を拒絶しようもない世代だとも。
     こんな講義を受けたら私は絶対はまってドロップアウトしたと思う。高倉健さんのはけっこう見たけど。

    第六話 ミラボー橋
     フランスのカフェで、主人公はロンドンからやってきた女性と話している。彼は若い頃にもこのあたりに来たことや、アフリカに行った事などを話す。彼は若い頃、そうしなくちゃならない、というような感じで見聞を広める目的の外国旅行をし、そうした経験を原稿にして安い原稿料をもらっていた。当時は教養小説のように、さまざまな困難と出会って成長しなければならない、というのが青春だ、という時代だった。
     でも主人公は修行しても成長しないで人生はすばやく通り過ぎる、という達観を得た。
     二人はここで18歳の女性と知り合い、彼女に一緒の店で食事を取るなど、旅の手助けのようなことをしている。この娘は美術史専攻で、母親に夏休みはひとりで旅行してきなさい、と言われて美術館と遺跡を見てまわっている。特にミラボー橋を見てきなさい、と命じられたという。母親にとっては、ミラボー橋は有名なシャンソンも含めて、非生産的な青春のシンボルであったらしく、フンサイする対象らしい。
     ミラボー橋の詩人、アポリネールは「一万一千本の鞭」とか「若きドン・ジュアンの冒険」とか、今で言う薄い本みたいな小説ばかり書いた人でもあったが。
     
    第七話 時代の刻印
    ヒッピーの先祖みたいなビートニクという人たちがいたらしく、主人公はそんな一人とメキシコで知り合う。彼は主人公より10歳年上の日系二世だったが日本語はほとんどできない。
     そんな彼が、十年後に突然日本にやってくる。日本の会社と旅行代理店契約みたいなのをして、そのために日本語を勉強しにきたらしい。だがその会社はいかにも怪しい。結局騙されたようで、その会社に投資した多くの金を失い、住む場所もなくなった彼の面倒を主人公はみる。その後彼は沖縄、北海道、神戸、天津、北京、モンゴル、ロシア、オランダ、ロンドン、ニューヨークと転々として、故郷のカリフォルニアへ帰る。旅に生きるビートニクはフットワークは軽いらしい。

    第八話 夏のにおい
     著者は新潟生まれだそうで、主人公は日本海側の都市に暮らす小学三年生。ある事情から隣家の家族旅行に同行することになる。隣家の母親と、中学生の娘と小学六年生の娘と。主人公はこの妹のほうがちょっと好きである。旅行先はその家族の故郷の、電気もまだ来ていない島だった。主人公は海の向こうに見える本土を故郷と強く意識するようになり、ホームシックにかかる。そして妹の方と一緒に、予定より早く家に帰してもらう。
     その後隣家は東京へ去り、その消息は知らないが、故郷での休みを自分のために早く切り上げた隣家の妹には、今も借りがある気持ちでいる。
     テレビで見るあの島は、有名なリゾート地になっており、島民の所得は本土の二倍近くになるという。いろいろな意味で、遠い存在になった。

    第九話 「統一」と「結婚」
     自分で買ったマンションで、女性と暮らしているらしい主人公。二月ほど前の南北首脳会談の新聞記事を見て、この人信用できるの?できないでしょ みたいな話をしている。著者はかの国について研究したことがあって著書もあってそのおかげで入国禁止リストに載っているような話を聞いた気もするが、同じ民族で同じ血族であれば知らない人でも信用する、それが異なれば決して信用せず、一族の敵を作って団結を深めてきたみたいな伝統のある民族だみたいなことを彼女に話す。俺とお前の祖先のどちらが偉いか、みたいなことで延々と議論したりもするという。というわけで近代国家になかなかならなかったが、南側ではある男が軍事独裁政権を作って国に仕えることと一族に仕えることは一緒なんだ、という忠孝一致という用語を作って一気に変えたという。もう一方の国ではそれまであった一族を全部解体して、国全体で一つの一族なんだ、族長は国に一人だけだ、という主体思想というものでやってみた。つまり共産主義ではなくて、民族的な考え方を南側とは違うやり方で解決しようとした国だった。みたいなことを彼はかの国から来た大学時代の同級生だった女性を思い出しながら妻の質問に答えている。


    第十話 ネコの命日
     主人公は一年半くらい同棲していた彼女と別れることになり、持ちものは分割したが、分割できなかった持ち物、つまりネコの処分に困る。困って自転車に二人乗りして捨てにいく。
     彼はそれまで勤めていた出版社をクビになってブラブラしていたときに彼女と知り合って一緒に暮らすようになり、彼女に叱咤されて次の仕事を見つけて社会復帰した。だが彼は新しい職場の女性とダブル不倫で付き合うようになり、それはすぐにばれてダブル修羅場となり、こういうことになった。
     捨てたネコはだが二日後に戻って来る。でも彼女は出て行ってそのまま戻って来ない。不倫の女性と一緒に暮らすようになった主人公だが、三ヶ月くらいで破局した。もともと強い感情ではなくなりゆきでそうなって、ばれたので引っ込みがつかなくなって一緒になったようなもので長続きしなかった。
     彼はネコと一緒にさらに引っ越すが、ネコはそこで交通事故で死ぬ。石川啄木や斉藤緑雨と同じ命日だった。そんな頃から25年が過ぎた。
     
    第十一話 秋
     夢の中でまた夢を見る、みたいな話。飛行機に乗っていて、どこ行きの飛行に乗っているのかわからなくなる。というような夢を見た、と彼女に話してるうちに、物忘れの話題になって、対談中に相手の名前を忘れてしまった話をする。でもそれも夢だったようで、いつのまにかすごく食欲旺盛な美女二人とテーブルを囲んでいる。どうも三人分の支払いは自分らしい。背の高いほうの美女は「違うの」が口癖。小柄なほうの美女はどんどん注文する。
     美女二人と食事と会話をしながら、主人公は三島由紀夫の「天人五衰」という作品について、そこに書かれた三島の老人への嫌悪について考えている。当時45歳の三島は老人を嫌悪し、若者を軽蔑していたらしい。

    第十二話 夜のカフェテラス
     都心のワンルームマンションに住む主人公。ひとり暮らし2年目とのこと。コンビニで買った夕刊を広げたときに、ふと高校二年時の記憶が蘇る。全体総会をさぼって美術室にこもっていた主人公は、そこで同じようにさぼってきた上級生の女生徒と会話する。将来の進路に関する話をして、彼女は美術で食べていける実力はないので美大にはいかないということを聞く。ゴッホの話になり、どの絵が好きかという話になって、彼女は「夜のカフェテラス」という作品をあげる。

     彼女によれば、一番手前の二つの椅子は、ゴッホとゴーガンのためのものだという。
     約30年後、主人公は夕刊で彼女の顔を見る。ある巨大商社がつくった介護ビジネスの会社の社長として、経済研究職から転身したらしい。だが主人公は彼女の作る施設に自分の椅子はないだろうと思う。

    第十三話 ホテル・レイクビュー
     名前は書いてないが、主人公は女性と一緒に台湾にあるらしいホテルを訪ねる。地震から一年ほどたつが、ホテルには人気がまばらである。日月潭という湖のほとりにあるらしい。ほとんど人がいないレストランには、どこかわけありっぽい客ばかり。主人公と彼女は、自分たちははまわりからどう見えるかな、と話す。壊れかけた夫婦のかたっぽ同士らしい。
     レストランの中をネコが徘徊しており、いちばんながめのいい席はネコが占領している。

    第十四話 エイジング
     固有名詞のある人物二人が、ある店で故人をしのんでいる。彼ら三人は中学か高校の同級生だったらしい。一人は作家、一人は医者で、死んだ男は十五年病床にあったという。この店も高校時代に溜まり場だったのが、代替わりして店名が変わっても健在の店みたい。さらに男性ひとり、女性ひとりがやって来る。死んだ男の偲ぶ会の二次会らしい。50を過ぎた彼らは、あと二十年か三十年世界が持てば、あとはどうなってもいいみたいなことを言う。将来の心配が心からできるなんて、45歳くらいまでじゃない、と女性が言う。
     彼らは次に会うのはまた誰かが死んだ時かな、みたいなことを言って別れる。

    第十五話 山田先生
    山田先生というのは山田風太郎さんのこと。主人公、この場合は著者とほぼイコールと考えていいと思うが、は晩年の山田風太郎さんと知遇を得て、時折り自宅を訪ねることもあった様子。だが79歳の先生は奥さんの押す車椅子で移動し、表情も変わらないし発話もほとんどできない。先生との会話は、先生の不明瞭な言葉を察することができる奥さんとの会話になる。
     著者はそんな会話をしながら、シャボン玉ホリデーのハナ肇とザ・ピーナッツが父娘を演じるコントを思い出す。「おとっつぁん、それはいわない約束でしょ」というセリフで終わるものらしい。直接見た記憶はないが、このセリフは知っている。
     山田さんは5歳で父、15歳で母を亡くし、30歳で結婚するまでは意識として孤児だったという。だが両親が健在な頃、自分が幸福だったという記憶もしっかり持っている。
     70歳を過ぎて、糖尿病、白内障、パーキンソン病と次々に病魔に襲われて、構想があっても書けなかった小説もあったという。別荘で5時間かけてまきで風呂を炊くのが好きだったというが、それもできなくなった。作家仲間の文壇付き合いみたいのもほとんどしない、孤高の作家でもあった。山田家の先祖は、但馬出石(いずし)藩、仙石氏のお家騒動の悪い方の血をひいているという。でもこのお家騒動は芝居にも小説にもなっていないのでほとんど知られていないという。

    第十六話 講演「”おフランス”について」
     おそ松くんのイヤミのセリフから、「おフランス」という言葉がはじまったと著者は言う。イヤミが日本を悪く言う時に、「おフランスでは」と連発するという。私は読んだはずだがもう覚えていない。おフランスに比べて日本は駄目で遅れているみたいな感じだったという。
     これは現実のパロディで、当時フランスは一種のあこがれでブームで、ヌーベルヴァーグやサルトルカミュサガンみたいなものを持ち出してはそれに比べて日本ってだめねえ、と評したがる人が大勢いたみたい。
     実際には日本軍とも戦っているんだけど、あまり直接日本と戦争したイメージがないのであこがれの対象にしやすかったこともあるらしい。軍隊が弱いのもよかったらしい。
     芸術家にとっては、明治時代からパリに行けばなんとかなるみたいなあこがれの地でもあったらしい。パリにはいいものいしかない、みたいなあこがれで、行った人は多かれ少なかれ日本と日本人嫌悪と自己嫌悪みたいな詩なり文章なりを書いたりもしたらしい。
     そして彼らは日本の伝統や文化を嫌悪した作品を残すことになり、日本の大衆を忌み嫌い、 自分は大衆より上の知識人とか芸術家とかものかきだとか定義するようになったみたい。
     著者はそんなにはっきり書いてないので、私の個人的感想もごっちゃになっております。
     フランス旅行が簡単になるにつれておフランスという特別な価値みたいのは消え、今は死語となったみたい。

    第十七話 三月十五日の出来事
     山田風太郎さんがミステリー文学賞を受ける事になるが、著者は腹をたてている。パーキンソン病で移動も会話もままならない山田先生を、わざわざ本人の出席を、と主催者が強引に頼み込んだらしいと聞いて。だいたい今更こんな賞をあげたってかえって失礼だろう、とも思っている。著者は会場で山田さんが来るのを待っている。師匠を守る一番弟子みたいな気持ちで。
     著者は隣にいる旧知の編集者と話している。二人いる。うち一人とは昨夜も一緒だった。もう一人が昨夜はたいへんだったでしょう、と話しかける。昨夜、ノンフィクション作家の井田真木子さんが亡くなり、著者は何故か呼び出されて病院に駆けつけ、知り合いの編集者たちへの連絡役みたいになったらしい。
     そんな話をしていると山田先生が到着する。式はすぐにはじまり、すぐ終わる。山田先生と車椅子を押す奥さんは30分もせずに帰る。タクシーを見送りながら、著者は何の介添えもできなかったな、と思う。編集者は、山田さんは自分が来たかったんだと思いますよ、みたいなことを言う。
     著者は昔、須賀敦子さんという作家に怒られたことを思い出す。あなたはいつも、関係者みたいな顔をしすぎる、と怒っていたことを。

    第十八話 やむにやまれず嘘をつく
     著者らしき人物がインタビューを受けている。聞き手は若い女性らしい。1975年はどんな時代だったかみたいな話になって、朝日新聞は管理教育やつめこみ教育がいけない、みたいなことを主張したけど実は管理できないほどコドモが崩れはじめた時代だったと著者は答える。
     自由や個性やノビノビみたいな言葉が力を持って、管理は全て悪、結果としてわがままな子が野放しになって個性が個性を壊してしまったと。
     著者の結婚と1年後の離婚、その前後の仕事を転々とした経緯、結局世の中から押し出されるような感じでキャバレーのボーイ経由でものかきになったいきさつなどが話題になる。
     聞き手はダンカイの世代ってそうですよね、俺がワルイ、と相手を叱っているみたいに言って、申し訳ないと言いながら相手を踏みつけにする著者を評する。
     著者は日常に物語を求めすぎたのが自分の失敗だった、日常にリアルを求める方針でやり直したい、とのたまう。
     聞き手はダンカイって、特にあなたって、嘘つきですよね、と決め付ける。
     その方がおもしろければ、やむにやまれず嘘をつくこともあるさ、察してくれ、と著者は答える。


      作家が書くエッセイとか随筆とかは必ずしも実際にあったことばかりを書いているとは限らないそうだけど、かといって全く創作ばかりでもないんだろうな、と思う。
     その方がおもしろければ、やむにやまれず嘘をつくこともあるさ、というのはまさにその通りなんだろうな。
     
     
     
     
     
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