「わたしの四季暦(宮尾登美子著)」
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「わたしの四季暦(宮尾登美子著)」

2018-04-13 19:00
    ・以下は著者が60を過ぎた頃に婦人公論という雑誌に連載した随筆らしい。




    ・寒の水
     若水からはじまって、水あれこれ。満州で経験した水事情から、日本の豊かな水を思う。
    著者は色紙には「水を飲むときは水上を思う」と書くという。

    ・寒稽古
     芸妓さんでモノになった人は、三味線の寒稽古に耐えた人ばかり、というのが著者の実感だそうで、芸事の上達には理不尽な強制がついてまわるのでは、みたいな話。

    ・夜着
     死語になりつつある「ヨギ」について。布団の綿の打ち直しなんて、今どれだけの家庭がやるんだろう、布団は重くないと、と言った舅の思い出など。

    ・炭
     吐月峯(トゲツボウ)というものと、それにセットされた切り揃えられた炭について。
    http://www.geocities.jp/kinomemocho/zatu_togeppou.html
     ※ルビは「トゲツボウ」とあるが調べると「トゲッポウ」「トゲツホウ」とも。

    ・摘み草
     琴で人間国宝だった秋沢久寿栄さんという人について。摘み草をする姿を士族に見初められたという。著者はこの人をモデルに「一絃の琴」という作品を書いたという。
     NHKでドラマになっているらしい。
    http://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009040351_00000

    ・前だれ
     前かけ、もしくは前だれについて。女性が和服を着ていた頃に、着物の前を汚さぬよう作業時に当てていたものだという。力仕事をする男性が、重たいモノを肩に担ぐ時に、前掛けで肩を保護したりもするらしい。だからそれぞれ材質は違うという。

    ・鋏
     愛用したゾリンゲンの料理鋏や新聞切り抜き用の洋バサミ、糸きり用の握り鋏などに関するあれこれ。鋏をまたいではいけませんという教え。

    ・ぬか袋
     外国人向けの高級スーパーで著者はぬか袋を見つける。中身はぬかではなく、香料の入ったパウダーを木綿袋へ入れたものだが使い方は同じだとか。農村で精米所のぬかを使ったら、これには磨き砂が混じっていて顔がひりひりした経験なども。

    ・湯呑み
     著者は抹茶が体質に合わないそうで、茶室に招かれると白湯をいただいているという。茶室の静謐は好きだとのこと。緑茶は大丈夫らしい。なので湯呑みは吟味したいのだが、なかなか思うようにならないという。

    ・振袖
     著者の誕生日にはカラオケ大会が開かれ、著名人が集まることが慣例になっているという。この席で着る着物について、著者は悩み、楽しみにもしているという。

    ・うるしの湯呑み
     著者は若い頃文楽を多く見たそうで、その時に義太夫が語りの合間に茶を飲む姿に粋を感じたという。この湯呑みが欲しくなったが、扇子や手ぬぐいはもらえても、湯呑みは個人の持ち物で無理だった。長じてNHKの邦楽番組に出演した際に太夫の方から製造元を紹介してもらい、ついに手に入れる。本物は内部が金色で、それは妬みから毒を入れられるのを防ぐためだという。実際には茶ではなく中身は白湯だという。著者はそんな心配は無いので内側は漆だという。

    ・半えり
     著者はテレビ出演のときなどは和服で、と所望されることが多く、日常でも和服が多かったそうだが、もともとは病弱のため足元の冷えをカバーするためだったという。
     半えりは必ず白でなければ、というこだわりがあったそうだが、特に深い理由はないという。旧知の呉服屋さんからは色物柄ものいろいろすすめられるが、その気が無いとのこと。
     
    ・ふきん
     ふきんの一種でお膳かけ というのがあるらしい。冷蔵庫も電子レンジも無かった時代は、主人の帰る頃に合わせて料理をお膳に並べ、それに白いお膳かけをかぶせて待ったという。
     主人が帰れば、さあどうぞ、とこれを取ったという。
     料理上手の人に招かれても、ふきんが黒ずんでいたりすると興ざめみたい。今はキッチンペーパーとかいろいろあるけど、白いふきんを使う人は何か信頼できる気もする。

    ・傘
     手作りの蛇の目の傘を置き忘れてそのまま出て来ない。著者は時代劇に出て来るような傘屋で傘を買ってもらった記憶があり、桐油の匂いなども覚えているという。着物に合うのはやはり和傘で、雨傘は今も手に入るけど、和日傘というのは今は手に入らないという。
     調べると今もわずかながら作っているところはあるみたい。1本1万5千円とかする。

    ・のり
     洗濯のりの話。昔はどこの家でもおひつに残ったご飯粒を水に漬け、晒(さらし)の袋に入れてもみ出してその汁を使ったと書いてある。雑貨屋さんでも売っていたらしいが、たまにならともかく毎回買いに行くと始末の悪い奥さん、とかげ口を言われたという。
     浴衣などはのりをつけて半がわきで取り込んで霧を吹きつけて畳んで、ござに巻いて巻きのしをして、上にしばらく座ってしわがとれたらもう一度陰干しにする、と書いてある。
     昔の人はよくもまあ、こんなめんどうなことを。と著者も書いている。

    ・絵日傘
     骨は竹でできていて、絹を二重に張った絵日傘というのがあったらしい。著者が子供時代は家の鴨居や長押に傘棚というのがしつらえてあって、木綿袋に入った傘が寝かせてあったという。花街特有のものだったのかもしれないが、とも。美人で有名な芸妓さんで、黒い日傘を愛用している人がいて、陰でいろいろ邪推されたようだが、理由は顔が映えて、きれいに見えるからだったとか。
     昔のようなものはもう無いんだろうけど、日傘を差す女性は今も多く、UVケアとかで必須のアイテムになっているようにも聞く。ちょっと風情を感じないでもない。

    ・袱紗
     著者は貴重な美術品が見れる、みたいなテレビ出演は好きだったようで、国宝を特別に見せてもらうような機会がけっこうあったらしい。そういう時には着物にも気を使ったという。
     国宝級の茶碗は素手で触っちゃだめで、袱紗越しに持つものらしい。今は袱紗は冠婚葬祭の時に使う人がたまにいるくらいだろうけど、昔は近所に餅を配るときに重箱にかけたりもしたらしい。ではこんどブックオフに本を売りに行くとき袱紗に包んで行ってみようか。

    ・屋形船
     著者は花街育ちの人だそうで、子供の頃は大人が乗る屋形船にあこがれたという。夏も冬もそれなりの風情があり、納涼にはもってこいだったという。
     今東京湾でも屋形船はあって、勤務先の人間と何度か宴会をやったことがあるけど、昔の風情とはまた別物なんだろう。

    ・垣
     私は全然そういう素養がないけど、「奥州安達原」という芝居があって、それに袖萩(そではぎ)という娘が出て来て、「この垣一重が鉄の、」というセリフが有名らしい。
     著者はこれを例にあげて、戦前の日本家屋の隣家とのへだては小さな竹垣や卯の花、連翹などやわなもので、その気になればひとまたぎできるものだったがあえてそれを越える者も無く無用心でも心配なかったという。

    ・夏の枕
     寝苦しい夏の夜には藺(いの)枕、藤枕、かご枕、陶枕、などが活躍したものだが、著者は藺枕に枕紙をかけて使っていたという。これは寝相が悪いと紙がどっかへ行ってしまうそうで、日本髪を結って高枕に寝る人などは寝相の訓練も必要だったらしい。著者は日本の枕は小さすぎるといい、西洋の広いゆったりしたものを愛用とのこと。
     私は50肩をやってから低反発枕みたいのを使うようになった。

    ・団扇
     昔は団扇というものは出入りの米屋、魚屋、酒屋味噌屋などからお中元などでもらえるもので、わざわざ買うものではなかったという。家族が多いとこれは誰の団扇、と決まっていて、外出の際には竹の団扇差しに差して出かけ、便所や台所には専用の団扇があり、来客用の団扇かごも座敷に置かれていたという。便所用は油紙を使ったもの、台所用は柿渋を塗った渋団扇が著者の家では定番だったという。裏長屋の女の内職は団扇張りが多かったという。
     今も団扇をくれる店はあるが、骨はプラスチック製ばかりになった。

    ・土用
     年に4回土用はあるが、土用といえばやはり夏。土用のウナギはもちろんのこと、土用干しや土用餅、土用休み、土用灸などかかわる言葉も多い。昔の木造建築の日本家屋は衣装の陰干しに適していたという。著者は土用を前にして、身体の手入れとして医者に行ってきたという。

    ・帯
     著者は自作の映画化をめぐり、何度断わっても映画にさせてほしい、というのに根負けし、さらにその脚本に絶望し、手直し交渉にほとほと疲れ果てる、という経験をしたらしい。疲労困憊したため講演に出かける際も帯を締める気力が出ず、洋服で失礼したという。戦前は普段使いの帯は古着を利用して各家庭で作ったりもしたらしい。

    ・ひとえもの
    着物には季節に合わせたルールがあって、六月と九月はひとえもの、となっている。同じひとえものでも厚手のものうすいものいくつかあって、季節の変化に合わせていく。夏になれば絽や紗のようなうすものに、冬に向えば袷になっていく。
     著者には満州からの引き上げ時に着物に関するせつない思い出もあり、ひとえものの季節は胸に去来するものがある様子。

    ・針箱
     著者は手先が不器用だそうだが、針箱は持っているという。出掛けに気に入りの服の襟が汚れていれば、取り外して洗い、また縫い付けたりするらしい。だが針箱の中は乱雑だそうで、針箱を磨かねば、と思う日常だという。

    ・障子
     著者は東京に出て20年以上マンション暮らし。障子の無い家で暮らしているが、最近障子が懐かしくなる。だが以前は障子が嫌い。嫁ぎ先の38枚の障子を自分ひとりで毎年張り替えないといけなかったから。最初は障子のない家が嬉しかったのだが、今は障子のひとつも入れたいななどと思っているらしい。

    ・ふろしき

     著者に「つむぎの糸」という著書があり、今は変わっているみたいだが以前の表紙は風呂敷の隅を白糸で補強した写真だという。
    薬のつづらを風呂敷に包んで背負ってきた富山の薬売りのおじさんみたいに重いものを持ち運んだり、ものを大切に保たされたりと風呂敷はなかなか用途が広い。
     でも洋服全盛となって若い人には風呂敷は使われなくなり、著者自身も使う機会は減っているがつとめて使うようにしたいと結んでいる。

     
    ・歯替えやさん
     下駄には表と歯が一本の木でできているくり下駄というものと、歯が交換できるようになっている木履(ぽくり)というものがあって、木履は歯が磨り減ったら交換できるようになっていて、歯替えやさんというのが巡回してきて取り替えてくれたという。著者の子供時代はその歯替えやさんが町を流していたという。

    ・辞書
     著者は思い立ったように時々ホテルに缶詰になるが、予定を早めて本来の仕事場に戻ってしまうことが大部分らしい。ホテルよりも自分の仕事場の方が執筆の合間の気晴らしや気分転換がやりやすい、ということもあるが、最大の問題は辞書で、広辞苑や全12巻の大漢和辞典、京都語辞典や類義語辞典などが持ち込みきれないので用が足りない、という事情もあるみたい。

    ・肩かけ
     小学生の頃の著者は病弱で学校をよく休んだそうで、親も次第に過保護になり、肩掛けを作ってくれたという。呉服屋に特注した品で、意外にあたたかくもなかったが著者はそれから4年くらい使ったらしい。戦後ものの無いときには木綿糸で肩掛けを編み、これもあたたかくはなかったが長年愛用したという。大人になってからも、肩掛けではなく今はショールかもしれないが、そういうものは好きだという。

    ・お手伝いさん
     著者は自分の実家や近所の人、自分自身の家族などをネタにして小説を書いてきた人という事で、特殊な商売の家でもあり多くのお手伝いさんがいたのだが、この人たちについてはあまり書いていないという。現在の自宅には高校を出たばかりの若い女性の二代目のお手伝いさんがいるという。

    ・毛皮
     夜の酉の市に出かけて、その寒さに毛皮が欲しくなる。一枚だけミンクのストールを持っているが、普段は使う機会がない。客船に乗ったときに使っただけで、その時は外国人客の毛皮の使い方に感心する。肩を出すイブニングドレスを冬でも着る習慣のせいもあるらしい。
     日常的には着る機会もなく、高価でもあり気恥ずかしく重たくもあるものが、何故時にものすごく欲しくなるのだろうか、みたいな話。

    ・火鉢
     著者は生活の中に火鉢があった世代で、火鉢を囲んで手遊びや料理をした思い出がある。それは母親の姿とも重なる。火鉢の灰は手入れをするものらしく、ふんわりとやわらかい灰を見れば誉めたくなるものだったらしい。長火鉢は母親にとっては、男の机と同じように心身のよりどころになっていたようだったという。
     火鉢は一酸化炭素中毒の恐れがあるせいか、炭というものが庶民の生活から遠ざかっていったせいか茶室などをのぞけば今は見かけない。中毒の警報機など組み合わせれば、節電になる手頃な暖房器具として見直される時代がくるかもしれない。すると炭の需要も蘇って、里山や林業にいい影響があるかも。原発ゼロとか運動するならそういうことも考えてみてはどうか。

    ・雑巾
     著者の母親は雑巾上手な人でもあったようで、当時の木造日本家屋は一日中雑巾のお世話にならねば快適に暮らせなかったこともあり、そうでなければならなかった面もあるみたい。
     雑巾は必ず不要になった布きれを縫わねばならず、嫁入り道具にも手刺しの雑巾を持っていったという。黄土の満州ではどうせ無駄なのでか誰も雑巾は使わなかったという。

    ・羽子板
     土佐では「はぐいた」と発音すると書いてある。押絵のついていないものは板子(読み方がわからない。いたこ だろうか)と呼び、羽根突きはこちらでないとできない。花街の姐さんたちが客に買ってもらった羽子板が並べられ、それが勢力を表わす、なんてこともあったようだ。

    ・暦
     昔のカレンダーというのは日めくりと決まっていたらしいが、今は月めくりなどが主流になって日暦は少なくなった。日めくりを一日一枚ではなく、数日先までめくってしまうと、自分の死ぬ日をめくり当てる、と言われて凶事を呼ぶタブーだったらしい。
     著者は小説になるくらい波乱万丈の人生だったようで、9歳で転居、数え19歳で結婚・・・と代末に人生に大きな変化が来るという。59で六本木に仕事場を構えたのが一番最近の変化だとか。

     
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