「一応の推定(広川純著)」
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「一応の推定(広川純著)」

2018-05-29 19:00




    ・「一応の推定」というのは保険業界の用語みたいなもので、保険の契約者が遺書を残さずに死亡した場合、それが自殺か否かを判定するための認定基準のようなものらしい。
     動機・意志・精神状況・死亡状況の4つの点からみて明白で納得が得られるようであれば、裁判官に認定されるという。自殺と認定されると保険会社は保険金を払わなくてよいことになる場合が多く、これを調査するための調査員がいる。

     JR東海道線の大津市にある膳所(ぜぜ)という駅で、男性が電車のホームから落ちて電車に轢かれ、即死する。彼には心臓疾患のある孫がおり、心臓移植しか治療方法がない。だが年齢的に国内では手術が禁止されている。海外に行くしかない。それには5千万程度の金が必要になる。死んだ男性は3千万の傷害保険に入っていた。
     この保険金が速やかに出れば、手持ちの貯金や寄付と合わせて4千7百万となり、孫を海外に送り出すことができる。いつ急変するかわからない状態であり、男性の妻をはじめとした遺族は一刻もはやくそうしてやりたい。だが自殺であれば保険金は出ない。男性がこの契約をしたのは3ヶ月前であり、計画的に事故に見せかけて自殺した可能性もある。一方で一月後には妻と旅行の予定があり、仕事もかかえていたなど反証もある。

     損保会社は保険調査事務所にこの調査を外注し、こうした調査には経験が必要なため、調査事務所長はあと数週間で定年を迎えるベテラン調査員に担当させることにする。
     実際に男性と契約した保険会社の代理店の人間、損保会社の若い担当者、男性の妻と姪と、調査員は顔を合わせて事情を聴き、調査に入る。通常はそんなことはないらしいのだが、発注元の損保会社の課長から担当者である主査を調査に同行させてやってほしい、と依頼される。
     担当者は若く、普段は書類相手の仕事しかしていない。これは自殺に違いない、と思い込んでいるようで、そう決め付けたような発言をして依頼者の姪を怒らせる。調査員に対しても、現場なんか見ても意味無いでしょう、みたいなことを言う。保険会社では損害率の低下に力を入れており、つまり保険金を払わなくていいように力を入れている、ということである。

     調査員は思い込みが強すぎて失敗したことがあります、などと自分の経験を話してやんわりと担当者に言い聞かせるが、現場の駅に行き、助役から話を聞くと、男性はカバンをホームの柱に立てかけてから転落したことがわかる。当時客は少なく、その瞬間を見た人は誰もいないという。ただ、その直前に男性を見かけた人物がいたことはわかる。
     当日は雪がちらついて寒く、転落した場所は吹きさらしのところで何でこんなところにわざわざ、とも思われる。灰皿が近いので煙草を吸うためだったのかもしれない。

     次に警察に行き、警察は事件性があるとは考えていない、つまり殺人や過失致死ではないということを教えてもらう。遺書はなく、自殺とは決めつけられないとも。調査員は亡くなった男性が3千万の傷害保険に入っていたことを伝え、その書類のコピーを取りませんか、と持ちかける。刑事がコピーを取りに席を外すと、彼は調書をめくってそこにホチキス留めしてあった名刺を暗記する。これがおそらく、ホームに居合せた人物だ。
     若い保険会社員はそんなことをしては、と狼狽する。戻ってきた刑事は参考になりましたか?とニヤリと笑う。

     調査員は、保険会社員に警察は自殺だったとも、そうでなかったとも言えないのですよ、何故ならそれを私のような調査員に話して保険会社が保険金の支払いを拒めば、遺族が警察を訴える可能性があり、民事裁判に巻き込まれるかもしれないからです、と教える。
     刑事も人の子であり、できれば遺族に保険金が支払われるといいな、とは思う。だから彼らの話は自殺ではなかった、という心象を与える方に傾くのです、調査員はそれを真に受けてはいけません、とも。

     続いて調査員は病院に行く。ここには亡くなった男性の孫娘が入院している。孫娘は3歳で話はできるが、鼻にはチューブが通り、腕には点滴の針が入っている。顔色はチアノーゼで悪く、見えないが足やお腹は腫れているという。急性拘束型心筋症という、心筋が硬くなって成長しない病気だという。孫娘は男性が亡くなった日に見舞いを受け、クリスマスプレゼントを受け取っている。そしておじいちゃんの死は知らされていない。
     彼女の母親、つまり亡くなった男性の娘は調査員に手間をかけさせて申し分けない、という態度で接する。はやく保険金払え、という感じではないが、娘を助けるためにはやく手続きを、とは当然思っている。この話は祖母、つまり男性の妻が娘と孫の様子を見かねてできるだけはやく、と持ちかけたものらしい。ここで男性が最近は煙草を辞めていたことを聞き出す。病室を後にするが廊下で見知らぬ女から、あの人やっぱり自殺だったん?直前に親子でこれでお別れ、みたいに泣いてはった、みたいな話を聞かされる。

     無責という用語があるようで、保険金を支払わないという意味。調査員が自殺であったとはっきりさせて無責と処理できれば、保険会社は三千万の保険金を払わなくてよくなって150万円の報奨金が出て、これを調査会社と調査員個人が折半できる。つまり調査員は75万円の特別ボーナスを手にすることができる。

     この段階で、調査員はこの案件は難航しそうだと思っている。通常の一般調査ではなく、調査費用も調査範囲も拡大する特別調査になるかもしれないと思っている。

     翌日、亡くなった男性の世話になっていた商事会社に調査員は行く。もちろん損保会社員も同行する。男性は特別な機械を設計製作する技術職人といったような人物で、腕はいいが対人関係は口下手で、この会社に営業を代行してもらっていたという。
     商事会社の社長は仕事も順調だったし、性格的にも自殺するような人ではないなあ、と証言する。
     次に亡くなった男性の働いていた個人経営の工場に仕事を頼みに来た客というふりをして、隣の工場主から世間話をする感じで聞き込みをする。すると男性は不渡手形をつかまされていて、そのために資金繰りに窮し、近々廃業する予定だったと聞かされる。また、借金を返すために銀行から自宅を競売にかけられそうになり、以前世話をした銀行員がそれを聞きつけて少し条件のいい不動産屋を紹介するなどして買い叩かれはしなかったが、それでも自宅を手放してもまだ借金が残ったはずだという。
     損保会社員は、これで自殺間違いないですよ、みたいに意気込む。彼は聞き込み中に、教えてもらって当然、みたいにきつい質問をするところがあるが、調査員は警察と違い調査権があるわけではない、あくまでも相手の善意で答えてもらうのだ、とやんわりと軌道修正する。

    既に手放した故人の旧居近隣の住人はどこも門前払い。調査員はこれが普通なんですよ、と損保会社員を諭す。そして法務局に行き、故人の不動産謄本を申請する。「共担目録付き」として申請すると、金融機関がどんな担保をつけたかもわかるらしい。これで故人の土地に4千万円の根抵当権がついているとわかる。

     さらに故人を轢いた電車運転手の話を聴くためにJRの安全対策室というところを訪ねる。運転手に直接話を聴くことはできないが、社内で事故当時の状況を聞き取った範囲で教えてもらえることになる。運転手は、故人がホームから落下する様子を最初から見ていたことがわかる。もちろん遠目で一瞬のことである。また、運転手は常に視線を動かして信号や左右、遠近の安全確認をしているため、普段と違うものが視界に入っている、程度の認識だったらしい。
    その範囲内で、線路に落ちた人物は逃げようとせず、動かなかったと証言している。これが気絶や怪我・痛みで動けなかったのか、覚悟の上でかはわからない。だが、ここで運転士が、ホームにもう一人客がいて、この客は一部始終を目撃できる場所にいたのではないか、と非公式に答えていることがわかる。非公式なので書類には載っていない。これは先に駅の助役や警察で聞いた話とは食い違う。この人は違う位置にいて、その瞬間は見ていない、という話だった。

     調査員はこの目撃者かもしれない男性に話を聞きに行く。警察で盗み見た名刺でどこに行けばいいかはわかっている。だが、そこに家はなく、マンション建設予定地の空地があるばかり。建築業を営んでいたらしいその人物は、警察に出した名刺の住所は半年以上前に倒産して家を抵当に取られて追い出された、と運よく近所の老婆から聞き出すことができる。転居先もわからないが、妻と文通していたという人を紹介され、鳥取県の住所を教えられる。ただ、奥さんとも倒産時に離婚しているらしい。

     これまでの話を整理すると、故人には借金があり、これを計算に入れると孫の渡航費はとても捻出できないことがわかる。覚悟の自殺だとするとこれはおかしいように調査員は思う。
     一方損保会社の若い社員は、これまで集めた材料で十分に一応の推定が成立し、保険金は払わずに済みそうだ、と自分で結論を出してしまう。

     調査員は先走りする彼に、ある事を聞く。すると答えは彼の想像通りだった。調査員はある人物を呼び出して、ある質問をする。すると相手はこれまでの証言をひるがえす。
     その人物は全くの善意から、ある偽証をしたことを認める。そんな重大なことだとは思わずに。

     調査員は報告書を仕上げ、その報告書を元に弁護士も含めた打ち合わせが行われる。これで会社としての方針が決まる。
     損保会社の社員は、自信たっぷりに無責扱いとしよう、と方針を述べる。裁判になっても自殺である、と一応の推定がなされる、裁判に勝てる、と確信している。だが調査員はこれに疑義を述べる。損保会社の上司は、調査員が情に流されているのでは、とちょっと不満を持つ。

     調査員は言う。裁判をして、結果はともかく孫が亡くなったとする。その時、損害保険会社は利益を得られるかどうか、と。弁護士はそれはありえますね、と同意する。

     調査員は一つだけ調べ残していることがある、その調査にあと数日時間がほしい、と訴える。その期限は彼の退職日を過ぎている。

     そして調査員は、自分の送別会もすっぽかして最後の調査に向う。彼は保険会社に有利になるよう、尻尾を振っているわけでもなく、孫娘に情をかけて遺族に有利になるように配慮しているわけでもない。何が真実で、何が真実でないかをきちんと調べたいと思っている。

     そして、ここからも結構長いのだけど、いろいろまがりくねってようやく真相が明らかになる。マイナス×マイナス=プラスみたいな、二段、三段構えみたいな。

     損保会社の若い社員も、書類ではなく人間を見る、みたいにちょっと変わる。


     これは面白かった。第13回松本清張賞を、そうそうたる審査委員全員一致で受賞した作品とのこと。著者も保険調査会社に勤務経験があるみたい。現在71歳で、作品はこれのほかもう一作だけの模様。
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