「ベイルート情報(松本清張著)」
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「ベイルート情報(松本清張著)」

2018-07-05 19:00


    ・4つの作品が収録された短編集。

    ・脊梁
     東京郊外の農村が開発されつつあるような土地では、夜這いのような風習が残っており、双方の両親公認で男の家に通う女性がいる。男は離れに住んでいるので泊まるのに支障はない。
     ある日、女が夜中に目を覚ますと、男はどこに行ったのが布団は空だった。すぐ眠ってしまい、しばらくして男に起こされる。
     翌日、近隣の夫婦が強盗に殺されたことがわかる。犯行時刻は男が布団を空けていた時間に一致する。やがて村のチンピラが逮捕されるが、チンピラは男が主犯で自分は手伝っただけだったと証言する。もちろん男は否定する。疑われた男をかばおうとした女性は、その時間に男が不在だったことを証言しないことにする。一晩中一緒だったと証言してアリバイを証明しようとしたのだが、裁判は難航し、男が無罪との証拠は彼女の証言しかない状態になってしまう。拘留が続く男を待ちきれず、家族の圧力もあって彼女は縁談に応じて違う男と結婚するのだが。
     彼女の証言だけが、男の有罪と無罪を分ける脊梁のようなものになってしまう。

    ・晩景
     息子夫婦と暮らす、引退した老人。嫁に小遣いをもらって暮らしている。老人には仕事がある。裁判所に通うという仕事が。彼が特許を取ったある発明が、大企業によって勝手に使われて、老人は特許権侵害の訴えを起こしている。
     だが個人が大企業を訴えても、なかなか思うように運ばない。大企業側も個人の息切れを待って、引き伸ばし戦術に転じてきた。証人を隠し、裁判書類を改ざんして論点をずらし、個人を押しつぶそうとする。事実では老人の方が確実に正しいのだが。老人は決して多くない自分の資産をこの裁判で使い切ってしまう。

    ・軍部の妖怪
     ある陸軍の軍人について。ある陸軍大臣と風貌が似ているのを利用して、その人物の落しだねというのを酒席での常とした彼は、小学生の頃から遊女屋通いをはじめ、一度は退校処分となるが実家が土地の資産家だったせいかほどなく学校に戻り、首席で卒業。
     陸軍幼年学校、士官学校、陸軍大学と進む。大学時代にはある未亡人と通じて同棲し、ここでも退校させられそうになる。
     中国に赴任し、満州の海城に三年間勤務。その後参謀本部や上海で勤務を重ね、阿南惟幾や大川周明、板垣征四郎といった人々と知己を得て勢力を伸ばす。
     ハプジャップ事件というのがあって、その縁で川島芳子と知り合い、彼女を愛人とする。彼女に工作させて日本人僧侶襲撃事件を起こす。これが上海事件につながり、国内に戻り結婚して娘も授かるが遊郭通いは止まらない。各所に素人の2号、3号も作る。中央でもてあまされて奉天に出される。関東軍に引き抜かれた形になって、ここで殷汝耕と手を組んで莫大な利益を得る。軍の機密費も吸い上げるようになっていく。蒙古にも工作を続け、彼らを日本側につかせることに成功する。このころ東条英機との知遇を得て、次第に板垣から東条にスタンスを変えていく。実力ではなく、コネによって異例の出世を続け、機密費を使って女遊びを続ける彼には、武藤章という人物が軍内での敵として立ちはだかる。
     日米開戦の頃には彼は一線を外され、武藤と彼の後ろ盾である東条を憎むようになる。自ら陸軍を辞して精神病院に入り、憲兵の追及をかわしつつ敗戦を迎える。
     彼は敗戦後積極的に東京裁判に関わり、証人として東条や武藤が有罪となるような証言を多数行う。その後自殺を図り、痴呆症を発症する。

     というような、「彼」の人生を紹介しつつ中国でのこの時代の出来事を記述したような作品。こんな人物は創作だろう、と思ったらモデルがあるらしい。松本氏がその人物に興味を持ったということか。

    ・ベイルート情報
    1964年、カイロを訪れた主人公は勤務先の関係からある商社の現地支店の世話になり、次長の肩書きを持つ商社員と知り合う。彼の勤める商社は戦時中は軍に協力して敵情を探ったこともあり、現在も商売上の情報収集は行っている。そんな話をしているうちに、ベイルートの情報はアテにならない、という話になる。当時の世界情勢ではレバノン、シリア、ヨルダン、イラン、サウジアラビア、イエーメン、イラクなどの回教国は連合してイスラエル打倒の立場であり、現在のエジプトを含むアラブ連合国は反イスラエル。イスラエルという共通の敵を持ちながらも各国の思惑は異なって反イスラエル国家同士も仲がよろしくない。ベイルートではそんな思惑違いの勢力それぞれの情報源があり、何が正しいのか複雑怪奇だという。当時はナセル大統領が健在である。
     そんな中で、次長が回教徒とだと教えられる。彼はアラビア語も堪能である。なぜ入信したかはひと口では言えないという。彼とアレキサンドリアに観光に出かけた主人公は、しばらくぶりで現地の知り合いを訪ねたが、同一人物のはずなのにお前を知らないと言われた、と困惑する彼の様子を目にする。
     彼とはあちこち一緒に移動するようになり、ベイルートでもしばらく滞在する。ここで虫歯が痛み出した主人公は彼の紹介で治療を受け、移動先のダマスカスで治療を引き継ぐ歯科医も紹介される。ベイルートからダマスカスまでは4時間ほどだが、レバノンとシリアの関係は微妙で検問は厳しい。イラクの検問所も通るらしい。
     歯科医の治療も済ませ、ナイトクラブみたいなところで商社のダマスカス支店長に歓待された主人公はある有力者を紹介される。彼はシリアの貿易商だという。熱心な愛国者ということで政府にうけがよく、放送局もひとつまかされているという。
     そんなことをしているうちに、忽然と次長はホテルから姿を消し、行方不明になってしまう。だが支店長はこれを警察に届けようとしない。気になるままタイムリミットが来て主人公は帰国する。真相がわかったのは翌年、ある新聞報道に接してからだった。

     特に何か推理すべき事件がおきるわけではないが、日本の常識とは異なる国際都市の不思議さ、底知れなさみたいのが感じられる作品。

     後ろの2本は推理小説ではないと思うのだが、戦争に至る中国での日本陸軍の動きや、中東情勢の分析など新聞記事で読むよりもわかりやすく書かれている気がする。
     松本氏の把握して噛み砕く能力なんだろうな、と思う。


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