「どぶどろ(半村良著)」(長編部分)
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「どぶどろ(半村良著)」(長編部分)

2018-10-02 19:00


    以前短編部分だけ紹介した本。
     http://ch.nicovideo.jp/metabou/blomaga/ar1635369

    ・長編部分の主人公として、平吉という男が登場する。著者には「およね平吉時穴道行」という作品があって時代も近しいが、直接関係はないと思う。

     平吉は銀座の町屋敷(ちょうやしき)というものの人間で、一目置かれる立場にある。有名な町役人(ちょうやくにん)、岩瀬伝左衛門とその息子である山東京伝の存在がその背景にある。

    という文字があって「こ」と読むそうで、漢字の「古」からきているらしいけど
    平吉はひどいがに股で、袖を引っ込めて歩いている様子がこの字に似ているということで「この字」というあだ名をつけられている。ひどいあだ名だがこれが愛称として定着しており、子供たちにも「この字の平吉」と呼ばれる人気者である。平吉も子供の相手をよくする。

    ・銀座町屋敷というのは今で言えば銀座役所とでもいうような存在で、間口十九間、奥行三十五間という広さ。19×35で665坪、1間1.8mで換算すれば34m×63m=2150㎡にちょっと足りないくらい。畳一畳を大雑把に半坪とすれば1330畳の広さがあり、ほぼ同等の広さの常是屋敷というのと隣り合っている。今で言えば銀座二丁目あたりにあったらしい。
     平吉は銀座役所に勤めているわけではなくて、銀座の町役人である岩瀬家の下僕なのだが、その執務所が銀座役所の中にあるので当然ここを出入りするようになる。子供の頃からこの屋敷内で暮らしている平吉はそのおかげで八丁堀の旦那衆や町の親分衆とも自然に顔見知りとなり、背景の岩瀬家の力もあって一目置かれるのである。

    ・平吉は短編部分に登場した小間物屋の源助や女板前のお梅とも親しく口をきく仲である。お梅はもともと岩瀬家の紹介で女板前になったらしい。その前は尾張家で奉公していたという。

    ・平吉の日常は、旦那である岩瀬伝左衛門のご用をつとめ、時には山東京伝のお使いもつとめる、みたいな感じ。主に外回りの仕事を引き受けている。彼は子供の頃に両親を亡くして、百姓に拾われて縁あって伝左衛門の下僕となり、そのまま成人した。今は屋敷の外、近所の大冨町に家を持っている。京伝の戯作の弟子に与力がおり、その部下の同心と平吉は一緒に出歩くことも多いので、平吉も岡っ引きみたいに思われている。本当は違うのだが。
    ・伝左衛門も年なので、書き物を手伝ってくれるいわゆる書き役がほしい。平吉ではそうした仕事は勤まらない。そこで新たに繁吉という若い男を雇う。この繁吉も短編に登場している。その時はたばこ問屋の手代だったが、その店では主人と同じ伊勢出身者ばかりが出世して、本所の出の自分にはその見込みがない、と見切りをつけて転職してきた様子。

    ・平吉はこの銀座町屋敷での仕事に誇りを持ち伝左衛門のことを尊敬しているが、繁吉は銀座の仕事にはいろいろ余禄があってピンハネなんかもしてるんだろうな、とちょっとスレている。繁吉が前の店をやめたのには表向きとは違う理由があるらしい。

     平吉には一つ年下だが気の合う親友がいる。その高井松之助は町医者の息子で自分も医者である。松之助は頭が良く、繁吉の話を聞いて怪しいな、嘘をついているよ、気をつけな、と平吉に忠告する。松之助は医者の仕事に最近疑問を持っている。父親は世間と馴れ合うばかりだけど、医学はそんなもんじゃないんじゃないか、短編に出てきた渡辺順庵という、名高い医家に生まれながら身分の低い女と所帯を持つために家を出て、今は蘭方医学をやっている男がいる。松之助は順庵とも親しく、自分も蘭方をやりたがっている。
     松之助は平吉にも岩瀬家への恩義は恩義として、岩瀬家が実際はどのように生きているのか、町屋敷はどのような仕組みで回っているのか、考え直してみた方がいいと言う。

    ・もともとは質屋の番頭に過ぎなかった伝左衛門が、何故銀座のような町にあとから町役人に入って、二十年も勤めていられるのか。伝左衛門の妻の妹、義妹のお勢は名門・青山下野守のご側室。青山家は初代江戸町奉行や関東総奉行も勤め、現在の寺社奉行もお勢の生んだ子供である。青山家は本家・分家とも幕府の要職を勤め、同じように奉行を勤めることの多い曲淵家とも縁戚関係にある。この二家が手を組めば、たいていの無理は通る。例えば伝左衛門を目付けとして銀座に送り込み、ここの商人たちを抑えるとともに膨大な利益を吸い上げるようなことも。松之助はあまりにも伝左衛門に傾倒している平吉を案じて世間の噂を聞かせるのだが、平吉はもちろん喜ばない。

      それでも平吉と松之助の仲は良く、平吉は庶民がお上に気軽に物を申す窓口みたいになっており、お上が庶民の様子を知るにも重宝される。平吉は自分の立場に満足し、世の中の何も疑うことなく毎日をせいいっぱい生きている。

     だがある事件をきっかけに、平吉の日常は崩れていくことになる。本所で殺人事件があり、平吉は伝左衛門に引合いを抜くよう頼まれる。これは犯人が銀座の人間らしいので、調べに手心を加えて、何もなかったことにしてくれと八丁堀に頼んで来い、ということである。
     つまりワイロを使って犯罪者を守れということだ。めったにないことだがこの時代では常識でもある。だが平吉がそう聞いて根回しに行くと、当の奉行所の中でも事件発生を知ったばかり、犯人の目星もこれからである。その段階で平吉にそのような命が下ったということは、伝左衛門がこの殺人に関わっているかもしれないということだ。持たされた金子も相場よりだいぶ多い。
     殺されたのは小六という老人で、屋台の夜鳴き蕎麦屋をやっている。短編に登場する人物だ。今は落ちぶれているが、もとは大店の主人だった人物である。
     引合いを抜くのは通常盗みとかごく軽い罪の場合で、殺人事件の場合はちょっと無理がある。それに犯人が誰かわかっていないのに抜けというのも妙な話だ。まるで犯人は伝左衛門だとでもいうようだ。
     本所深川の岡っ引きとは特に親しくも関係が悪くもないというところだが、平吉はがに股もあってちょっとトロく見える。これが彼の武器で、相手が警戒心を持たずに思わず余計なことまで喋ってしまうのだ。そして殺しがあったのは親しい源助の地元である。平吉はすぐにこの事件について、犯人を除けば江戸一詳しくなる。
     親しい源助が相手なので、平吉は敬愛する伝左衛門の様子が今回はどうもおかしい、みたいな話をする。そんな話をしているうちに、伝左衛門の息子である山東京伝が、実は伝左衛門の実の子ではなく、尾張の殿さまの御落胤だと庶民の間では囁かれていることがわかる。源助は周知のこととして語ったのだが平吉はこれを全く知らなかった。

     積んだ金子の効果か、事件はすぐに話題にならなくなってしまう。捜査を続けているのかどうかも怪しい。犯人も上がらない。小六は刀で斬られていたということで犯人は侍らしいのだが。つまり金目当ての物取りなどではないということだ。
     平吉は源助を通じて宇三郎と知り合う。小六と公私で縁のあるそば屋だ。小六が落ちぶれるきっかけとなった花魁の現在の男でもある。最もこれは小六の死後、その花魁が小六の死体を見てしまったことからわかったのである。だが小六の方は宇三郎がかつての自分の女の旦那であることを知っていたらしい。
      また、小六が殺されていたのは神谷清兵衛という侍の屋敷の塀の外で、神谷の仕事は御勝手方掛、今で言えば財務省みたいなものでつまり銀座とは関わりが深い。
      やはり短編に登場するもと盗賊で今は酒場の親父、安兵衛も話に加わり、安兵衛の話から銀座の金が密かに持ち出され、高利貸の桐山検校という男のもとに流れて高利貸の資金になり、少し増やされてまた銀座に戻って来るらしいことがわかる。大名の依頼で今の銀貨を古い銀貨に作り直してほしい、みたいな依頼があった時(海外との貿易に使うには古銀の方が都合がいいのである)、1日でできる仕事を百日かかると言って預かった銀を留め置き、それを高利貸に回して増やす。利益は銀座と高利貸とそれを見て見ぬふりをする御勝手方掛で分ける。
     銀座の取りまとめ役である伝左衛門には黙っていても莫大な金が入る。義妹の縁で奉行を命じられる名門武家と伝左衛門は親しく、奉行を抑えればこの仕組みが咎めを受けることは無い。

     平吉はこれまで、世の中の仕組みはきちんとしていて、偉い人たち、お上や老中や奉行や大名たちは立派な人々で、その立派な人々が世の中をきちんとしていると思っていた。だがここ数日見聞きしたことは、そういう人たちも金が欲しくて欲しくてあさましく立ち回っている、貧乏人と同じ醜さを持っているのだ、という気持ちを平吉に起こさせる。
     平吉は、そうしたあさましい人たちの中に、自分には親同然の伝左衛門や京伝も入っているのだろうか、と恐れを持つ。何か自分がこれまで信じていたことが崩れていくような気がしている。

    ・平吉は京伝のもとを訪れ、自分の思うことを話す。京伝に止めてほしかったのかもしれないが、京伝はよくそこまで育ってくれた、たとえこの私を敵に回してもお前の思うとおりに調べをすすめ、世の汚辱を暴くがよい、とある意味突き放した答えをする。平吉は心細く思う。
    京伝はこれを食べてみろ、と白牛酪(はくぎゅうらく)というものを出して来る。それを食べてよく考えてみろ、というのだ。これはもともとエゲレスから伝わったもので、バタという。今は日本国内でも作られていると説明される。
     

    ・そんな時、またしても殺人事件が起きる。被害者はこれも短編に登場した油問屋の女主人・おその。評判の美人だが、玉の輿と思って嫁入った男が人間の屑で、店を独りで切り回していた。だがこんな店にいても将来はない、と奉公人が次々に逃げ、経営も火の車だった。
     高利貸、桐山検校にも借金があり、それを返すのもままならない状態だったらしい。

     実は安兵衛に一度話を聞いてみるがいい、と言われていた男がいて、その伊三郎という男は検校のところの取立人なのだが、もとは盗賊・安兵衛の部下で、子供の頃はおそのと同じ長屋で暮らす幼馴染だった。金を取り立てる側と取り立てられる側として再会し、二人はできてしまう。最近は伊三郎が返済能力を失ったおそのの借金を埋めてやったりしていたらしい。伊三郎はその穴埋めのために他から厳しい取立てをし、鬼と呼ばれて検校にも使える奴、と目をかけられていたという。金の動きを聞くなら伊三郎がうってつけだったのだが、こうなってはそれどころではない。おそのも刀で斬られたらしく、犯人は腕の立つ侍と思われる。だが真っ先に疑われるのは伊三郎だ。

     安兵衛のところにいくと伊三郎がいる。彼が言うには伊三郎は無実だが、これからおその殺しの犯人にされる。平吉もそう思う。
     おそのは何故殺されたか。桐山検校が身分の高い侍にいい女を世話してくれ、と頼まれて、客の中でも美人と評判のおそのに目をつけた。もちろん伊三郎には内緒だ。それどころかおそのには伊三郎を助けるためだ、みたいに言ったっかもしれない。その結果口封じに殺されたのだ。

     平吉はいてもたってもいられなくなる。世の中にはこれまで自分に見えていなかった汚いものがいっぱいある。貧乏人はそれでも毎日をなんとか正直に生きている。なんとかしたい。だが自分にはそのために何をしたらいいかわからない。知らないことが多すぎる。

     京伝に食べさせられたバタというものがある。エゲレスから伝わったものらしい。エゲレスについて知りたい。松之助を介して渡辺順庵に会おうとする。
     松之助は心よく承知し、順庵のところに向う途中でわざと遠回りしてある屋敷を見せる。松平越中守。おととしまで老中首座だった松平定信の屋敷である。
     松之助はいう。今の世の中は、田沼と松平の喧嘩なんだと。もちろん田沼意次は既に死に、松平定信も既に失脚している。でも世の偉い人たちは、その二人が象徴するどちらかの派閥に多かれ少なかれつながって生きている。
     日本でバタを作っているのは田沼の側近だった稲葉正明だ。つまり京伝や伝左衛門は田沼派ということかもしれない。
     順庵は、平吉に京伝がバタを食わせたのは、銀座には不正があって、京伝や伝左衛門もこれにかかわっている。だがそれは世の中というものなんだ、お前もわかれという謎だろうと読む。
     海外から様々な書物と科学知識が入ってこようとしているのを、お上は必死に止めているんだ、何故なら自分たちに都合がわるいからだ、と順庵は語る。

      順庵の見立てでは、岩瀬家は松平派だろうという。岩瀬家が味方ということは松平派が銀座を握っているということ。そしてもともと銀座が力を持ったのは、田沼が導入した専売制があったからだと順庵は言う。その専売権を持った人間たちが作る集団が「座」だ。何故専売制にするかといえば、そこから金を吸い上げやすいからだ。

     順庵は蝦夷地開拓や印旛沼開拓など、田沼が計画したことの長所と短所を上げ、それを潰した松平の長所と短所も指摘する。松平はことの良し悪しを考える前に、田村のやったことは全て悪だ、と潰してしまった。専売制もまたしかり。

     曲亭馬琴という男がいる。後の世には滝沢馬琴として知られる男で、この当時は滝沢清右衛門と名乗っている。京伝のところに出入りして戯作を書いている博識な男だが、これまで平吉はあまり好いていなかった。その馬琴が平吉に言う。
     通貨を作ることが商いであってはならぬ。金座銀座はいずれなくなり、お上が直接通貨を作ることになるだろう。
     つまり銀座はなくなるのだ。

     繁吉は同心が銀座に送り込んだスパイだった。平吉は彼を締め上げて、銀座に何が起きようとしているかを知る。松平定信の意を受けた近江商人が、じわじわと銀座の力を削いでいることがわかる。岩瀬家もそれに関わっている。
     そして、そのことを知った者が次々に殺されているのだ。

     最初に殺された夜鳴き蕎麦屋の小六は、神谷清兵衛という侍の屋敷の側で死んでいた。実は神谷清兵衛もその日斬られて死んでいる。このままでは家が断絶してしまうので、今は家督工作をしていて神谷は病気ということにしているらしい。
     おそらく神谷も仕事柄、この銀座を巡る動きに気付き、もしかしたら反対したのかもしれない。だから斬られた。斬ったのは榎という男。短編に出てきた蝦蟇の油売りだが、今は桐山検校の手先で殺し屋だ。渡辺順庵の飲み仲間でもあるのだが。
     おそのもおそらく何かを知って同じように消されたのだろう。伊三郎と榎は検校の手先同士で仲が良かったようだが、結局伊三郎はおその殺しの犯人に仕立てられ、この少し前に捕まった。かくまっていた安兵衛は姿をくらましたが、うまく逃げたのか殺されたのかはわからない。源助や宇三郎もそういえば最近姿を見ない。家を訪ねればもう三日も戻っていないという。おそらく殺されたのだろう。そして次に命を狙われるのはおそらく平吉だ。

     平吉はこれまで信頼していた伝左衛門や、尊敬していた京伝が厭わしく思えて来る。
     そして平吉も殺されてしまう。どぶの中でどろにまみれるように。

     松之助と女板前・お梅は所帯を持とうとしている。だが松之助が蘭学にこれ以上近付いていけばどうなるかわからない。

     短編で登場した、貧乏だが実直で、助け合っている人たちが生きている世界は、ちょっと裏に回れば汚濁にまみれた世界。知らないから生きてゆけるが、知れば平吉のような運命が待っている。

     みたいでちょっと救いがなくも感じる話。平吉はそれでも京伝を正面から面罵する機会を得るのだが。
     
     江戸の風俗や社会がていねいに書き込まれていて、平吉の足取りは江戸切絵図で追える。
    ちょっと勉強したような気がする。
     
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