「生命の木(諸星大二郎著)」妖怪ハンター(3)
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「生命の木(諸星大二郎著)」妖怪ハンター(3)

2018-11-13 19:00


    ・「妖怪ハンター」シリーズの数え方によっては第3作目。欠番扱いの「死人帰り」を入れると第4作目になる。週刊少年ジャンプ本誌の連載が終了してから数年後、増刊に掲載された。

    ・学生なのか社会人なのか、境遇や名前も不明な青年が東北のある村を訪れる。彼は歴史に興味があるらしく、三年前に東京からこの村に移り住んだ神父の発表した「世界開始の科(とが)の御伝え」という聖書の異伝に興味を持ってのことだという。

     神父とは旧知なのか、青年は客として神父の教会に迎え入れられる。村は三日前に起きた殺人事件の噂で持ちきり。第一発見者は神父らしい。殺人事件など数十年ぶりのことだという。最近見かけない黒い服を着て背の高い男が村をうろついているという者もいる。少し前に地震があって地盤が緩んでいたところに雨が降って道が崩れ、町に運べないということで教会の地下に遺体が運び込まれて来る。神父は異教徒だから最初は断わろうと思ったんだがね、と青年に語る。

     異教徒?と青年が疑問を呈すると神父は説明する。この村はかつて江戸時代にディエゴという宣教師が逃げてきて、その潜伏中に村ごとかくれキリシタンになったらしいのだが、ディエゴが来る前から山一つ越したところに集落があり、殺された善次という男はここの者だという。この集落は「はなれ」と呼ばれて村とはあまり仲がよくなく交流もほとんどない。
     はなれの住民は、明治になって禁教令が解かれてもカトリックに戻らず、口頭で伝えられてきたキリスト教と日本の神道、仏教、土俗信仰などと混合された独自の宗教を未だに信じているのだという。つまりカトリックのこの村とは信じる宗教が違うのだ。神父も時々はなれに出かけて教化しようと試みるのだが、彼らが伝え聞く話と神父の話が違うので神父を偽者だ、と決め付けるのだという。はなれの住民はせまい村で近親婚を繰り返したせいかほとんどが痴呆に近いという。殺された善次はその中では頭が良く、人助けもよくする評判のいい男だったらしいのだが。

     善次の遺体が発見されたのは軽張山、一名骨山とも呼ばれるかくれキリシタンの聖地で、三百年前に奥羽崩れと呼ばれる大規模なキリシタン弾圧事件があった際に大勢の信者が殺され、骨まで打ち砕かれてこの山上から撒き散らされたという事に由来するらしい。奥羽崩れの際、はなれの住民はなんなく踏み絵をこなし、ひとりも犠牲にならなかったともいう。そんなところもはなれへの敵意につながっているみたい。神父が言うには、はなれの住民が葬式を出した記録もないという。もしかしたら彼らだけの秘密の墓地があって隠しているのかもしれないと神父は考えている。

    神父についてはなれに行った青年だが、はなれには誰もいない。唯一人残っていた重太という老人に聞いてもよく事情がわからない。老人はみんないんふぇるのに行って、それからぱらいそに行くのだが自分だけ取り残されたのだという。さらに善次を殺したのははなれの住民全員でやったのだという。
    そこに背の高い、黒い服を着た男が現われる。彼は稗田礼次郎と名乗る。稗田は神父に、何故あなたは善次の死体を十字架から下ろし、十字架を隠したんですかと問いかける。実は神父は十字架にはりつけになっていた善次の死体を見て、これを主に対する冒涜ととらえて十字架を処分したのだった。稗田はそれを偶然見ていたらしい。

     稗田も「世界開始の科(とが)の御伝え」を読んでおり、内容についてある仮説を持っている。この内容は奇想天外なもので、人類の祖先はアダムとイヴでなくアダムとジュスヘルである。アダムは知恵の実を食べて楽園を追われるが、じゅすへるは生命の木の実を食べ、神によっていんへるのに引き込まれ、子孫にも呪いがかけられたという。
     生命の木は本物の聖書にも登場するそうで、知恵の実と生命の実を食べると神と同じになる。それを恐れた神はアダムの子孫が生命の木に近づかないよう、ケルビムと炎の剣で守らせたという。稗田の仮説は、はなれの住人こそ、この生命の木の実を食べたじゅすへるの子孫では、というものだった。だから彼らは死なず、いつの間にかどこかへ消えていく。
     知恵の実は食べていないので知能は低い。アダムの子孫はキリストにより救われるが、じゅすへるの子孫を救ってくれるキリストはまだいない。永遠に死ぬこともできず、いんへるのでうごめいている彼らを。

     そこに善次の死体が消えたという知らせが入る。それを聞いた重太は駆け出してしまう。後をつけると、カモフラージュされた入り口の奥に巨大な洞窟がある。まるで礼拝堂のような。そこに3人の人物がいる。重太はかれらをさんじゅわんと呼び、自分の罪を許すようとりなしてくれ、と土下座する。
     さんじゅわんの立つ足元には、巨大で深い穴がある。その穴を覗き込むと、無数の死ねない死者たちがうごめいている。じゅすへるの子孫たちだ。

     そこに善次が現われる。彼がじゅすへるの子孫を救うキリストだったのだ。彼は死んで三日後に復活したのだった。
     善次が「みんな ぱらいそさ いくだ! おらといっしょに ぱらいそさ いくだ!」と声をかけると地中の穴から死者たちが盛り上がって来る。善次は光り輝いて空中に浮かぶ。さんじゅわんたちもこれに続く。善次に先導されるように、死者たちは空中に舞い上がってゆく。
    やがて全ては光となって消えてゆき、巨大な光の十字架が現われる。
     神父は善次に主はおひとりだ、とつかみかかろうとして倒れ、重太は許してくれ、連れて行ってくれ、と祈り続ける。

     青年の「じゅすへるの一族はみんな天国へいけたのだろうか・・・」という語りで終わる。

     いろいろな神話に、知恵の実と生命の実みたいな対比される象徴があるみたいで、諸星作品にはよく登場する。マッドメンシリーズのバナナと石がそうだし、妖怪ハンターには木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)と石長姫(イワナガヒメ)に関わる話もある。

     作中でも欄外に注があるが、さんじゅわんというのは3人のことではなくて聖ヨハネのこと、但し聖ヨハネは聖書の中では洗礼のヨハネ、使徒ヨハネ、黙示録のヨハネと3人登場するのだという。私は聖書を読んだことないのでわからない。

     結局重太は何がいけなくてぱらいそにつれていってもらえなかったのかよくわからない。

     普段は稗田が語り手兼狂言回しなのだが、今回無名の青年が登場して彼も語り手兼狂言回しみたいなので青年の印象は極端にうすい。稗田も傍観者に近くほとんど何もしないのだけど、青年はもっと何もしない印象。

     この作品は「奇談」というタイトルで、阿部寛さんが稗田礼二郎、青年は女性の大学院生に改変されて藤澤恵麻さんが出演して映画になっている。原作に神隠しなどのエピソードを足して登場人物も多くなり、ちょっと違う印象の作品になっている。

     
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