「霧の橋(乙川優三郎著)」
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

「霧の橋(乙川優三郎著)」

2020-03-09 19:00




    ・江戸浅草で紅だけを扱う商売を営む主人公は元は東北のある藩の武士だった。父親が友人付き合いをしていた同僚に斬られ、長男は足が不自由だったため次男で剣もよく使う彼が仇討ちに出る。10年後に本懐を遂げ帰国したものの家督を継いだ兄が不正にかかわったとかで切腹を賜り、家は断絶していた。これに空しさを感じた彼は江戸に出て、いろいろな巡りあわせの結果として今は商人として生きている。仇討の旅は過酷で飢えに苦しむこともあり、ある百姓家で盗み食いをした結果、その家の母子が心中してしまったという苦い経験も持っている。

     彼のところでは二人の職人を使って品質のいい紅を作る。ちょっとした秘伝もあって評判がよい。義父がやっていた店を引き継いだ形でその娘が侍に手込めにされそうになっていたのを助けたことから客人となり、娘の夫となり店の後継者となったのだった。
     こじんまりと堅く商売をすれば困ることはないはずだったのだが、規模の大きな日本橋の問屋から圧力をかけられるようになってきた。いろいろと甘い提携話を持ちかけてくるのだが、おそらく秘伝が知りたいだけでそれさえ手に入れれば用は無い、と放り出されるのが見えている。だがそれがわかっていても無下に扱えぬ影響力があちらにはある。
     同業者の組合もあるが、どこも小規模で目先のことしか考えられないものばかり。しかも組合の代表者は既にあちらの手先に成り下がっている。頼りにならない。

     どうやって商売を守っていくか頭が痛い中、武士だった頃の彼を知っている人物から面談をしたいと申し入れがある。用件に見当のつかぬままとにかく話を聞きに行くと、相手は女性ながらとある藩の祐筆をつとめる人物で、主人公の父親の死に関するいきさつを語り出す。

     父親はかなりな剣の使い手で、父を斬った男よりはるかに腕は上だったこと。その父が何故遅れをとったかというと、ある女性をかばって彼女の代わりに斬られたとのこと。その女性は妻を亡くして長年独りであった父にとってかけがえのない相手で、もしかしたら主人公の義母になっていたかもしれなかったこと。
     その女性と父は小料理屋の女将と客として出会ったのだったが、惹かれあってもなかなかそうならなかったのは身分の違いが一つと、女性が自分が汚れた身であることを父に話す決心がつかなかったこと、女性がカタキを持っていて、その仇討ちがまだ途中だったことが入り混じった結果だった。実はその女性も武家の出で、彼女の父親は藩の重役が仕組んだ不正に巻き込まれ、その罪を背負わされる形で娘と共に追放され、あげくの果てに暗殺されたのだった。
     彼女は父の敵をとるために何人もの男に身をまかせ、何人もいた父を落とし入れた男たちを葬って来て、最後の一人が主人公の父親を斬った男だったのだ。
     彼女は主人公の父に敵を斬らせようと小細工をしたのだが、父が自分よりも彼女の安全を優先したために思いがけぬ結果となった。そして父に死なれてはじめて、おろかな行為で大切な人を失ったと知ったのだった。

     その父が愛した女性が、祐筆の女性の伯母だという。伯母は主人公に深い贖罪の気持ちを持っていると伝えに来たのだが、既に武士を捨てた主人公にはどうでもいい話だった。

     問屋の方からの圧力は次第に高まっていく。同じように手堅い商売をしていた同業者が罠にはまるようなかたちで店を手放すことになる。そこは紅も扱うが白粉も扱う店で、秘伝の白梅散という人気商品も持っていたのだが大名からの大量注文を受けたところ代金を踏み倒される格好となり、同業者の助けを求めたが組合代表者はかえって彼を助けても無駄だから、と見捨てるような指示を組合員に出す。だが何故か主人公にだけはそのことが伝えられない。
     主人公は25両を返らぬものと覚悟して出してやるが焼け石に水。店は白梅散の秘伝ごと人手に渡るのだが、新しい店主は問屋の次男だった。裏で糸を引いていたのは問屋だったのだ。

     次は自分だ、と察した主人公は仲買人に頼る紅の原料仕入れルートに弱みがあると見て、番頭と小僧を旅に出して新規の仕入れ先を開拓する。仲買を通さず現地から直接買い入れようとわけだ。
     義父の代から付き合いがある仲買人は、既に問屋に篭絡されている気配がある。次の季節の原料はおそらく入らない。主人公は密かに違う仲買人とも渡りをつける。
     さらに新商品の開発にいそしむ。紅をこれまでのように貝殻などの容器に入れて売ると携帯性が無い。そこで板を加工して二つ折りの容器を作り、小さな筆も収められるようにして板には漆塗りの加工や蒔絵で屋号を入れるなど工夫を重ね、今でいう商標のようなものも考える。
     ただ「紅」ではなく、主人公の店の紅であることがわかるように。

     これが当たってかなりの余裕ができる。同じ頃、問屋が品質が良くてそこそこ安い白粉を大々的に売り出す。入れ物にも工夫があって、たちまち白粉市場を制圧してしまう。白梅散の製法を盗み、これを大量生産して安くしたものだ。白粉を扱う同業者たちは真っ青になる。
     彼らがバラバラに自分の店だけで作っている品物では勝負にならない。問屋の傘下になる格好で同じものを売らせてもらうしか生きる道はない。

     必ず紅でも同じことになる。だが同業者たちは、先に白梅散を扱う仲間を見捨てたものばかり。利に聡いが先見の明も無く目先の利益を追う者ばかりで団結力もない。しかも同業者の組合には問屋の次男も加わっている。組合は頼りにならない。

     白梅散の店主を助けて金を用立てた店は、主人公の他にはただ一軒。そこには店は息子に譲って、気楽な立場で組合などだけやっているご隠居がいる。このご隠居が自分の貯えから10両出している。主人公にとっては唯一相談できる同業者である。
     二人は相談し、守るばかりではだめだ、とこちらから生きるために攻勢をかけることにする。

     主人公の店など大きな問屋から見れば問題外のはずなのだが、調べていくうちに因縁があることもわかってくる。問屋と同業者の大手も最初から手を組んでおり、その主人公の義父はそこの職人だった。工夫を怠らない義父は自分の工夫を盗まれる形でその店を出ている。
     同業者大手から見れば、義父の後を継いで工夫を怠らない主人公は脅威に見えており、さらに主人公の妻にそこの息子が昔から惚れていたりもしたらしい。そしてその息子は今も妻に付きまとっているらしい。

     主人公はご隠居の助けを受けて、問屋の次男を調べ上げて弱点を見つける。彼が番頭任せにしていた白梅散の取引に、代金だけもらって商品未納のもの、商品を納める約束をしたのに品物を納めなかったものが山ほど出てくる。ひとつひとつは少額で、次男はだから番頭任せにしたのだが番頭は別のものに、その別のものはまた別のものに・・・と無責任に任されて、少額ゆえにそのまま放置されている。
     前の主人は客を何よりも大切にする人物だったから、こうした少額取引の相手にものすごい大物が隠れている。だが次男は高額の取引相手しか相手にしなかった。利益しか見ていなかった。ここに隙があり、ご隠居の骨折りもあって立派に詐欺として訴えることができる案件になっている。50人以上の不満が50両を超える詐欺事件にまとめあげられている。

     主人公はこのことを穏便に収める手助けの代償として、今後一切紅の商売に干渉しないことと、先に店を奪われた白梅散の主人が再起できるよう500両の金を用立てすることを要求して親の問屋にこれを飲ませる。
     紅の生産地とも仲買を通さず仕入れができるルートを作り、裏切った仲買は同業者からも嫌われて廃業の憂き目に。
     
     さらに妻に付きまとっていた大店の馬鹿息子とも談判して息子は姿を見せなくなる。

     だがこうしたことが、夫婦の間にひびを入れてしまう。10歳以上若い妻は気立てもよく頭もよかったが、もと武士であった夫の怖さをこうした間に感じてしまう。
     敵対する相手を容赦なく叩き潰せる怖さ。夫は仇討で侍を一刀のもとに斬り捨ててもいる。
    夫は町人にはなりきれないのではと畏怖している。

     このことは馬鹿息子があてつけるように店先で自害し、問屋が送り込んだ木刀や真剣を持った刺客数名を主人公が素手で相手の木刀を奪って倒し、一人の腕を折ったことで頂点に達する。主人公はもともと故郷では剣で身を立てようとしていたくらい腕がたち、道場の師範代に推されたこともあった。妻は商人の夫は見せかけで、そうした恐ろしい侍が夫の正体なのだ、と思い詰める。

     主人公の方も自分のそうした侍の血とでもいうようなものを抑えかねている。目先の利だけを考えて仲間の同業者を見捨て、いざ自分があぶなくなるとオロオロして無様に助けてくれと叫ぶばかりだった連中からは近寄りがたい怖い人、みたいに疎外される。

     そんな時、忘れていた人物から手紙が届く。父の愛した女性であり、自分の義母になっていたかもしれない女性。だが彼女の仇討に巻き込まれる形で父は死に、主人公の実家は断絶することになった。
     彼女は自分は貴方様の父上を殺し、一家を潰した仇でございます。私と立ち会って仇をお討ちなさいませ、と手紙に書いている。彼女は討たれるつもりなのだ。
     主人公はこのことを妻に話すことなく、約束の刻限に出かけてゆく。場所は橋のたもと。霧が深く、タイトルの霧の橋での対決となる。

     決闘の結果は伏せるけど、読後感がいい作品になっている。
     過去がどうあろうと、未来がどうなろうと、人間は今を生きるしかないみたいな。


     

    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。