「かずら野(乙川優三郎著)」
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「かずら野(乙川優三郎著)」

2019-05-01 19:00




    ・江戸末期の松代・真田藩に暮らす足軽の娘が運命に翻弄されながら生きるという、薄幸な女の半生という趣の長編。実写化したら木村多江さんあたりに似合いそうな。

     主人公は家が貧しいため、14歳で奉公に出される。奉公先は藩内でも屈指の金持ちであり、名字帯刀を許された町人の家で家業は糸屋。桑の木を育て、蚕を飼ってその繭から絹糸を作るために多くの女手を使っている。彼女もその糸引女(いとひきめ)あるいは挽子(ひきこ)と呼ばれる糸繰りをすることになっていた。
     だが奉公に出てみると、なんだか様子がおかしい。最下層の使用人のはずなのに、離れにある自分の部屋を与えられる。箪笥や鏡台なども揃えてくれる。着物も見立ててくれる。食事は台所でとるが、台所をあずかる女中が準備してくれる。青菜や鮭がついた彼女にとってはこれまで年に数度しか食べたことのないご馳走である。そこで食事をする他の使用人たちは食膳を自分で下げるが、彼女が同じようにしようとすると女中からそんなことはなさらなくていいです、と止められる。女中の態度は親切なのだがどこか親しみに欠ける。同じ奉公人のはずなのに、どこかお客様扱いである。仲間ではないのだ。
     やがて彼女の世話役みたいな若い女中がついて糸繰りも教えられ、糸繰りのシーズンがはじまる。暑い季節に一日中繭を煮るために火のそばにいる、それなりに苦労のある仕事だがなんとかこなせるようになる。
     旦那様は忙しいようで、泊りがけの寄り合いなども多くめったに家に戻って来ないのだが、ようやくお目通りを得る。47歳だというがもっと若く見えて精力的な人物で、優しいのだがどこか紙一重の怖さがあるようにも感じる。
     彼女が使っている部屋はもともと主人が書き物をするための部屋だったらしく、時々書き物をすることもあるので使わせてほしい、みたいなことも言う。彼女に断われるはずもない。

     つまり自宅と仕事場を兼ねた屋敷の中に離れがあり、そこに14歳の少女がおり、主人はそこに堂々と出入りできる。挽子というのは建前で、主人公は妾として売られてきたのだった。周囲の特別扱いもそういうわけだったのだが、男と女のこともよくわからない主人公はそのことを知らない。
     何か理由があってか半年ほどは平穏な暮らしが続くのだが、ついに主人に襲われる。この主人はやり手で藩の財政も握り、何でもやりたい放題の人間でもあって、この屋敷の女中や挽子のほとんどにも手をつけている。何故主人公だけ特別扱いだったかよくわからないが、若くて純潔ということからそうしたのかも。
     
     主人は息子の嫁にまで手をつけていて、子供まで産ませている。息子はいろいろ鬱屈して屈折している。屋敷の中では威張り放題だが、親には頭があがらない。嫁を取られた腹いせか、父親と同じように挽子と遊んでいる。その息子が計画的だったのか突発的だったのか、ついに父親に対して牙を向け、殴り殺して金を奪い、江戸に逃亡する。主人公は主人に手込めにされ、その直後に父親を殺したその息子に戦利品のように連れられて一緒に逃亡する。

     息子は主人公を嫁にするというが、これまで特に心の交流があったわけではなく行きがかり上の勢いでそうなったようなもの。乱暴者のようで意外に優しいところもあるのだが、金や生活に不自由なく育っただけに人間の性根が根本的に甘い。地道な努力というものができず、辛抱ができない。
     それでも最初のうちは追っ手を恐れることもあって、江戸から離れた下総の関宿(現在の千葉県野田市あたりらしい)で細々と塩を売って三年ほど過ごす。だが息子はこんな地道な暮らしが嫌になって、知り合った男の口利きで銚子に行き、干鰯(ほしか)の仲買になる。この権利を買うために50両を使っている。最初のうちはうまくいくのだが、相手の口車に乗って手を広げ、儲けた分を全部つぎ込んだ末に200両の大金を持ち逃げされてしまう。
     主人公は夫となった男が、自分が儲けても一切貧しい者への施しをしない性格で、窮した人々を何人も見殺しにしてきたことの罰だと思う。
     夫はこれでやる気を無くし、家でゴロゴロするだけの今で言えば引きこもりのような状態になる。その間の生活は主人公が内職で支える。昔習い覚えた糸繰りが役に立つ。
     これで何とか生活できるようになると夫は手助けもせずに女遊びをはじめるが、細々と干鰯も扱うようになる。
     そんな頃に偶然幼馴染と出会う。同じ足軽の子でもしかしたら好きあうようになっていたかもしれない彼は、今は佐久間象山門下で江戸にいる。彼から故郷の話を聞くと、主人を殺したのは主人公ということになっていて、彼女の家族はそのために迫害され、父親は心労のため世を去ったという。奉公先の家は親戚筋が継いで代が替わり、夫となった男が舞い戻ってももう居場所はないだろうとも。前の主人が使用人全てに手をつけていたことなどは隠されて、世間では誰も知らないことらしい。幼馴染はそんな夫と別れて人生をやり直さないか、と気遣ってくれるが故郷を出てもう14年になる彼女は今更やり直しても、とためらう。
     内職で作った糸を染めてくれる職人とも心の交流ができ、彼女には話にならない夫以外の相談相手ができていくのだが、男がまた商売で失敗して多額の借金を抱え、夫婦で下総に行き住み込みで塩屋で働くことになり運命はまた変転する。
     海水を汲んで来て砂にまくのが夫の仕事だが、初日からやりたくねえ、と泣き言を言う。主人公は旅館で働くことになるが、ここの女将ができた人で心の安らぎを得る。だが夫がバクチにのめり込み、旅館にも迷惑をかけるようになって、結局地元のやくざと揉めてまたしても世話になった人に礼も別れも言えずに逃げ出すことになる。この頃主人公は妊娠していて、逃避行の中流産してしまう。
     逃避先は以前にも縁があった銚子で、ここで網元の老人が面倒をみてくれることになり、夫も漁船に乗り組んで漁師になる。やがてこの網元の老人に間に入ってもらう形で、夫と離縁する。
     ここでようやく小さな幸せを得る。魚の加工場で一緒に働く女たちとも親しくなる。心が落ち着いた彼女は、幼馴染を訪ねて江戸に出ようと考えはじめている。

     そんな時に大波が襲い、漁船が遭難する。親しくしていた女の夫も、主人公の夫も戻って来ない。やがて女の主人が発見され、かすかながら息がある。助かりそうだ。彼が助かったのは、彼をかかえて泳いできた人がいたからだと浜の者に聞く。だがその人は力尽きて死んだという。その死んだ男は、主人公のもと夫だった。あの人が人助けして死ぬなんて、と主人公は冷たい身体を抱いて、泣き続ける。

     という、自分の責任ではない不幸から逃れられない女性の話。彼女はどんな逆境でもあきらめず、できる限りのことをするのだが、ちょっと上向くと夫のせいで全部崩れてしまう。
     だが夫が死んだ今こそ飛躍のチャンスかも、江戸の幼馴染も彼女を助けるだろう、という感じで読者にこの後は好きに想像してね、と終わる。
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