「春宵十話(岡潔著)」表題作以外(数学教育と芸術)
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「春宵十話(岡潔著)」表題作以外(数学教育と芸術)

2019-07-03 19:00




    ・数学と芸術について書いた文章。

    ・数学を志す人に
     アンリ・ポアンカレの「数学の本体は調和の精神である」ということばをまず味わってほしい。というようなことからはじまって、その調和感を深めるためにどうすればいいか、と話はすすむ。
     三次方程式の解法はこれを解いた人の名前をとって「タルタリアの解法」と呼ばれている。タルタリアはほぼ一生かかってこれを解いたのだが、著者はこの解法を忘れてしまったので自分で考えるいい機会だ、と考えて三日でタルタリアとは別の解法を思いつく。
     これはタルタリアの時代より今の方が数学の調和感が深まっているからだ、みたいに書く。
     四次方程式の解法はなんということなく解けるが、五次方程式の解法は多くの数学者を退け、ついにアーベルが代数的には解けないことを証明する。

     どのようなときに数学の問題が解決されるかというと、ポアンカレの「科学と価値」の中でそれは瞬間的に行われるみたいなことを書いているという。
     そのような天啓のようなものは、緊張をゆるめた瞬間に訪れる。著者は中学生の頃、試験で何度もこれでいいか確かめて、これでよし、と答案を提出した直後にしまった、あそこを間違えた、とひらめくことがよくあったという。この緊張がゆるんだときの直観こそ純粋直観ともいうべきもので、この熱したあとに冷やす時間が大切なのだという。
     だが今の教育は熱するばかりで、これでは脳もダメになってしまう。文部省は学力調査をするならどれだけのことを覚えているかではなく、どれだけの連想力を持っているかを調べてほしいと説く。

     人は隙間で成長するので、隙間無く子供の時間を習い事で塗りつぶすみたいなことは避けるべきだとも。大人だって仕事やテレビ番組で塗りつぶしちゃうと同じようなことになりそうだ。お菓子はたまにお客さんが来たときにでも食べる特別なものの時はおいしかったけど、いつでも好きなだけ食べられるようになるとありがたみがないとも。

     数学は人類に利益を与えるのか、ともよく聞かれるが、以前は数学と計算が一体みたいに思われていたけど最近は計算は機械にまかせられるようになった。すると数学は機械ができないことをやるということになり、それは調和の精神を教えることだ、と著者は書く。
     ここ50年ほどは戦争が絶えないが、調和の精神を教えることなく科学が発達したからだろう、医学や農業技術の進歩は人類に利益を与えたろうが、戦争ひとつでそうしたものも帳消しにしてしまうくらい害を与えているかもしれない。こんな世相にあってのんきな数学など必要ないと思う方もいるかもしれないが、こんな闇夜を照らすのが数学なのです、みたいに書いている。

    ・数学と芸術
     数学も芸術も調和を求めるという点において似ている。同じ調和でどこが違うかというと、一段落したところでタバコを吸って休憩したときに数学者はこのあとどうしよう、と考えをめぐらすのだが画家の場合はここまでの仕事を振り返る。それが真実の探求と美の探究の違いではないか、と書いている。
     ある画家に聞いたところ、ある絵を描くために構図を決めるのに一週間を要したが、それが決まってから絵を描くのに要した時間は三時間半ほどだったと聞いて数学と同じだなと思う。
     芸術は時にラジオの波長を合わせるように心の調節をする働きがあると著者は言い、数学の研究に行き詰まるとドストエフスキーや漱石や芭蕉の文学とかマチスの絵や室町時代の花鳥画や山水画に鼓舞されたという。

    ・音楽のこと
     どの曲が誰のものだという知識は全然無いが、音楽を聴くのは好きだという話。数学と音楽は一般に縁が深いと言われていることでもあり、みたいな話。モーツァルトは時間的でショパンは空間的だというのが批評家の定説だが逆じゃないかとある音楽家に言ったら、私もそう思ってました、と喜んでくれてウイスキーをもらった話。

    ・好きな芸術家
     芥川、漱石、芭蕉が特に好きだという。芥川の「東洋の秋」「尾生の信」などをあげている。芥川は西洋的な理想を追う人で、漱石は東洋的な情操を追ったという。
     漱石の「~午前中創作を書き、午後は籐椅子を持ち出して庭の緑陰を楽しむ~午前中の創作活動が、午後の休息の肉体に愉悦を与える~」という文に同感だ、と書いている。
     近ごろの小説や映画やテレビが家庭に悪趣味を持ち込むことで日本人の情緒が荒らされており、表現の自由に疑念を持つようなことも書いてある。
     芭蕉は芥川の「芭蕉日記」がきっかけで興味を持つようになったという。
     画家としては横山大観、久隅守景、ゴッホ、ラプラードなどをあげている。大観の「無我」「瀟湘夜雨」、守景の「夕顔棚」などが好きだという。

    ・女性を描いた文学者
     漱石とドストエフスキーは生きた女性を描いていると書いている。男性と女性は情緒の波が違うので、男性にはなかなか女性を描くのは難しい。二人とも謙虚な人柄なので描けたのだろう、と書いている。

     今回はここまで。

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