「紀行 フランスとベルギーの暑い夏(池波正太郎著)」
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「紀行 フランスとベルギーの暑い夏(池波正太郎著)」

2019-08-29 19:00


    ・パリの変貌
     小説「ドンレミイの雨」と対をなす紀行文。こちらが本当だとすれば、ドンレミイには作家としての創作部分があるんだな、と感じられる。

     これまでいくら外国旅行に誘っても応じなかった奥さんが、突然
    「ワーテルローの決戦場が見たい」
     と言ったもので驚きつつも手配をする。池波さんの場合、こうした旅は取材と仕事も兼ねているので出版社から運転手やカメラマン兼通訳が同行することになる。今回は2名が同行。
     季節は5月。フォークランド紛争の最中だったらしい。フランスからベルギーのワーテルローに行くことにする。
     パリのドゴール空港には午前9時10分に着き、ホテルで一休み。奥さんは近所に買い物に出かけるときと同じ服装だったらしいがパリは何十年ぶりかの暑さでワンピースを現地で買う。ホテル・マスネというところが定宿らしい。凱旋門近くの軽食堂で昼食。
     旧中央市場(レアール)のB・O・Fという酒場に行く。ここは池波さんお気に入りの酒場で老店主とも交流がある。現在は店を若い人に譲っているが行けば連絡がつく。だが行って驚き、店はハンバーガー屋に変わっている。老店主の行方はわからない。この経験が小説「ドンレミイの雨」になっている。
     翌日パッシーという商店街で奥さんは友人へのおみやげを探す。レンタカーでペール・ラシューズの墓地というところに行く。メニルモンタン、ベルビルという私が知らないところをまわって先日燃えたノートルダム、セーヌ、レアールと戻る。ピエ・ド・コションというレストランで昼食。ここの給仕とも顔見知り。サンドニというところへ行って、マドレーヌ寺院というのを見学する。モンパルナスのクーポールという店で夕食。ここも行きつけらしい。

    ・ベルギーの暑い夏
     翌朝レンタカーでベルギーに向かう。車はボルボ。10時半にホテルを出てパリから75キロのコンピエーニュというところへ。ここは宮殿が有名らしい。また広大な森林があって、森の中に置かれた客車が第一次世界大戦の休戦条約と、第二次世界大戦でフランスがナチス・ドイツへの降伏文書に署名する際に使われたとか。近くにピエルフォンの城というのもある。
     池波さんは村や町で地元の人に混じってパンを食べたりするのが楽しいとのこと。
     コンピエーニュにはジャンヌ・ダルクの像もあるという、池波さんによればオルレアンにある像よりいいという。この城でジャンヌはブルゴーニュ軍と戦い、退却時にしんがりをつとめたが先に城門内に逃げた味方が彼女を残して門を閉じ、捕らえられたという。
     レストランは時間によって閉まるらしく、池波さん一行は昼を食べそこねてドライブインを探す。16時30分にフランス・ベルギー国境に着く。警官が手を振って通れ、というだけらしい。
     一時間ほどしてブリュッセルに入る。ホテル・アミーゴというところに泊まる。同行者の知人の伝手で森の中のヴィラ・ロレーヌというレストランに行く。ミシュランが最初に三ツ星を与えた外国の店らしい。
     翌日はブリュージュという観光都市へ。ブリュージュとは英語のブリッジのことで、橋の名所だという。町全体が中世の博物館みたいなところらしい。

    ・ワーテルローの古戦場
     池波さんはブリュージュの八百屋でサクランボを買い、すぐ食べるからとその店で洗ってもらう。フランス語は全く出来ないが、身振り手振りで。
     ブリュージュは中世には交易都市として栄えたが入江に砂が堆積して船が寄り付かなくなって衰退する。
     その後中世の街並みを残した観光都市として甦り、レース手芸でも有名。馬車で名所を巡ることができる。ブリュッセルに戻って昨夜と同じヴィラ・ロレーヌで夕食。
     池波さんはこれからは、こんなのんびりした旅ができない時代が来るだろう、みたいなことを書いている。池波さんが何を心に浮かべていたかはわからないけど、テロと憎しみが溢れて旅は危険になってしまった地域もある。
     翌朝ホテルを引き払ってレンタカーでワーテルロー古戦場へ。城砦ひとつあるわけではない見渡す限りの田園風景という感じらしく、奥さんはちょっと気抜けした様子。展望台に上がって周囲360度を眺められるらしく、その足元のパノラマ館には全周にわたって戦闘の様子が描かれている。ここは迫力があってよろしかったらしいがお向かいの皇帝博物館は子供だましの蝋人形館だったと書いてある。
     奥さんに気に入ったか?と聞いたら気に入ったという答えだったので池波さんは満足する。
     池波さんももっと索漠としたところと思っていたが意外と賑やかな場所で楽しかった様子。
     ナミュールという街で夕食をとり、両替したベルギー・フランが無くなるまでお土産を買う。ミューズ川に沿ってディナンという街に向かう。この辺は保養地で、川沿いに全裸で寝そべる女性などがいて、運転者に気付かれると気をとられて事故りかねないと黙っている。

    ・フジタの礼拝堂
     ディナン、ブイヨンと行ってフランスのセダンに入る。という予定だったが直観でディナン、ラオン、ランスというルートに変更する。パリでサミット中とかで検問が厳しい。個人の楽しみとしての旅行がゆるされない時代が来るだろうとここでも述べている。
     ランスの手前、フェール・アン・タルノドワというところのオステルリー・デュ・シャトー というホテルに泊まる。ここで給湯設備にトラブルがあるなど印象がよくなかった模様。従業員も観光ズレしていると評している。
     翌朝10時にランスへ向かう。ランスには聖母寺院というゴシック建築があり、フランス国王の戴冠式に使われたこともあるという。そしてこの街にはフジタ、つまり藤田嗣治の礼拝堂(シャペル)がある。昼休みは閉まってしまい、午後二時まで開かない。食堂も近所にはない。そこで同行者が駅の売店までホッドドッグなどを買いに行く。

    ・ジャンヌ・ダルクの村
     ようやく午後二時になり入場。フジタが建物を設計し、たくさんのフレスコ画もフジタが描き、これが既に高齢だったフジタの最後の仕事になったという。弟子など使わずフジタが奥さんに手伝ってもらって描いたという。池波さんは感動したらしい。
     続いてサン・ミールの街に入る。ここで休息してさらにモーゼル川に沿って走りリヴェルダンというところのオステルリー・ド・ヴァンヌというホテルに入る。ここの食事も旨かったらしいが同行者の一人は腹を下して食べられない。
     翌日はナンシーという街へ。このへんはロレーヌ地方というそうで、ナンシーはその中でも大都会とのこと。ドイツとの国境に近く世界大戦では激戦地となった。鉄鋼業の街でもある。
     店はどこも閉まっていて、午後二時にならないと開かないという。菓子屋が開いていて鼈甲飴みたいなボンボン・ベルガモットを買う。ここはスタニスラス侯爵という人が開いた街らしい。
     駅前にはレクセルシオールというカフェ・レストランがある。ここで昼食を取り、いよいよドンレミイに入る。ジャンヌ・ダルクの出生地だ。日本では応仁の乱が起きそうな頃。ここにあるジャンヌの像は小太りの田舎娘といった印象。これが神のお告げを受ける前の本来の彼女なのかもしれない。

    ・なつかしいオンゼンのホテル
     ドンレミイを発ちジョワニイという街へ。パリまでは車であと半日ほど。ここでア・ラ・コート・サンジャック というホテルに泊まる。ここは宿泊より料理が有名らしくわざわざ遠くから食事に来る人が多いという。池波さんは部分的に褒めている。
     翌朝ホテルを発ちオルレアンに入る。池波さんは三度目だという。シャンボールの城というのを見る。オンゼンという街に移動してドメーヌ・デ・オー・ド・ロワールというホテルへ。ここには二年前知り合ったメイドがいる。給仕監督も池波さんを覚えている。

    ・フォリ・ベルジュール
     オンゼンのホテルを出る。池波さんはもうここに来るのは無理だろうと思っている。ブロワという街を経由してフォンテーヌブローという森のそばにミリー・ラ・フォレという町がありここの黄金の獅子というホテルで昼食。この町にはジャン・コクトーの礼拝所があるらしい。先にフォンテーヌブローの宮殿を見る。ナポレオンはここで毒をあおったが死ねなかったという。次にコクトーの礼拝所へ。ミレーの家もここにある。パリに戻り、中華を食べる。だが池波さんは給仕が床に落とした揚げ物を拾ってそのまま客に出したのを目撃してしまう。
     翌日はパリ最後の日。みやげ物を買う。ここで違う中華屋で昼食。午後は墓地など見て、夕食はピエ・ド・コションというレストランへ。フォリ・ベルジュールという劇場でレビューを見る。これは宝塚ファンの奥さんへの気遣いらしい。ホテルに帰って冷たいビールを飲む。
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