「江戸の備忘録(磯田道史著)」①
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「江戸の備忘録(磯田道史著)」①

2019-11-29 19:00




    ・著者が朝日新聞の土曜版に書いたのを元にした本とのこと。

    ・信長は合理主義者みたいに言われているけどどちらかというと怪奇現象や迷信を好んだ話。ただし信長はその真偽を自分で必ず確かめたという。大蛇がいるという噂の池を汲み上げて存在を確認したり、自分と同じ誕生日の男を召し出して運命と生まれの関係を調べたりしたらしい。なので真偽が確認できない占いの類は嫌ったとも。

    ・信長が殺されたのは一度敵対した者を決して許さないその性格からでしょう、豊臣の天下が続かなかったのは秀吉が人を信じすぎたからでしょう、みたいな。

    ・秀吉が側室に書いたラブレターが残っているがかなりエッチらしい。

    ・秀吉が養女豪姫にキツネが憑いたと言われた時に伏見の大明神にもし姫が死んだら全国の稲荷を破壊してキツネは狩り尽くすぞと手紙を書いた話。

    ・秀忠って真面目だったんだなというエピソード。家康が菓子を届けるという名目で美女を夜伽に差し向けると、お菓子だけ食べて娘を自分で戸口まで案内して帰したとか。

    ・家康によれば大将のつとめは逃げること。だから子や孫には乗馬と水泳は熱心に教え、剣術は不要と説いたという。

    ・北条早雲と加藤清正は部下に朝4時起きを命じていたという。で朝飯前に武術の鍛錬をしろと。

    ・竹中半兵衛は息子が軍記物語の途中で小便に立ったのを怒ったとか。話に夢中になって座ったまま漏らせと。でもこの息子は父親よりずっと長生きしたとか。

    ・太田道灌の孫で埼玉岩槻城主の資生(すけまさ)は大の犬好きで、二つの城に50匹ずつ飼っていたらしい。阿呆よばわりされたらしいが、片方の城が敵に包囲された時、書状を首にぶらさげた犬が何匹もう一方の城に走って援軍を呼び助かったという。

    ・著者が酒場で出会った人の話。その人が先祖から伝えられたという古文書を解読すると、宇喜多秀家の子孫と判明。関が原のあと息子が家臣に抱かれて九州に落ち延び、江戸の間別名を名乗って明治維新後浮田を名乗ったという。このような関が原敗将の子孫は明治維新を機に復活し世を支えたらしい。

    ・現代同様に戦争を知らない世代が人口の7割以上を占めたのが江戸の寛文のころ。関が原や大坂の陣の頃を知る老人たちが語り部のように当時を伝えたという。おあん物語という古文書を紹介している。おきく物語というのもあるらしい。

    ・肥後藩主になった細川重賢(しげかた)は兄が刺殺されて藩主になったのだがそれまでは極貧の生活だった。継いだ細川藩も財政は厳しかった。彼は城の畳替えをやめるなど貧乏暮らしの時代を基準に藩財政を好転させる。死の床で家臣にそろそろ畳を替えましょう、と言われたがなおも断わったとか。

    ・家康の孫で尾張藩二代目の徳川光友は外出の際、折りたたみ式の携帯トイレを家来に運ばせ、もよおすとこれを組み立てて中で用をたしたという。壁と天井だけだが雨中でも使えるよう幕には油で防水加工もされていたらしい。地面に自分で穴を掘って、自分でこれをわからないように埋める名人だったとか。

    ・江戸のはじめのころの殿様は麦飯や小魚や玄米を食べていたが、時代が下るにつれて白米とか白身魚ばかり食べるようになり、顎が細いいわゆる殿様顔となり、気力体力も衰えていったという。

    ・土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)という古文書が残っていて、赤穂浪士のちょっと前頃に幕府の誰かが作らせたらしい全国の大名の評価がケチだとかバカだとか女好きだとか実に率直に書かれているという。

    ・岡山藩二代目の池田綱政は70人子供がいたらしく最高記録だという。十一代将軍家斉は55人。20人くらいの人はざらにいる。

    ・殿様が大勢側室を置いても正妻は黙って耐えていたのかというとそうでもなかったらしく、平藩主内藤忠興の妻はナギナタを持って愛人宅に押しかけたという記録があるらしい。この女性は武田家の血をひいていて気性がはげしかったらしい。さすが武田というべきか。

    ・江戸時代の大名の起床時間はあかりが貴重だったせいもあっておおむね早く、将軍家は朝六時、大名家で七時から八時くらいが多かったらしい。明治天皇は八時だったという。
     今のサラリーマンは六時くらいの人が多いと思うけど。

    ・米沢藩主となる上杉鷹山の正室は心身ともに病弱で枕を交わすこともできなかったというが、彼はこうしたことも犯罪者が出ることも百姓が飢える事も当時者意識を持って、妻には優しく接し、自分にはそうした悲劇が少なくなるよう行動する責務があると考えた稀有な為政者だったという。こうした考えを鷹山が持ったのは細井平州という在野の学者で、この人物を藩に招いたのは藁科松柏という範医だったという。
    ※藤沢周平さんが小説にしていたと思う。

    ・坂本龍馬の実績は評価されすぎと著者は感じるみたいだけど、手紙を読むととても楽しくおもしろい。人気が出るのももっともな人物であると書いてある。好人物故に暗殺されたとも。

    ・西郷隆盛がいかに犬好きであったかというエピソード。銅像と一緒の犬は彼の愛犬が全て死んでから作ったので、別の人の愛犬がモデルだったとか。

    ・武士道の体現者みたいに言われる山岡鉄舟だが、武士道には妻子に関する項目は無いので奥さんはと子供はえらい苦労をしたらしい。

    ・二宮金次郎が思いやりにあふれた人で、それ故に最初の妻と離婚に至った話と二番目の妻を得た話。最初の妻も悪人ではないのにちょっと気の毒。

    ・江戸時代の寺子屋というのは一種の学級崩壊みたいな無法地帯でおとなしく子供が机に向かうようになるのは明治かららしい。そんな中で硯箱を悪ガキに盗まれないように工作し、現代の金庫と同じようなものを作ったのが久留米にいた若き日のからくり儀右衛門。江戸時代は画一的な教育制度が無い代わりに変わり者が存分に伸びることができる利点もあったようで、無駄と見えるものにも寛容な一面があったという。
     かくして彼は好きな工作を一心に続け、親も家業を継がせるのをあきらめて支援する。やがて西洋の文物に他藩よりも接していた佐賀藩に招かれて日本初の蒸気機関を作る。蒸気船、アームストロング砲、自転車、通信用電信機と次々に国産化していく。彼の仕事場が「東芝」のもととなる。

    ※昔NHKで「からくり儀右衛門」ってやってたんだけど、例によってほとんど映像が残っていない様子。学研の雑誌にも小説で載っていて、井上でんのためにかすり技法を考案したエピソードとか読んだ記憶が。
    https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail026.html

    ・蓮月焼きに名を残す太田垣蓮月は絶世の美女といわれた尼僧。津軽藩の家老の落胤で18歳で結婚するが子供を次々に失い離縁。二度目の夫は病死。だがこの夫とは深く愛し合ったらしく、二度と結婚しまいと尼になり、それでも美貌に惹かれて男が寄ってくるので自分の顔を醜く変えてしまうという気性の強さ。でも老いると穏やかで慈愛に満ちた女性になったという。一説には西郷隆盛に和歌を贈り、江戸を間接的に救ったとも。

    ・幕末、水戸藩士の三男に生まれた瀧口六三郎は三男なのでやることがない。だが内職で貯めた小銭をひたすら貯め続ける。そしてその金を旅費として水戸天狗党に参加。負け続けて各地を転々とし、斬首される。享年22歳。幕府に逆らったわけだから藩で出世していた兄も連座して謹慎となる。
     明治維新後は政府から義挙として顕彰され一転英雄となる。当時日本中にこんな若者がいた。

    ・江戸の記録に残る猫がしゃべった、という話。耳袋の残念なりが有名だけど他にもある。その猫がしゃべったという話が伝わる牛込榎町の名主の家に生まれた子供は猫はしゃべると聞かされて育ち、吾輩は猫である を書く。
     漱石は神経質で朝も早いのだが奥さんは朝寝坊で、教師時代の漱石は朝御飯を家ではちゃんと準備してもらえなかったらしくそんなサラリーマンの元祖とも。
     なので奥さんは悪妻といわれるが、神経質な夫にちょうどよい図太さだったとも。
    教師を辞めて作家になってからは漱石も朝寝坊になったという。

    ・元々は漱石が熊本の旧制高校の教師だった頃の教え子だった寺田寅彦は、漱石が有名になって文豪に祭り上げられるのがイヤだったらしい話。

     というあたりまでが人物を中心とした部分。このあとにも人物伝はあるけど、江戸のナントカ、というまとめかたが強くなるのでとりあえずここまで。

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