「用心棒日月抄(藤沢周平著)」5(完)
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「用心棒日月抄(藤沢周平著)」5(完)

2021-01-18 19:00


    ・吉良邸の前日
     師走。江戸に来て三度目の正月がもうすぐやって来る。又八郎は窮乏している。米も炭もなくなっている。そして金もない。悪い時はそんなものだが、相模屋にここ数日ひんぱんに通っても仕事が無い。そう思うと無駄足になりそうで出かける気も起きないが、行かなければ仕事も入らない。
     米の残りをかき集めて確認すると、粥にしてあと二食。隣近所に借りる手はあるが、返す当てが無ければ借りるわけにもいかない。こんな生活はいつまで続くのか。人を斬り、刺客に狙われて隠れ住むためにやって来た江戸である。自分を父の仇とうらむ、もと許嫁の由亀(ゆき)が刺客としてやって来て、斬られてやるまでの命だろうと又八郎は思っている。だからそれまでは他の刺客に斬られるわけにはいかない。
     又八郎は藩主毒殺のたくらみを聞いてしまい、それを許嫁の父親に報告したところ斬られそうになって反撃した。その後偶然会った郷里の知り合いから藩主が死んだこと、一応子供が藩を継いだが兄弟との間で跡目争いが今も続いているらしいことを聞いている。その陰では実力者である家老の大富丹後と中老の間宮作左衛門の争いが起きているという。

     だが飢えて死ぬわけにはいかない。重い気持ちをふるいたたせて相模屋へ行くと、細谷がいてどことなく憔悴している。どうも相模屋のすすめる仕事を断ったらしい。又八郎はどんな仕事か聞いてみると、用心棒だという。手当はまあまあだが住み込みで食事もつく。では細谷が何故断るのか。よくよく聞いてみると、吉良の屋敷の用心棒だとわかる。

     細谷には浅野浪人になった旧藩の知人が多い。だがら知り合いと斬り合うことになるかもしれない仕事は困っていてもやりたくないのだ。だが吉蔵はこう説得する。世間は今すぐにでも浅野方が斬り込むような噂ですが、噂はしょせん噂。だいたいお上が仇討など許しません。
     実際に斬り込むことなどまずありませんよ、ご心配はいりませんと自信たっぷりだ。だが又八郎はこれまで浅野浪人と仕事を通じて何度か接しており、彼らならやるだろうと思っている。吉蔵は大石内蔵助も昼行燈の役立たずみたいに思っているようだが、直接会った又八郎はそうは思わない。刺客の一人を自ら斬り捨てたのだ。細谷に気がねしたわけではないが、又八郎もこの仕事を断る。これは危険だ。
     二人で並んで帰り、これでは飲みにも行けぬと別れようとすると刺客に襲われる。新田宮流の居合を使う強敵だ。ようやく倒して顔を見てみれば、国元で物頭を勤める曾部孫太夫という男だ。曾部のような大物が平藩士にすぎない自分を討ちに江戸にやってくるというのは異常なことで、国元に何か変化が起きているようでもある。

     この出来事が、又八郎にある決心をさせる。そんな大物が来るということは何が何でも自分を消したいという事情が国元にできたのだ。空腹を抱えていては不覚をとる。えり好みなどしていられない。

     又八郎と細谷は相模屋に引き返し、吉良邸の用心棒を引き受ける。清水一学という用心棒の取りまとめ役のような男に引き合わされるが、規則規則で外出も禁じられ、なかなか堅苦しい男の様子。だが腕はたちそうだ。
     飯は悪くなく、酒は禁じられていない。待遇は悪くない。だが人間は勝手なもので、腹がくちくなるとやはり浅野浪人の邪魔はしたくないな、という気分になってくる。

     一学は厳しいことを言うが、大勢が暮らす屋敷内にはいろいろあって、若い武士と台所女中が逢引きしているのを目撃したり、黒木左門というちょっと危ないタイプの男がいたりする。左門は又八郎同様、外から用心棒として雇われた浪人らしい。

     ある日土屋清之進という男が訪ねて来る。同藩の者で今は江戸屋敷にいる。藩主が死んだことや大富派間宮派の争いがあると教えてくれた男である。 
     土屋は又八郎が気にしている由亀の手紙を持っている。それによると今彼女は又八郎の祖母と一緒に住んでいて、何者かに命を狙われていると書いてある。
     土屋は実は間宮派の人間で、この手紙を又八郎に届けるよう間宮中老に命じられたという。国元では大富派間宮派の争いが激しくなっているらしい。藩主を毒殺した大富派の所業がバレてきて、間宮派が優勢になりつつあるらしい。すると大富派は毒殺の経緯を知る味方を次々に暗殺して証人を消し始めたらしい。その関係で又八郎に帰国命令が出ているという。土屋は又八郎を探してこれを伝えるよう言われたのだが又八郎の居場所は知らなかった。

     土屋は趣味人で、俳諧で他藩の人間とも付き合いがある。その中に山本長左衛門という男がいる。先日川崎で大石内蔵助を護衛する際に会った、浅野方の人間である。土屋は山本から又八郎が今吉良の屋敷にいるそうだが、明後日襲撃があるので退去されるようご忠告を、と言われて来たらしい。浅野浪人たちはかかわりができた又八郎と、森藩経由で知り合いが多い細谷に好意を持っているようで、二人と戦いたくないらしい。浅野方が二人が吉良屋敷に入ったと知ったのは相模屋のルートらしい。相模屋もこの仕事の危なさを心配して、浅野への伝手を使って知らせていたのだ。

     こうなってはこの好意を裏切れない。だからといって吉良屋敷をすんなり出られるか。逃げれば信用問題になって今後の用心棒家業に影響するし相模屋にも迷惑がかかる。

     二人は黒木左門が台所女中のきよに手を出そうとし、これを止めようとした恋人の新貝弥七郎が立ち向かおうとしたところに割り込んで黒木を挑発して喧嘩に持ち込む。木刀で細谷が黒木を叩きのめすが、激高した黒木は真剣で細谷を後ろから襲う。これを又八郎が木刀で打ちのめす。

     これはお屋敷の喧嘩御法度を破ったということで、二人は清水一学から退去を命じられる。

     討ち入りの日、二人は吉良屋敷の近くで屋敷内の様子をうかがっている。既に赤穂浪士は討ち入っていて、通行人は物音に首をかしげている。二人はこれが討ち入りの音だと知っている。やがて勝どきが上がり、赤穂浪士たちが門から出てくる。細谷の知人の神崎や茅野もいるはずだ。清水や新貝は奮戦して死んでいる。二人も別れの挨拶を交わす。

     又八郎はこの日のうちに国元に発つことにしている。

    ・最後の用心棒
     細谷源太夫と吉蔵に千住まで見送られて、又八郎は江戸を出る。ところが一人の男が後をつけてくる。又八郎と同じく二十七、八と見え、肩はとがり頬はやせている。
     佐久間宿を過ぎるころには道は閑散として、前に一人女が歩いているだけになる。そして見え隠れにあの男がつけてくる。大富派の刺客かもしれないと警戒する。
     ふと前を行く女がうずくまる。 

     いかがなされた、と駆け寄って声をかけると、女がくるりと身体を回して下から斬りかかってくる。又八郎は手首を浅く斬られる。女は短剣を持って二度、三度と突いてくる。十分に鍛えられた動きである。この女も刺客だったか、と又八郎は刀を抜く。女はそれにひるまず懐に飛び込んでくる。いつまでもかわしきれない。斬るしかない。女は自分の左腕を斬らせてその間に右腕で又八郎を刺そう、という構えを見せる。すれ違いざまに女の右腕を狙って刀をふるうと女は短剣で刀を跳ね上げる。又八郎は女の横をすり抜けざまに左腕を斬る。女は左腕を抑えて後ろに跳躍するが、木の根に引っかかるような形で一回転する。そのまま起き上がらない。又八郎が用心深く近づくと、短剣が女の腿のつけ根に刺さっている。又八郎が手当てしてやる、と声をかける。その刹那、後ろから凄まじい剣圧。あの男が迫っている。とっさに振り向いて剣と剣が激しくぶつかると、男は片膝をついた又八郎の頭上を翔け過ぎる。

     そのまま男は向かってこない。まあ、待てというそぶりを見せる。お主の腕を少し試したまで。ここで斬り合うつもりは無いと声をかけてくる。男は大富静馬と名乗る。家老の大富丹後の一族のようだ。静馬は勝手に満足したようでいずれ勝負をつけよう、みたいに去って行く。女と仲間かと思ったがそうではないらしい。というか、失敗した者は仲間ではないというみたいな。又八郎は放っても置けず女を手当てする。刺さった場所が股間に近いので、どうしても女の秘所が見えてしまうが淡々と作業を進め、短剣を引き抜いて血止めをする。女を背負い、近くの村まで連れて行って百姓家に運ぶと金を渡して医者にかけるよう頼む。女は佐知と名乗った。

     女を百姓家に預けて、又八郎は故郷の土を踏む。だが油断はできない。佐知の手当てに金を置いてきたので路銀が尽き、空腹と疲労で戦う元気も無い。今静馬と立ち会ったら敗ける。地蔵堂に隠れて夜になるのを待ち、笠で顔を隠して懐かしい自分の家にたどり着く。
     待ち伏せは無く、祖母ともと許嫁の由亀がいるだけだった。いろいろと圧力がかかっていたようだが、気丈な祖母が由亀を守っていたらしい。女中もいたが食わせていけなくなって暇を出したという。すぐに嫁に行ったらしい。その後で身寄りの無くなった由亀を息子の嫁になる娘だからと引き取り、由亀も素直に従ったらしい。

     又八郎はその夜のうちに中老の間宮を訪ねる。間宮は又八郎が脱藩してからの藩内での出来事を語る。前藩主の死に立ち合った医師が死に際にあれは毒殺だと言い残し、そのためこれを大富派の仕業と見た間宮が調べ出した。すると毒殺に関わったらしい人間が次々に暗殺されたという。大富派が証人を消そうとしてのことらしい。そのため間宮の調べも頓挫して下手人をつきとめられないでいるという。又八郎は藩主殺しの相談を聞いており、毒を持ったのは三人の侍医のうち村島という男だと指摘する。これを知っているからこそ又八郎は刺客を送られ続けていたのだ。
     間宮は大富を追い詰めるには手間がかかろう、闇討ちしないか、などとも誘いをかけてくるが、そんなことをして見捨てられたら困る。用心棒の経験から引き受けるべき仕事ではないと判断して又八郎は断る。
     やがて馬回り組として出仕せよ、と以前の身分に復帰できるとの沙汰が来る。禄高も以前通り。それだけ間宮の力が大富よりも強くなってきたのだ。
     又八郎は一つ屋根の下に住む由亀に、そなたの父親を斬った時に縁は切れたと思った、と話す。それでいて約束通り夫婦になることは武士として、と堅苦しいことを言いはじめるが、由亀に両親は既に無く帰る家は無い。又八郎に斬られた父は、最後に貴方を頼れと言い残しましたとも。又八郎は三年待っていた彼女を妻とする。

     又八郎の証言が決め手となり大富家老は切腹と決まる。だが抵抗した場合は上意討ちとなる。討ち手は藩一番の遣い手、牧与四郎。又八郎は同門の渋谷甚之丞と大富が逃げた時の控えの討ち手を命じられる。牧の一撃を受けた大富は逃げ出すが、又八郎に止めを刺される。

     外に出ると大富静馬がいる。家老の甥である。静馬はやろうか、と誘う。実は間宮の暗殺のために伯父に呼び出されたのだが断ったのだという。静馬の強烈な打ち込みを又八郎は受けるが、静馬はやる気がねえじゃないか、とそのまま闇に消えてしまう。又八郎はこの攻撃で負傷している。

     江戸の細谷から手紙が届く。故郷に帰るための旅費は吉蔵に借りたのだが、その金を送って返済したのを喜んでいたぞ、とあり このところ人足仕事ばかりだった細谷にもようやく楽で割のいい用心棒の仕事が入った、と喜んでいる。
     浅野浪人46人が腹を斬ったという知らせもある。大石内蔵助、吉田忠左衛門、長江長左衛門という偽名を使っていた堀部安兵衛、山本長左衛門と名乗っていた富森助右衛門正因。美作屋善兵衛は細谷のもと同僚、神崎与五郎だった。又八郎は何人もの浅野浪人を見知っていた。その彼らが腹を斬ったとあれば胸にこたえる。

     武家勤めはつらい。そして今、自分も武家勤めに戻った。江戸で過ごした二年間の暮らしは、つらくもあったが自由を味わった貴重な日々でもあった。藩内も今後は間宮を中心に落ち着いていくのであろう。
     自分も妻を得た。この土地に腰を落ち着けて、藩士としての安定はしているがある意味窮屈な人生がこれからはじまるのだろう。と思う又八郎だが、細谷の手紙の結びには
     来るべき再会を祈り上げ候。

     という一文がある。そして、来るべき時は数か月後にすぐ来てしまうのだが 用心棒日月抄という作品はここで終わる。最後のエピソードでちらっと登場した佐知が、シリーズ全体を通じてのメインヒロインになる。
     

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