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・笹尾なおこ という名前で1970年代に漫画家としてデビューし、自分の作品を細々と描きながらいろんな漫画家さんのかけもちアシスタントもしていたという著者の記憶に基くレポートみたいな漫画。
著者は小学六年生で美内すずえさんのデビュー作を読んで大ファンとなり、中学に入ると毎月のようにファンレターを出すように。自分も漫画の投稿をはじめて中三の時には佳作と銀賞を受賞。中学生活が終わる春休みには編集部に持ち込みに行く。
その時に隣の旅館で美内さんがカンヅメになっているけど会っていく?と言われて紹介されると、ファンレターで名前を憶えてもらっている。
今ならそんなことはないのだろうけど、当時は漫画家のアシスタントになるなんて正式ルートは無くて、投稿や持ち込みで編集部に縁ができるうちに頼まれるみたいな。
著者は高校生になるとすっかり漫画を描かなくなり、同年代のくらもちふさこさんが高校生漫画家としてデビューしたことで刺激を受け、旧知の編集長からももっと描かないと、と叱咤されて、くらもちさんが所属していた鈴木光明さんの勉強会に月一回参加するようになる。
最古参メンバーは山田ミネコ、他市川ジュン、和田慎二、原ちえこ、名香智子、はざま邦、はやせ淳、柴田昌弘、長岡良子、浅川まゆみ、夢野一子、槇村さとる、あさぎり夕、倉持和子、篠原千絵などの敬称略の人たちが所属していて、高校生中学生も多かったとのこと。
著者も投稿を再開し、高校三年でデビュー。夏休みに編集部から電話が来て美内すずえさんのアシスタントをすることに。木原としえさんが立ち寄って、美内さんとの会話を横で聞いていると漫画家同士の交流の広さがわかる。
そしてここでシュラバというものをはじめて経験する。背景資料など皆無なまま、ネームもできていない段階からテーブル!椅子!木!と言われるままに描いていく。それでも手が足りず次々に高校生や中学生が呼び出される。今ではいろいろ問題になりそうな。布団と風呂をしばらく見ない日々が続き、終わるとそのまま電車に乗って帰る。
少し余裕があるとおしゃべりしながら仕事。睡魔撃退のためもあって喋る。著者はこの時ホワイトでも直せない大失敗をするが手直しする時間も無く、そのまま印刷されてしまう。本を開くと死んでおわびしたいありさま。
このあともアシスタントとして何度もシュラバを経験するが、旅館の布団というものは一度も見たことがないという。限界になったらテーブルのところでその場で仮眠ということだったらしい。同い年のくらもちふさこさんの手伝いでは悪ノリして落書きみたいなモブや貼り紙をたくさん描いたとのこと。
短大を終えるとフリーのアシスタントとなって、ツテと口コミで仕事を受ける日々。当時はアシスタントも不足していたのであちこちで同じ人と顔を合わせたとのこと。作画技術もいろいろ教わって上達していく。
眠気覚ましにおしゃべりをする内容は圧倒的に怪談が多い。聞いた話を別の漫画家のアシスタントに広めるみたいになっていく。怖い話苦手な人もいて泣いて抗議されたみたいにも描いてある。一方で樹村みのりさんなんかは全く怖がらないとも。
美内すずえ先生失踪事件(編集部の勘違いだった)にも立ち会う。三年ぶりに美内さんのシュラバに入り、以前のヒドイ失態を謝罪しようとするが現場はテンパっていてそんな暇もない。
一度だけ三原順さんの助っ人に行った思い出。鈴木光明先生は勉強会を発展的に解消して少女漫画教室を開始。アシスタントも増えていく。これまではデビュー済みの漫画家がよそを手伝うみたいな感じだったのが、デビュー前の人がアシスタントをするようになり、自分自身はアシスタントの仕事が忙しすぎていつまでもデビューできないみたいな現象も起きる。
著者はデビュー済みだがアシスタント専業みたいになって自分の漫画が描けなくなる。アシスタントに入った樹村みのりさんから、不完全なものなら描かない方がマシという完全主義をやめてどんどん描いたほうがいいよ、とアドバイスされるのだがもう23歳だから遅い、と思ってしまって一作はなんとか描いたもののやがて漫画を離れてしまったらしい。
樹村さんは酒井美羽さんが時間が無くて間に合わないデビュー作のベタ塗りを手伝ってくれたとのこと。
著者はアシスタントとしては山岸涼子さんが当時は衝撃作だったトラウマ漫画「天人唐草」を描く時に立ち会っていて、山岸さんがこれ描きたくないとこぼすのを聞いたりもしている。
シュラバの定番と言えば怪談話の他にラジカセ音楽があり、萩尾望都さんが作詞・作曲・歌・ナレーションを全部自分でこなした「アシスト・ネコ」というのがまさにアシスタントの姿を赤裸々に表現したもので笑いながら聞いたという。本では歌詞が全部載っている。
著者の経験した、一番シュラバだった職場はやはり美内すずえさんだったという。美内さんは漫画家志望者に三日徹夜座りきり一カ月一日半の絶食を覚悟するようにという言葉を贈っていて、自分は睡眠が一日15分だったとか。ブーツでやってきたアシスタントが帰ろうとすると、足がむくんで入らないこともあったという。美内すずえさんの職場での思い出はつきないらしい。
美内さんには七年たっても初アシスタント時の失態を会う時はシュラバばかりで謝れておらず、ようやくあるパーティーで言えたという。
その後少女漫画が話題となり、テレビに樹村みのりさんや山岸涼子さんが出演していた時の話なども。
著者はたいへんだったけど面白かったと振り返ることができ、やがて漫画家は引退するがかつての仲間たちと会う機会もあるようでいい青春時代を過ごしたのだと思う。
今も現役の漫画家であるらしい仲間によれば、今のアシさんは毎日シャワーを浴びて寝る前の一時間は洗顔とスキンケアをして7時間きっちり眠るとか、完全デジタルでアシさんは在宅とかで、昔みたいにみんなでわいわい徹夜するなんてことはないらしい。
昔はめちゃくちゃすぎたけどブラックとは微妙に違うと思い返している。
著者は漫画家としては32年ぶりの仕事とのこと。亡くなっている三原順さん以外の漫画家さんには全て承諾をもらい、ネームのチェックもお願いしたので内容は全て事実だという。
執筆のきっかけは同人活動で、コミティアからだったらしい。
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>>1
バードウォッチャー様、コメントありがとうございます。
執筆当時には「描きたくない」と言っていた山岸先生は、のちにテレビインタビューで自分が描いた中で一番好きな作品は、と問われて
「天人唐草」です、それが転機となって表現の幅が広がった、みたいなことを答えていたと描いてありました。
著者は一人の作家が殻を破る瞬間に居合わせたんだ、と回想しています。
漫画家の不眠不休は、江口寿史さんや鴨川つばめさん、富樫義博さんが強引に連載終了したり休載したあたりから編集部側の認識も変わっていったように思います。
今も不眠不休の人もいるかもしれませんが、手塚さんみたいに何誌にも同時に連載を持つ、みたいな人はまず見当たらない時代になりました。
今はけっこうマイペースで描ける人もいて、ヒット作がある人には居心地がいい環境になっているかもしれません。それでもたいへんはたいへんなんでしょうけど。
バードウォッチャー様、コメントありがとうございます。
執筆当時には「描きたくない」と言っていた山岸先生は、のちにテレビインタビューで自分が描いた中で一番好きな作品は、と問われて
「天人唐草」です、それが転機となって表現の幅が広がった、みたいなことを答えていたと描いてありました。
著者は一人の作家が殻を破る瞬間に居合わせたんだ、と回想しています。
漫画家の不眠不休は、江口寿史さんや鴨川つばめさん、富樫義博さんが強引に連載終了したり休載したあたりから編集部側の認識も変わっていったように思います。
今も不眠不休の人もいるかもしれませんが、手塚さんみたいに何誌にも同時に連載を持つ、みたいな人はまず見当たらない時代になりました。
今はけっこうマイペースで描ける人もいて、ヒット作がある人には居心地がいい環境になっているかもしれません。それでもたいへんはたいへんなんでしょうけど。