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仏教語源散策(中村元編)」Ⅱ仏教の宇宙観と日本人①三界・娑婆・有頂天
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仏教語源散策(中村元編)」Ⅱ仏教の宇宙観と日本人①三界・娑婆・有頂天

2021-04-22 19:00
    ・冒頭に中村元氏による、インド人の巨大なスケールの宇宙観が仏教を通じて昔の日本に伝わり、日本人に大きな驚きを与えたろうというようなことが書かれている。

    ・三界(さんがい)
     サンスクリット語でtri-dhatu(aの上に-)トリ・ダートゥで、このダートゥが界にあたるのだが、本来「要素」とか「成分」みたいな意味で世界という意味は持っていない。
     仏教で三界というと「欲界」「色界(しきかい)」「無色界(むしきかい)」で、生き物が輪廻する世界全体のことだという。「女は三界に家無し」とあれば全世界みたいな。

     欲界とは最も下にあり、欲を有する生き物(衆生)が住む。このなかに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六種類がある。これを六道とか六趣と呼んだりする。天(神々)でさえもここにいる。
     色界は欲を離れた清らかな世界。無色界はさらにその上の領域で精神のみが存在する。この無色界の最高到達点を非想非非想天といい、これがいわゆる有頂天だという。
     つまりこれらの「界」という言葉は世界の意味ではなく、修行によって到達できる瞑想レベルの段階を示す用語みたいな。

     仏教でないインドの文献では三つの世界といった場合には、
    ①神々の住む天上の世界
    ②人間の住む地上の世界
    ③竜や魔物の住む地底界
     ということになるらしく、宇宙全体という意味に等しくなるとのこと。
    でも仏教の三界は瞑想レベルを示す「欲界」「色界(しきかい)」「無色界(むしきかい)」で意味が大きく違ってくる。
     悩ましいけど原語のサンスクリット語がどちらの意味の場合も、漢訳された仏典では三界になってしまっている可能性があるという。
     三千大世界というのは千の三乗の数の世界のことだとも書いてある。

    ・娑婆
     サンスクリット語saha(最後のaの上に-)サハーは今私たちがいる現実世界のこと。原語では「大地」という意味に通じ、耐えるとか支えるみたいなイメージにつながるらしい。
     娑婆は監獄なんかから出てきた人に関する言葉にもなっているが、知っている人を知らないふりをする場合に使われることもあるという。
     「娑婆で見た弥次郎」(しゃばでみたやじろう)の意味 (jitenon.jp)

     「娑婆以来」というと 奇遇だねえ みたいな意味で、いかがわしい場所で知人とばったり会ったりした時に使われる言葉だったという。

    ・有頂天
     釈尊の死後、その教えや解釈は弟子や僧たちに整理されて、アビダルマ教学として集大成される。古代インドの宇宙観もこの中に取り込まれる。
     命あるものの世界は地獄・餓鬼・畜生・人間・天の五道もしくはこれに阿修羅を加えた六道に分類される。
     サンスクリット語のdevaデーヴァは天と訳され、光り輝くもの、尊いもののことで神という意味になる。と同時に神のいる場所のことも示す。
     神は五道もしくは六道の「天」にいるのだが、天に生まれても寿命はあり、次に必ず天に生まれるとは限らない。地獄に転生するかもしれない。

     この六道とかの他に欲界・色界・無色界の三界という概念があり、欲界には本能的な欲望を持つものたちがいる。先の五道の地獄・餓鬼・畜生・人間は全部ここに入る。さらに天の中で下級のものはここに分類される。
     色界には物質が存在し、中級の天がここにいる。無色界はもはや物質も存在しない精神だけの世界で、最高クラスの天はここにいる。つまり天は三界説の元で上中下に三分割される。
     
     下級の天は六欲天とも呼ばれて下から順に 四王天、三十三天、夜摩天、都史多(とした)天、楽変化天、他家(たけ)自在天という。
     色界には十七の天(十六もしくは十八説もある)があり、無色界には空無辺処天、識無辺処天、無所有処(むしょうしょ)天、非想非非想処(ひそうひひそうじょ)天の四つの天がある。厳密には精神だけで実体がないので「ある」という表現がふさわしいとは限らない。

     色界や無色界は瞑想のレベルみたいなもので、無所有処は何ものもそこに存在しないみたいな、非想非非想というのは想いがあるような無いような瞑想の極みみたいな。これが瞑想する修行者にとっては最高レベルになる。そこで非想非非想処天には有頂天という別名がある。
     ブッダはこの有頂天さえはるかに飛び越えて悟りを開いた存在になる。

     なので有頂天というのは仏教修行者にとっては簡単にたどり着けないハイレベルな境地であって、現代人のようにちょっとしたことで有頂天になってしまうのは仏教的には違うらしい。
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