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「仏教語源散策(中村元編)」Ⅴ仏教の実践と日本人①解脱・利益・呵責
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「仏教語源散策(中村元編)」Ⅴ仏教の実践と日本人①解脱・利益・呵責

2021-05-17 19:00


    ・中村元氏による解説があり、日本における仏教は人々の生活・習俗として受け入れられたみたいな。言葉からそうしたものを探るとある。

    ・解脱
     世界中の様々な宗教で死後の世界はどうなるかが論じられ、肉体は滅びても魂は不滅で転生するという輪廻思想が生まれていく。
     古代インドではこれを何度でも死なねばならず、安楽な生の後にウジ虫に生まれ変わるのでは救いが無いととらえてなんとか輪廻の輪から逃れ出たいという方向に関心が及ぶ。
     輪廻の輪から外れるということが解脱である。解脱に到る条件は宗教によって異なるが、この解脱が宗教の最終目標になっていく。魂が全ての束縛を離れて自由になることとがすなわち解脱だということらしい。

    ・利益(りやく)
     リエキと読めば一般的な儲けとか得の意味だが、リヤクと読めば仏教用語になる。
    「仏・菩薩などが衆生に対して恵を与えること」だという。
     サンスクリット語ではarthaアルタで、利益の他に目的・対象・意味・財産などの意味を持つとのこと。
     人間が神々に祭祀を行い、讃歌を捧げるなら神々がお返しに利益を与えてくれるみたいな発想で、日本でも神仏に祈ればゴリヤクがもたらされると考える。
     祈りと御利益の関係は複雑で、いい結果をいいままにするか、悪い結果を悪いままにするかはそれを受け止める人間の心のありの問題でもあって一概に言い切れないような。

    ・呵責
     呵とは「叱る」「責める」という意味の漢字だそうで、呵責で叱り責めるみたいな意味になる。この語源らしき言葉はサンスクリット語やパーリ語にいろいろあるらしいが、漢字の意味と大体似通っているらしい。
     呵責犍度(かしゃくけんど)という言葉があって、仏教教団内で争ってばかりいる二人の僧に対して釈尊が叱責し、このような場合の処理や当事者の処分について定めた規定のようなものらしい。犍度というのは修行僧の生活心得みたいな。
     あまり他人を叱責しないイメージの釈尊が厳しく弟子を叱った例でもあるらしい。


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