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「奥州白河・会津のみち(司馬遼太郎著)」③新幹線とタクシー
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「奥州白河・会津のみち(司馬遼太郎著)」③新幹線とタクシー

2021-06-20 19:00


    ・司馬さんは新白河駅に着く。
    司馬さんは福島県を漢字の「列」という字に例える。右側、ツクリのリットウの部分は右の線が浜通り、左の線が中通りに例えられて、浜通りと中通りの間には阿武隈山脈が走る。左のタの上に一の方は奥羽山脈で隔てられて北部には横方向に吾妻山山地が走り、越後山脈と帝釈山地が斜めに走る。これらが会津盆地を囲んでいる。
     会津は東北よりも日本海に面した越後に気候が近く、豪雪地帯である。
    気象のせいか会津と中通り浜通りでは気性も違い、江戸時代から教養が根付いていた会津には優越感があるという。
     知事選挙でも候補がどの地域出身かが県民の関心事になるらしい。福島では佐藤姓が多く、源平時代に信夫あたりで勢力を持っていた佐藤庄司という人物がこれに関わっているという。
     佐藤庄司には二人の息子がおり、奥州から義経につき従った。兄教経(のりつね)は屋島の合戦で平家の弓の名手・能登守教経(のりつね)の強弓から義経をかばって死に、弟忠信は義経がわずかな郎党とともに吉野に落ちた時、この包囲を抜けさせるために身代わりとなって奮戦し、義経が無事脱出するのを見届けて死んだという。この佐藤兄弟にあやかったことからこの地に佐藤姓が多いのだろうという。

     福島には白河や会津など古くからの城下町も多いが、郡山は安積と呼ばれる沼地と原野だった。ここが明治政府によってオランダ人技師フォン・ドールンの設計のもと、猪苗代湖の水を引き込む安積疎水を作って原野から広大な田園に変わる。さらに交通の要衝であることから急激に都市化し発展する。そのため郡山の人間と白河の人間にも互いを下に見る意識があるらしい。司馬さんはこれをタクシー運転手との会話で実感する。
     白河人は新幹線が通ったこともあり東京まで1時間弱で行けることも何かと誇らしく言う。だが司馬さん以下取材陣は関西や九州、三重県の出身なのでそれがどうした、と感じている。
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