岩見重太郎(立川文庫)を今頃読む
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岩見重太郎(立川文庫)を今頃読む

2015-02-24 22:28


    ・大正時代に「立川文庫(たつかわぶんこ。たちかわぶんこではないそうだ)」というのがあって、当時の少年達に大人気だったらしい、という事は何となく知っていた。どこで知ったかは覚えていない。
     この本は最終的にどれだけどんなタイトルのものが発行されたのか、ウィキペディアによれば完全にはよくわからないらしいが、豪傑や剣豪、忍者などの活躍を描いたものが大部分らしい。猿飛佐助など真田十勇士も、この文庫によってイメージが作られたように聞いている。
     原本を集めようなどとは思わないが、機会があれば読んでみたいとは思っていた。
     有名な作品は何度か復刻されていて、昨年の新橋駅前古本市で人物往来社版を4冊ほど入手したまま放置していたが、そのうちの1冊をこの度ようやく読むことができた。


     
    ・岩見重太郎(昭和43年発行)
     岩見重太郎と聞くと、どこで聞いたのかヒヒ退治という連想が働くが それ以上の事は知らない。
     最終的に薄田隼人(すすきだはやと)と名乗り、大阪夏の陣で豊臣方について戦い、討ち死にした人というのはこれを読んで初めて知った(本の性格上、事実であるか否かは別として、そういう人だと当時の少年達が認識していた、という意味で)

     書き出し部分を少し転記してみる。

    『花は根に鳥は古巣に帰れども、返らぬ親の慕わしく、春風桃李花開くの夢すでに去りて、
    秋露梧桐葉落つるの悲しみを見たる哀れさを、取り直しつつ子心の色さえ丹後国天橋立において、父兄の仇、妹のかたきたる三人の悪漢、それに助太刀をなしたる千有余人の若武士を向こうにまわし、めでたく仇討本懐をとげ、のち大阪落城の際、誉田山一片の露と消えたる、後年の薄田隼人正兼亮、前名岩見重太郎の伝記を本日より講述に及びまする。』

     字は小さく、振り仮名も無い こんな感じの文章が、延々と続く。読点がやたら多いが、句点は少ない。もともとは講談として語られていた口上をそのまま文字にしたものが立川文庫のはじまりだそうなので、そう聞けばなるほどと思う。
     それにしても 子供が読むには結構難しい文章だと思う。というか今の大学生だってきっと難しい。これは復刻版だが、おそらく原本にも振り仮名は無かったんじゃないかと思う。当時の子供の教養恐るべし。決まり文句などは耳から聞いて覚えていた、という事もあるのだろうか。意味はわかるが、当時どのような読みであったのかはよくわからない。

     「秋露梧桐葉落つる」を「しゅうろごどうばおつる」と読んだのか、あるいは「あきつゆあおぎりはおつる」と読んだのか。どちらでもなかったのか。もう当時どうだったか知っている人は日本にほとんど残っていないだろう。今も講談として語る人はいるのだろうけど。

     以降は5、6頁毎の細かい章に分かれて、大体の内容がわかるタイトルがついている。以下タイトル毎に大まかな内容を記す。

    ・岩見家家系重太郎の生立ち
     筑前国名島城主 小早川隆景に岩見重左衛門という5千石取りの臣下があり、剣道指南と軍学兵法の教授を兼ねる文武両道の達人であったが、妻芳江との間には仲睦まじいのに相反して長く子が出来なかった。
     これを心苦しく感じる芳江は重左衛門に妾を召抱えて子供を作るよう頼み込むが、その結果7歳になる重蔵を子として迎える事となった。実は重蔵は若き日の過ちで使用人に重左衛門が生ませたが、世間をはばかって旧知の百姓に預けていた、実の息子であった。
     ところが皮肉なもので、重蔵を引き取って間もなく芳江は懐妊し、男子が生まれた。これが重太郎である。また三年後には妹、お継も授かる事となり、親子5人は仲良く暮らすうちに重太郎は13歳の春を迎えた。
     重左衛門は兄には若いうちから文武の道を仕込んだが、思惑があってか弟重太郎には学問のみ仕込み、武道の手ほどきは行わなかった。

     ※夫に妾を持つように勧める妻、そう言われてはじめて実の子供がいる事を妻に打ち明ける夫。現代視点から見ると倫理的にいろいろあれなんだが、兄弟仲よく、妻も分け隔てなく接する。表面的に禁じて裏ではいろいろやっている現代より、開けっぴろげのこの時代の方がいい面もあったのかもしれない。

    ・岩尾山において剣道修行
     剣術を学びたい重太郎。しかし父は、重太郎には剣術より軍学が向くと考え、剣は教えないつもりでいた。しかし我慢しきれない重太郎は近所の岩見山に登って独自に修行を開始する。
     自己流の修行を続けるうちに、通りかかった80歳以上と見える 仙人のような風貌の老翁が剣を教えてくれることになり、重太郎は家出してこの老人に弟子入りしてしまう。
     この老人は滅亡した大友家で軍学武術師範役であった、角熊越前守石斎という人物であった。重太郎はここで3年間一心に修行して鞍馬八流の極意を授かり、師の「もう教えることはない」との言葉もあって屋敷に戻る事にした。

     ※親に無断で家出するほうもする方だが、連れて行く方も行く方である。「角熊」は「つのくま」と読むらしいが、角熊越前守石斎なる人物はぐぐっても全くヒットしない。
     大友家というのは大友宗麟の大友家か。実際には衰退したものの江戸時代まで続いたようで、この時点で滅亡まではしていないようだが、講談だから。

    ・大男総身に知恵が回りかね
     16歳の秋に重太郎は実家に戻るが、どこで何をしていたかは特に親兄弟には話さず、ニコニコしているばかり。家人はこれを失神者として扱い、重太郎は17、18歳と成長する。周囲は重太郎を独活の大木とか大男総身に知恵がまわりかね馬鹿だ阿呆だ、と言いたい放題だが本人は全く気にしない。18歳の3月15日、けらいの者2名をつれて箱崎の八幡様に参詣に向かった重太郎は、父のライバルでもある剣術指南役、野村金太夫の倅金十郎が門弟50人と奉納試合をやっているのに出くわし、一つからかってやれと悪心を起こした金十郎に誘われて門弟7、8人と戦うはめとなる。

    ※家人は重太郎を「失神者」どうようの者と扱う とあるが、「失神者」と今言うとビートルズのコンサートで失神した人、みたいに気を失った人というイメージが強い。「失神」には「正気を失うこと。きぬけ。喪心」という意味もあるということなのでここはそっちだろう。ただ、頭がおかしい、という意味では別に「発狂人」という言葉も出てくるので、正気を失っていると言っても 暴れたりするのではなく おだやかにただ笑っているだけ という状態を「失神者」と呼んでいるようだ。当時はこの言葉のイメージは 気絶する より そちらの方が強かったのだろうか。

    ・能ある鷹は爪を隠す
     師匠の戒めもあり、剣は知りませぬ、とやりすごそうとしたもののそうもいかず、金十郎の弟子7,8人と立ち会うはめになった重太郎は難なく彼らを打ち据えてしまう。これを見た金十郎はさすがに重太郎がなかなかの腕前を持っていると見抜き、弟子を下がらせて1対1の勝負を挑むがあっけなく破れ、さらに4、50人いた残りの弟子達も重太郎は軽くあしらってしまう。これが家中の評判となり、父にどこで剣を習ったか問われた重太郎はこれまでの経緯をはじめて父に話す。父は感じ入りながらも無法の立会いをいましめ、重太郎も慎むが、そのひと月後、金十郎は宴席中に通りかかった重太郎を今度は酒席に誘い、酔い潰してしまう。
     約半日寝込んだ重太郎は一人料亭で目覚め、勘定は済んでいると聞き帰ろうとしたところを覆面の男にいきなり切りつけられる。

    ※もう相手にする人数がいきなり50名で、それを難なくあしらってしまう。講談はそういうものなので、それに違和感を持つ人は楽しめないだろう。当時の子供も、本気でそう信じたわけではなく、まあ一種の形容詞みたいな受け止め方をしていたのだろう。
     金十郎は一度は負けを認めるのだが、ひと月後に偶然重太郎を見かけたときに、大勢で酒を飲んでいたこともありムラムラと仕返ししてやろうと思ってしまう。
     お互いに不幸な遭遇だった。酔い潰したところでは何もせず、目覚めた後に切りかかるのは剣客としての矜持であろうか。

    ・若武士重太郎を暗討にせんとす
    重太郎は盗賊に襲われたものと思い、反射的に応戦し最初の一人を切り倒す。だが次から次へと曲者が湧き出て、気がつけば重太郎は50名近い敵を切り倒し、返り血で真っ赤に染まっていた。心配して探しに来た実家の使用人の一人が、倒れている男の一人が城代家老の息子である事に気付く。また例の金十郎も袈裟切りとなって倒れていた。思わず酔いが覚める主人公。
     早速目付けに届け出るが、目付けから言上された主君小早川隆景は重太郎に同情的である。しかしながら家中の者が重職の息子も含め大勢殺された事実は重い。
     だがここで息子を斬られた城代家老その人が非は我が息子をはじめとした襲撃側にあり、寛大な措置を、と目通りを願い出る。

    ※家老の息子はセリフも無く、登場したとたんに息絶えている感じなので何でまた襲ってきたのかわからない。金十郎とよっぽど仲がよかったのか。
     金十郎にしても、恨んで付け狙っていたような描写は無く、たまたま飲んでいたところで見かけた重太郎にしたたかに飲ませて酔い潰したのだから、それで満足すればいいようにも思うし 恨みが深いなら寝てる間に何とでもできそうなところを わざわざ目覚めるのを待って(その間 まだ起きないか と大勢で外で待っていたことになる。そんな描写は無いが 起きました!こちらに来ます!なんて伝令も走ったのだろうか)襲撃して全員返り討ち、というのは役回りとはいえ何か哀れな気がする。どうもこの襲撃は話の運びにかなりの無理を感じるが、要は次々に主人公に危機が訪れなければ、という事でこうなるのかな。


     以降、この調子で紹介していくとなかなか終わらないので大幅にはしょることにする。
    基本1章につき2、3行で簡略化していきます。

    ・武術修行のための諸国遍歴
     息子を殺された家老がなかなかの人物で、悪いのは倅達、襲われた重太郎は身を守っただけ、と主張しお咎めは無かったが、重太郎は父の命により故郷を離れ武者修行へ出ることに。

    ・父重左衛門暗討ちにあう
     主君小早川隆景は子が無かったため、養子浮田中納言秀秋を迎える。秀秋について来た大川八左衛門、成瀬軍蔵、広瀬権蔵の3名は腕自慢で重太郎の父に挑むが敗れ、卑劣にも銃で暗討ちにする。

    ・野州街道にてお継の危機
     出奔した三人を追って、重太郎の兄重蔵と妹お継は仇討ちの旅へ。難波、京都、花のお江戸と巡るが仇の消息は無く、奥州すじ野州街道へ足を向ける。途中ではぐれたお継は雲助につかまり、あわやというところを追いついた重蔵に助けられるが、ここで重蔵は腹痛を起こし倒れてしまう。

    ・兄重蔵敵のために逆討ちにあう
     そこに仇の三人が偶然通りかかり、戦いに。だが重蔵はほとんど動けず重傷を負う。通りかかった加藤左馬助喜明の家臣、塙団右衛門直之と名乗る大兵肥満の武士が助太刀に入り、兄妹を救うが三人は逃亡する。

    ・若松太兵衛の義侠
    重傷を負った重蔵を団右衛門は最寄の旅館に担ぎこむが、旅館の主人は商売の邪魔だと、手当ての場所さえ貸そうとしない。見かねた地元の侠客、若松太兵衛が自分の家で手当てを、と一行を迎え入れる。

    ・お継苦界に身を沈む
     手当ての甲斐あって介抱に向かう重蔵。それと見て団右衛門はもう安心と旅立つが、その後の容態思わしくなく、ついに急変し重蔵はこの世を去る。太兵衛は葬儀の手配にも心を配り、野辺の送りをすませるが、お継はこの恩を返さんと、渋る太兵衛を説き伏せて、宇都宮の遊郭に若浦という名前で上がることとなる。

    ・重太郎汐巻平蔵を驚かす
     そんな事とは知らぬ重太郎は宇都宮の近在川田村の高野道場に酔った勢いで乗り込み、仙台出身の中沢万之助及び汐巻平蔵なる剣術使いと立会い、これを見事打ち負かすが 酔いが覚めると悪いことをしたと謝罪に出向く。彼らの看病のため重太郎は高野道場に泊まりこむこととなるが、ここで道場主高野弥平次の悪癖を彼の妻から聞かされる。

    ・岩見高野弥平次に意見す
     弥平次は立派な女房がありながら、毎晩宇都宮の遊郭の若浦という女のところに通っているのだという。これを聞いて女房に同情した重太郎は、高野に意見をしようとさっそく遊郭へ乗り込むが、若浦が妹お継に瓜二つなのを見てけげんに思う。

    ・重太郎はからずお継に会う
     遊郭に泊まることとした重太郎。夜半訪ねてきた若浦が、まさしくお継である事を名乗り、再会を喜ぶ二人。父と兄の無念やお継の苦労を聞かされ、すぐにでも仇を追おうと二人で出立する。お継はとうに身代金は払い終えており、問題は無かったが、若浦が妹であると言うのを恥ずかしく思った重太郎は、高野には何も言わず立ち去る。高野は重太郎が若浦を奪ったと誤解してしまう。
     高野は重太郎が出羽山形の金蔵破りの犯人で、情婦をつれて逃げている、とありもしない罪で重太郎を訴え、何も知らない二人は関所で捕まってしまう。
     自分がいなくなれば重太郎は一人で逃げられる、と思ったお継は、舌をかんで果てる。

    ・仙台石の巻において破牢
    お継の死を聞き、もはや辛抱の必要なし、と重太郎は破牢。石巻から信州松本へ逃げ延びる。ここでいよいよ狒狒退治のエピソード。私は読んだ事ないので楽しみ。特別にはしょらず全文を転記します。

    「重太郎はここで国常明神へ人身御供として名主の娘が上がると聞き、ついにこの娘を助け、年ふる大狒々を退治した。これはすでに芝居演劇で、人口に膾炙していることでありますからすべて略すことにいたしまする」

     ・・・・・・・・・・・・。

     この後近州長浜から大津行きの船に乗った重太郎、暴風雨にあって船が沈み、一か八か、板一枚かかえて波の中へ。

     
    ・村松のために危機を救わる
    江州滋賀郡唐崎村の庄屋、村松平左衛門は慈悲深く村人の信頼熱い好人物。息子平三郎と共に無類の剣術好き、苗字帯刀御免の家柄。悪天候を案じて湖水を訪れ、波打ち際で死にかけていた重太郎を発見し、屋敷へ連れ帰って介抱する。重太郎はまもなく気がつくが、追っ手をはばかり正体を明かさず、重蔵と兄の名を語り、村松父子の下男として過ごすこととなる。

    ・七人天狗の乱暴
     村松父子の通う新田村伊藤亘道場に七人天狗と名乗る腕利きの道場破りが現われ、門人を次々に打ち倒す。平三郎は岡野なるうち一人を倒すが、続く薙刀使い大日五郎左衛門に敗れ、まいったと言っているところを起きあがれなくなるまで叩き伏せられる。これに対し父平左衛門は逆に大日を追い詰め、まいったを許さずに打ち据え、息子の敵をとる。

     
    ・下男重蔵初めて腕前を現わす
     七人天狗の頭、赤星主膳が進み出て、平左衛門と対決。しばし互角に打ち合うも、平左衛門請け損じ、肋骨を折る。ここでまいったするが赤星許さず、脳天へ木刀を振り下ろし、眉間の皮が破れて平左衛門は大量に出血昏倒。これを見て伊藤道場主、敵わぬまでも出ようとするが これを制して立ち会った重蔵こと重太郎、なんと素手で赤星の木刀を制し、これを取り上げてさんざんに殴りつける。これを静かに見つめる七人天狗の一人、上松藤兵衛。

    ・天狗の鼻折重太郎の巧名
     上松以外の5人は、赤星の敵をといっせいに重太郎に打ちかかるが、あっという間に殴り倒され、二度と乱暴はしない、命ばかりはお助けを、とほうほうの体で逃げ帰る。
     重太郎ここで出身を筑前と明かすが、なおも本名ではなく野村金十郎を名乗る。
     七人天狗が去った後、改めて伊藤道場主と村松父子と親しむ重太郎。しかしもはや重太郎を下男扱いできなくなった村松父子に、改めて自分は仇持ちであり、本名も野村でなく岩見重太郎であると名乗ると、父子は重太郎の衣服と旅支度を整え、ここに重太郎敵を求めて京都へ旅立つ。

     
    ・悪漢姦計をめぐらさんとす
     一方の七人天狗。一度は退散したものの、二度と乱暴はしないと誓ったはどこへやら、仕返しを言い出す赤星主膳。それに次々同意する一同の中、一人上松藤兵衛だけはそのような卑怯な真似には賛同しかねると袂を分かつ。

    ・悪漢村松伊藤を討つ
     残った6人は村松親子をいとまごいの名目で訪ね、重太郎がすでに旅立ったと知るや、これはしめたと和解の酒宴をもちかけ、何も疑わずこれを受けた村松父子が酔ったところを切り捨て、さらに同じ手口で伊藤先生もだまし討ちにして、村を去る。

    ・岩見恩人の仇討ちに出立
     かろうじて難を逃れた村松家の番頭、丈助は重太郎に知らせて敵を討ってもらおうと、京都を目指し、清水観音で重太郎を見つけ、親子の無念を告げる。
     重太郎これを聞き新田村へ戻り、恩人の墓参をすませると、天狗どもを追って再び旅に出る。

    ・重太郎恩人の仇敵に出会う
     丹波篠山、前田徳善院のご城下はお殿様が剣術好きで 腕自慢はお召抱えになるとのことで
    全国から剣術使いが集まってくる。
     最近6名の剣客が新たに召抱えとなっており、これが七人天狗のうち6名らしい。
     重太郎はさっそく 藩の武術指南、宝蔵院流槍術の福田庄三郎に仕官を申し入れ、福田の槍を鉄扇であしらって腕を認められる。
     福田さっそく藩主前田公に重太郎の話をすると、候おおいに喜び、先に召抱えた6人と
    立ち合わせ、その様子を自ら検分してその実力を確かめたいとの仰せ。

    ・いよいよ恩人の恨みを酬う
     一方の天狗6人。岩見重太郎との腕試し受けるかと問われ、重太郎を野村金十郎という名でしか認識していない彼らは引き受ける。試合場で重太郎であることを知り慌てるがもう遅い。
    重太郎は彼らを打ち負かし、前田公に彼らの非道のふるまいを告げる。
     追放になった彼らをさらに城下はずれで打ち殺した重太郎は、村松家の番頭たちにこれを知らせ、また旅立つ事に。
     恥ずかしながら 酬う(むくう)って読めなかった。
     

    ※さんざん引っ張って来た七人(今は6名)天狗との最後の対決。だがわずか2行で
     「こころえたりと岩見重太郎は、その中央に飛び込んで、鉄扇一本をもって渡り合い、みるみるうちに六人のものをそれへバタバタとなぐり殺した。」と決着。講談というのは、相手の卑怯なふるまいとかの説明にはすごく時間をかけるが、いざ勝負の描写はこんな感じで具体性も乏しく、「戦った」「倒した」的な描写が多い感じだな。

    ・塙団右衛門と山中の奇遇
     丹波・但馬の国境、桂山ふもとの茶店に現われた重太郎、主人から山賊が出ると聞くや退治してくれようと、握り飯をもらって山中へ。だが誰にも出会わず辻堂で寝てしまう。夜半目を覚ました重太郎、星明りの中で鉄棒を持った巨漢の武士と遭遇し、戦う事に。

    ・亡父夢に重太郎を教ゆ
     山賊と思って巨漢の武士と戦ううちに、重太郎は相手がなみなみならぬ技量の持ち主であると悟る。すると相手も同じ思いを抱いたと見え、鉄棒を引いて自分は塙右団衛門という山賊退治に来た者だが、貴殿の腕前に感服した、是非名をお聞かせいただきたいと言う。
     これを聞いて重太郎も剣を納め、二人は語り合ううちに兄と妹を通じての縁もあることを改めて知り、再会を約して別々の方角に旅立つ。
     重太郎は宮津の旅籠に泊まり、父が もうすぐ敵と出会えるが、相手には大勢助太刀があるので油断するな、と語りかける夢を見る。

    ・宮津における旅宿の侠気
     中村式部少輔一氏殿のご城下、宮津で仇討ちの支度をと格式の高い旅籠に泊まった重太郎だが、熱を出し四、五日寝込んでしまう。それも回復し、旅籠の亭主伊勢屋才助と酒を飲みつつ殿様の話などを聞く。

    ※ここで出て来る宮津は、天の橋立に近いという記述もあり今の京都府宮津市に思えるが、中村一氏なかむら かずうじ)の領地は近江だったみたいでちょっとずれている。ややこしいことに近江にも宮津という地名もある。だが城下町というには宮津市の方がふさわしい気もする。宮津がどちらを指しているのか?近所の有名人と有名な土地を強引に結び付けているんだろうか?その辺の知識が乏しい私にはよくわからない。

    ・初めて三人の敵を見出す
     そこで折りよく中村式部少輔一氏の一行が旅籠の前を通り、格子からこれを覗いた重太郎、一行の中に憎き仇、広瀬、成瀬、大川の3名が行列の中にいる事を見て取る。亭主に聞けば、この春殿舟遊びの際に大風で転覆したところをお助けし、新規召抱えとなり、今は剣のご指南番を仰せ付けられた沢田新左衛門、村田仙右衛門、松崎小兵太だという。

    ・丹後天の橋立大仇討ち
     重太郎は伊勢屋才助に自分は父の敵を追う身であり、偽名を使っているがその沢田、村田、松崎の三名こそかの者らに相違ないと打ち明け、伊勢屋の助けを借りて町奉行中村惣左衛門へ仇討ちを願い出る。
     奉行の話を聞いた大殿は、さっそく三人を呼んで問いただすと 彼らは確かに岩見重太郎の父を討ち取ったが、これはあくまでも武術の上の問題で、卑劣なことはしていない、しかしながら息子が仇討ちに来たとあれば討たれてやりましょう、と心にもない殊勝な言葉。
     これに感じ入った大殿は討たせてはならじ、と家中の者に助太刀を命ずる。その数350名に達する。
    ※沢田の表記はこの章では津田となっている。仮名だからどっちでもいいのだろう。

    ・塙団右衛門その他の助太刀
     この仇討ちの噂はたちまち城下に広がり、助太刀はさらに増えて1千名に達する。重太郎はそれでも仇討ち願いを取り下げず、城下はその戦いの日を今か今かと待っている。
     重太郎の旅籠を一人の武士が訪れる。それは七人天狗でただ一人、卑劣な真似を嫌って彼らと袂を分かった上松藤兵衛であった。さらに続いて鉄棒を持った巨漢、塙団右衛門が現われる。彼らは重太郎の助太刀を申し出る。旅籠の主人、伊勢屋才助も微力ながら助太刀に加わる事に。

     
     
    ・めでたく本望を達す、終局
     決闘の日9月20日、天の橋立の砂原に、三方矢来を結いまわし、陣取る中村家中の御歴々。敵の三名、最初こそ重太郎としばし切り結ぶが 不利と見るや後ろに下がり、千人の助太刀が重太郎に殺到する。すわと飛び出す塙、上松に、六尺棒を手にした伊勢屋。
     邪魔者は我等が引き受けた、御身は早く三人を、と団右衛門。
     心得た、と重太郎、たちまち刀はひらめいて、成瀬軍蔵は一刀両断唐竹割り、大川八左衛門は胴斬り、残った広瀬権蔵は背を見せて逃げるところに追いついて、左肩口より右乳下へパラリズンと、大袈裟掛けに斬り倒す。この有様を見た中村家臣下のめいめいは、さながら大水の引くがごとくドッと八方へ逃げ散りぬ。
     大阪の秀頼公に仕えるという塙と別れ、筑前に戻った重太郎は小早川公に五千五百石を賜り、伊勢屋は出入り商人に、上松藤兵衛も新規お召抱えに。
     哀れは中村式部少輔一氏、この始末が上聞に達し、御公儀によって切腹を申し付けられる。

     この本はここでおしまい、重太郎はその後薄田隼人と名を変えて秀頼公に使え、元和元年大阪にて抜群の働きをいたしたが、運命つたなく刀折れ馬倒れ、誉田山にて名誉の戦死を遂げ、大阪生玉寺町浄土宗増福寺に墓が残っている事を告げて閉幕となる。


     とまあ、こんな感じ。講談をベースにした子供向けの読み物らしいので、歴史的な正確さというのはあまり問うてはいけないのだと思う。塙団右衛門(ばんだんえもん と読むらしい)や中村式部少輔一氏などはぐぐると出て来るので、実在のモデルはいるようだが、この本の内容とは一致しない。中村式部少輔一氏は豊臣政権の三中老の一人で、関が原の少し後に病死したとあるから、この本の扱いはちょっと不名誉すぎて気の毒。上松藤兵衛や伊勢屋才助は出て来ないので創作の人物かもしれないが、ネットに無いからいなかったとは限らないか。

     主人公の岩見重太郎も、ウィキペディアでは役立たずと酷評されたり、後藤又兵衛が死ぬきっかけを作ってしまったりとあまりいい記述がないし、墓の場所や狒々退治の場所なども違うようである。妹は堀田一継の妻となったような事も書いてある。
     岩見重太郎=薄田隼人と何故断定できるのかもよくわからない。まあそういうものだ、と深く考えないようにしないと こうしたものは楽しめないな。

     今読んで面白いかと問われればかなりビミョーなのだが、まあ一度読んでみたかったので。
    人にはすすめません。

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