「ピカピカのぎろちょん」(佐野 美津男著)感想
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

「ピカピカのぎろちょん」(佐野 美津男著)感想

2015-03-03 20:23


    ・子供の頃に読んで、作者の名も知らないままずっと心に引っかかっていた作品「原猫(ウルルネコ)のブルース」をようやく読んで、その作者 佐野 美津男 の名前を知り、現在唯一新刊として購入できる この作品を入手、読んでみた。

     調べてみると いろんなところで この本はすごい、すごいと言われ続けており、熱烈なファンがいるようだ。私はこの本の存在は先週まで知らなかったのだが、子供の頃に読んで、ずっと再読したいと捜し求めていた人が大勢いたらしい。上記に貼ったリンクは、そうした人たちの願いが実って40年ぶりに復刊されたものだ。

     読んで私もすごいと思った。陳腐な感想しか言えなくて申し訳ないが、多くの人が騒ぐのはごもっともだと思う。

     発表当時は児童文学の世界の大人たちには支持されなかった(つまり売れなかったのだろう)らしいが、この作品を読んだ当時の子供たちだけはずっと忘れずに復刊を求め続けたとの事。

     仮定の話になってしまうが、「原猫(ウルネコ)のブルース」をずっと忘れなかった私も、子供時代にこれを読んでいればその復刊を求めた人たちにきっと加わっていたと思う。

     今小学生の孫でもいれば絶対誕生日のプレゼントに贈るのだが(そして娘だか息子だかにあんな本すすめるのヤメテと言われるのだろうが)、残念ながらいないので、過疎地のブロマガではあるがこの文を読んでいる方に向けておすすめしてみます。是非図書館ででも読んでみてください。

     作者の佐野 美津男氏についてはウィキペディアなど見てもほとんど記載がないのだが、未完に終わった自伝小説を書いており、それによれば12歳(13歳?)の時に3月10日の大空襲で両親と2人の姉を失い、母方の祖母の家に一度は身をよせたものの、この祖母が両親の生命保険や、知人に預けてあった衣類などの財産も全て著者から奪い取った上で食事もろくに食わせず、学校にもろくに通えずという状態で早朝から深夜まで労働力として虐待し、たまたまニュースで見た浮浪児の方が自分より幸福に思えて、浮浪児になるため、上野に出る・・・
     などということが書いてある。この自伝作品が遺稿らしいが、50を過ぎ、児童文学者であり大学教授にもなった晩年であっても「たれかひとりを殺すことが許されるのであったら、ためらいなく松戸のババアを殺したいと私は思い続けてきた。いまもこうして書いていて、ありありと殺意が甦ってくる」と激しい感情を持ち続けている。

     作者は人生で二度、一度は大空襲で家族を失い、二度目は祖母によって人間を信頼する心を失い、まだ少年と言える年頃で大事なものを失い、それ以降はずっと理不尽なものとたたかい
    続ける人生だったのだろう。著作の中には三一書房から出たものが多く、そっちの運動にかかわりを持ったのかもしれない。

     作者の盟友であったらしい児童文学者 山中恒がこの自伝に前文をよせているが、佐野 美津男という人物は「身勝手で、酒乱で、金銭的にルーズで、喧嘩早くて、どうしようもない奴」だったが「危なっかしいほどお人好しな所があって、(中略)ものすごい淋しがり屋であった(中略)私は、そんな佐野が好きだった」と書いている。
     こういう文章を読むと、車寅次郎みたいな印象を持つが全然違うかもしれない。ようやく得た家庭や安定した生活や友人を、また突然失うのでは、という不安に襲われ続けた人だったのかもしれない。

     詳しくは書いていないが、手塚治虫や石の森章太郎ともかかわりのあった人で、石の森章太郎は無理やり二万円(自伝の出版された1990年当時で5万円相当とか)を貸せと言われて踏み倒されたとか。

     前置きが長くなったが、本の内容の紹介に移る。が、この本はあらすじを書いてもあまり面白さが伝わらない。文章そのものと、ぴったりのイラスト。本として読んでこそ楽しめる。

     でも丸写しするわけにもいかないので、とりあえず目次を転記してみる。

    1 ハトはどこへ行ったのか
    2 赤いかさをさして
    3 はん人はピロピロらしい
    4 どうしたらピロピロを見られるか
    5 緑色のヘリコプターがとんでくるのは
    6 ニワトリちゃんがにげた
    7 やはりチャンスはやってきた
    8 いちょうの木がたおれていた
    9 このゆびとまれ
    10 ピアノはパパのかたきをうった
    11 黒くて高いへいができた
    12 歩道橋の穴はなくなったけれど
    あとがき(このあとがきも 作品の一部になっている)


     続いて登場人物。

    アタイ   ・・・アタイ。
    マア    ・・・アタイの弟。
    ゴン    ・・・肥満児。プラモデルをすき。
    ヤキブタ  ・・・びんぼう。お父さんはとちく場につとめている。
    ミイコ   ・・・ともかせぎ家庭の子。ママに料理をならっている。ひとりっ子。
    メガネ   ・・・もの知り。本がすき。
    タマゴ   ・・・ニワトリを飼っていて、毎日たまごを飲むおばあさんがいる。
    メソ    ・・・子どものくせにトマトジュースがすき。
    キンヤ   ・・・病気で足が不自由。
    ピアノ   ・・・パパがひきにげされ、けがをしてからピアノのレッスンにいけない。

     年齢や学年は明記されていないが、主人公は小学3、4年生くらいに思える。
     主人公の弟を除けば他もみんな主人公と同学年の子どもと思われ、特に性別も書かれていないが 言動やイラストから、主人公アタイとミイコ、ピアノは女の子と思われる。
     メソは少し他の子より年下かもしれない。


     私なりに内容を要約すると、こんな感じ。

     主人公の女の子(アタイ)の住む町が、ある日突然変わってしまう。
     歩道橋には穴が開き、商店街にはバリケード。お気に入りの遊び場だったふん水には行けなくなる。新聞はこなくなり、テレビはちかちか。鉄道もとまって、車もすくなく。学校も休みに。毎日緑色のヘリコプターがやって来て、町の上を飛びまわる。たべものなど、品物はどこからかはこばれてくる。

     大人が言うには ピロピロらしい。でもピロピロって何って聞くと、誰も答えてくれない。
    役所の屋上の、旗をあげるポールに、ピロピロは旗をあげようとし、それを防ごうとする反ピロピロがいる。ヘリコプターはそのポールを、この町がピロピロか反ピロピロかを見に来るらしい。そしてふん水の前に、ギロチンができたという。

     アタイは弟のマアを連れて、ギロチンを見に行こうとする。その様子をスケッチし、知り合いの子どもたちといっしょに ギロチンのもけいをつくり、ぎろちょんと名付ける。
     子どもたちはぎろちょんを使って、きゅうりやナスを処刑して遊ぶ。嫌いなだれかのつもりで。

     やがて突然バリケードはなくなり、ピロピロは終わる。でもふん水のまわりだけはまっ黒な高いへいと、トゲトゲの針金で囲まれて近づけない。

     町の大人も子ども達も、もうピロピロのことはすっかり忘れたみたい。でもアタイはいつかあのへいを壊して、向こうをみてやる。あの中にほんとうのピロピロがあるかもしれないから。


     「ピロピロ」に大人なら、いろんな当てはめるべき言葉を思いつくでしょうが、子どもからはどちらにせよ意味不明の言葉。それによく聞くと大人もよくわかってないみたい。
     直接自分に関わらなければピロピロがあっても無くてもどうでもいいし、ピロピロが終わればすぐ忘れてしまう。でもアタイはだけは忘れない。

     直接「戦争」とか「平和」とかの言葉を一切使わずに、じわじわと考えさせる作品です。その気になればいくらでも深読みもできるし、単に奇妙な話としても受け取れるし。
     読み手のアンテナの向きや高さによって、いくらでも姿を変える作品。

     はっきり言って、どう理解すればいいかもわからない。ピロピロがいいものなのか悪いものなのかもわからない。
     基本予定調和の児童文学の中に、こんなのがしれっと混ざっていると、奇妙に心に残るでしょう。

     ある日突然世界が変わってしまう。作者の悲しすぎる子ども時代を知ると、世界は堅固なものではなく、いつ目の前から消えるかわからないもの、というメッセージのようにも思えるし、どんなに変わっても自分の生活さえ変わらなければ人の無関心は変わらない、というあきらめのようにも思えるし。

    こちらのHPにはいろいろな考察も含めて紹介されています。
    http://d.hatena.ne.jp/yamada5/20051101/p1

     この本が復刻されるにあたって、このサイトの赤木かん子さんという方の
    活動が大きかった模様。
    http://www.akagikanko.jp/

     こういうのを全く受け付けない人もいると思いますが、私のブロマガを読んでいただけているような人には合うのでは、と思うので強く推薦しておきます。でも合わなかったらゴメン。

     模写してみたが無謀だった。



    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。