映画「アリスのままで(STILL ALICE)」感想
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映画「アリスのままで(STILL ALICE)」感想

2015-07-04 17:14
    ・ジュリアン・ムーアがアカデミー主演女優賞を取った作品。実在の女性のモデルがいるのかなと思ったが、フィクションみたい。原作者が神経科学の研究者という事なので、自分が出会った複数の患者さんたちがモデルにはなっているのかも。
     50歳の働き盛りで、若年性アルツハイマー病が発症した女性が主人公。彼女は十分なキャリアを積んだ言語学者で、ハーバート大の教授として斬新な発表を次々と行い、既に多くの成功をおさめ、さらに将来を嘱望されている。
     夫は医師、三人の子供は独立して今は夫と二人暮らし。長女は結婚して妊娠中(双子とわかる)、長男も医師。長女と長男は何かあればすぐ集まれる距離にいるが、次女は遠く西海岸のロサンゼルスで演劇を学んでいる。長女も仕事を持っているが産休中の模様。
     長男は彼女と別れたばかり。次女が演劇で芽が出るかがわからないので、大学の演劇科に進む事を母親としては願っているが、娘は聞き入れない。それだけが心配だが、他は絵に描いたような幸せな、世間的にも成功した家庭を作り上げている。
     だが、ある研究発表会で、流暢なスピーチを行っている最中、突然言葉につまる。
     語彙という単語が思い出せない。その場はジョークで切り抜けるが、彼女は神経科を受診する。MRIでは異常は無かったが、PET検査の結果、若年性アルツハイマーと診断される。
     非常に珍しい症例で、遺伝する。子供に因子が遺伝する確率は50%、因子があった場合、発病する確率は100%。
     何よりも自分の知性をよりどころに生きてきた彼女は、自分が自分でいられる時間は残り少ない事を知る。
     彼女は夫に打ち明け、大学を辞め、遺伝子検査の結果、因子が陽性だった長女に謝罪し、自ら介護施設を選ぶ。心残りの次女に大学進学をすすめるが、彼女が受け入れなければ無理押しはしない。
     だいたいこの手の話だと、なかなか言い出せずに悪化させたり、家族といさかいを起こしたりするが、そんなことはなくて出来る限り迅速に手をうっていく。家族も理解し協力する。それでも進行は早く、彼女の日々は奪われていく。知性的である人ほど病気の進行は早いという。
     彼女はいくつかの質問(自分の名前、誕生日、娘の名前など)を自分のスマホに毎日自動送信するようにセットし、その質問に答えられなかったら、このフォルダを開け、と未来の自分にメッセージを残す。その中には、ビデオレターが入っている。ハイ、私は貴方よ。次の段階に進む時が来たわ。寝室のテーブルの一番上の引き出しの中の薬を全部飲みなさい、家族の誰にも言わずに、と。
     
     夫には何度も同じ質問を繰り返すようになり、長男がつれてきた新しいガールフレンドを覚えられない。小説と思って、次女の日記を読んでしまう。
     家族はそんな彼女をおだやかに支えるが、長女も長男も、自分の生活があって彼女をケアしきれない。次女は遠い。そんな時に、夫に破格の誘いが来る、新しい病院に高給で迎えられるという。だが場所はミネソタ。住み慣れた家とも、子供たちとすぐ会える環境とも離れて、夫は彼女を連れて転居しようとするが・・・

     以降はネタバレになるので、彼女が最終的にどうなるかは書かないが、この病気の進行の様子が淡々と描かれる。この作品のキモはストーリーよりも、その様子の描写にあると思う。

     実際のものかはわからないが、作品中のアルツハイマーかどうかの判定テストの様子。
     貴方のお名前は?年は?WATERのスペルは?それを逆から言うと?みたいに聞いていって、いろいろな絵を見せてその名前を聞く。ガチョウとか、バスケットボールとか。医師が名乗る。私は誰それ、どこそこに住んでいます。繰り返してください。
     彼女はすらすらと答える。医師は両親の事を尋ねる。彼女は母と姉を事故で失っており、
    そのためか(アル中かなにかだったらしいが、もしかしたら主人公と同じ病気が発症していたのかもしれない)父親とは不仲で、以降死ぬまでほとんど会わなかった。そんな話をしたあと、医師は失礼しました、と言って、私は誰でしたっけ?どこに住んでましたっけ?ともう一度聞く。彼女は答えられない。
     症状が進むと、WATERのスペルを逆から言う事が、一度WATERと順番に言ってからでないとできなくなる。やがてガチョウもわからなくなる。

     診断は、科学的にもPET検査というので、脳内物質の濃度だか密度だかで客観的に判定できるらしい。だが治療法は無い。薬はあるが、進行を遅らすだけ。回復はしない。彼女にはあまり効き目はなかったみたい。

     アルツハイマーと言う言葉は、今は知らない人はいないと思うけど、その診察の様子や、病気の進行の様子は初めて見たように思う。他人事ではない。
     主人公は夫も子供も献身的で支えてくれるし、ある程度裕福な様子でいい施設にも入れるが、私はそうはいかない。生活を縮めていく事は考えておかないと、と思う。

     主人公の知性が高いこともあって、「アルジャーノンに花束を」を思い出す人は多そうだ。
    これを映画化した「まごころを君に」を最初にテレビで吹き替えで見たとき、ネズミの名前を
    「アルガーノン」と言っていたのを覚えている。
     今調べたら、DVDタイトルは「まごころ~」じゃなくて「アルジャーノン~」になっているみたい。


     痴呆の母親を介護する漫画家さんの実話をベースにした映画「ペコロスの母に会いに行く」も思い出す。


     赤羽みちえという漫画家さんが新聞に脳出血だったか脳溢血だったかのために半身不随になった母の介護の事を漫画に描いていたのも。書名は「のんびりいこうよ」ニコニコ市場には無いので貼れぬ。


     実際にどうかは本人しかわからないのだが、主人公はまどろみの中で、姉との日々、母との日々を思い出していく。ペコロスの母でも、亡き夫との若かった日々を思い出していた。もちろんこれは作り手の勝手な解釈だが、本人は楽しかった日々の記憶を反芻して、穏やかである。そうであればいいなと思う。

     出典は忘れてしまって示せないが、外国の大富豪が、休暇だかリタイアしたかなんかで南の島の海岸に行き、そこで遊ぶでもなく、一日中ビーチパラソルの下や、木陰のハンモックかなんかで寝そべっている。日本人は休暇が短い事もあって泳いだり遊覧船に乗ったりして遊びまわるが、彼らはただそこに横になっているだけ。
     それで何が楽しいのか、時間がもったいない、と寸暇を惜しんで遊びまわる忙しい日本人には理解できないが、彼らはずっとこれまで楽しかった事を心の中で繰り返し思い出しているのだという。それが究極の休暇であり、レジャーなのだという。
     
     良く生きることは、いろいろな事を為して好きな人と出会って、走馬灯の中身をできるだけ楽しい事でいっぱいにしていく事なのだろうと思う。たとえボケても、本人は懐かしい人との日々を思い出して幸せなのかもしれない。実在の人をここに書くといろいろあれなので、私はその時には初音ミクとケッコンカッコカリ相手である駆逐艦電(いなづま)を思い出すことにしておこう。
     
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