東京物語(超有名作品なのでネタバレ前程)感想と原節子さん訃報
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東京物語(超有名作品なのでネタバレ前程)感想と原節子さん訃報

2015-11-30 21:24
    ・原節子さんが亡くなっていたというニュースを聞いて、DVDで「東京物語」を見直してみた。以前見たのは学生時代、名画座の何本立てだかでうつらうつらしながら見たような感じであまり覚えていない。一緒に麦秋だか秋日和だか秋刀魚の味だかもやったと思い、いろいろ混同してしまっている。だが東京物語は有名なので、筋はどこかで読んで知っているつもりになっていた。
     というわけで、最初から最後まで腰を据えて見たのはこれが初めてとなる。全くと言っていいほど記憶にあるシーンが無かったので、学生時代に見たと思っていたのは他の作品だったのかもしれない。

     そんなわけで若い時にどんな感想を持ったかも覚えていないのだが、今見ると自分の立場に一番近い人物は、山村聡が演じる 笠智衆と東山千栄子の長男であり、いずれは誰しも直面する、親の看取りということを考えさせられる。

     公開されたのは1953年(昭和28年)、翌1954年にはゴジラが公開されている。1956年に「もはや戦後ではない」という有名な経済白書が出され、1959年に東海道新幹線の起工式が行われ、また1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催を勝ち取り、高度成長の時代へ入っていく。

     東京物語で描かれるのは戦争がようやく日常生活から遠のきはじめ、日本が経済成長に向って走り始める前の凪のような時代だったのかなと思う。戦前の古い日本の良い部分はまだ残っており、戦後の新しい日本はまだ根付いていない。だがじわじわと人の心と生活は変わりはじめている。

     広島県尾道市に住む笠智衆、東山千栄子夫妻は男三人、女二人を育てたが、今一緒に住んでいるのは次女の香川京子さんだけで、三男は大阪、長男、長女は東京に離れて住んでいる。
     次男は先の戦争で亡くなっている。原節子はこの戦没した次男の嫁だが、今も再婚することなく、東京で会社勤めをしながら笠智衆ファミリーの一員としての位置にある。彼女自身の親兄弟については特に語られない(語られているのを私が聞き落としただけかもしれない)が、映画の様子を見るともういないのかもしれない。

     どういうきっかけでかはわからないが、笠智衆は妻と共に上京し、東京の子供や孫を訪ねようと思い立つ。以前は教育長を務めたこともあり、今は悠々自適の身で生活にも困っていない様子。滞在期間も予定も特に定めず、とにかく子供の家を訪ね歩こう、という感じ。
     この時代は東京へ行くには蒸気機関車で、尾道~東京間は15時間くらいかかったらしい。
     ちょっと調べたら東海道本線の全線電化完了は1956年だとか。

     まず長男の山村聡さんの家を訪ねる。山村聡はたぶん内科の開業医で、医学博士号も持っているらしい。腕は悪くない様子で、この時代だから基本往診もあり、多忙な様子。
     両親と子供2人を東京見物に連れて行こうとするが、受け持つ患者の容態が悪くなり中止せざるを得なくなる。
     続いて長女の杉村春子さんの家へ笠夫妻は移るが、こちらは美容院を経営していてやはり昼間は動けない。杉村春子のご主人は勤め人ではないようだったが、職業がよくわからない。代書屋さんが出てきた記憶があるが、それがこの人だったか、後で出てくる笠智衆の旧友だったか、ちょっと記憶があいまい。
     老夫婦は息子あるいは娘の家で、二人静かに過ごすのみで、肝心の息子や娘は自分の生活に忙しく、ほとんど話す時間も無い。長男の所には男の孫二人がいるが、会う機会も少ないせいか、あまりなついていない印象。
     長男も長女も、住んでいるのはいわゆる東京の下町、寅さんの映画に出てくるような荒川流域のようで、お化け煙突の千住発電所や荒川の土手が度々映る。この時代の人には、それでああ、あの辺ね、と説明せずともわかったのだろう。
     二人とも決して両親を嫌っているわけではないのだが、大歓迎しているというわけでもなく、むしろ迷惑そうなそぶりも度々見せる。長男は妻に食事を相談されると、そんなに豪華なおかずはもったいないような事を言い、長女も両親においしい食事を振舞おう、という気遣いは無い。
     二人とも一国一城の主であり、働き盛りであり、悪気は無いのだが両親の方を向いていられない。母が68歳と言うセリフがあったので、長男は20歳で生んでも48歳、この時代だから18歳だったとしたら50歳、いずれにしても50前後だろう。長女は40代半ばだろうか。次男は写真でしか登場しないが、嫁である原節子さんは1920年生まれだからこの時33、4歳。三男を演じた大坂志郎さんは同じ1920年生まれ、次男はすると生きていれば40歳前後だったのだろうか。次女は尾道で小学校の先生をしており、まだ独身。すると20代前半くらいか。次女を演じた、後にモスラに出演する香川京子さんは1931年生まれだから22、3歳。同じ小学校に同時に在籍したかしないかのかなり年齢の間隔があいた兄弟姉妹に感じるが、当時はこのくらいの年齢差は当たり前だったのだろうか。

     長男、長女とも、両親の相手を出来ない事にうしろめたさはある様子で、長女は次男の嫁である原節子の職場に電話をかけ、明日会社を休んで東京案内をしてやってほしいと頼む。
     相手の都合を考えない無茶振りなのだが、原節子は困った顔もせず上司に許可を取り、承諾する。ここでの電話は私も使ったことが無い、壁掛け式のもの。10人以上が働いているらしい原節子の職場に1台しかない。それを店に設置している長女はかなり成功しているのだろう。

     原節子は両親をはとバスに乗せ、バスは皇居あたりを走る。デパートの屋上や外階段(松屋らしい)から、国会議事堂や長男の家、長女の家の方角を両親に指し示す。このあたりのシーンは見覚えがあるような気がする。

     長女はさらに、両親の相手をしてやれないので、長男とお金を出し合って、二人を熱海の温泉に送り出す。兄と3000円ずつ出している。2000円に値切ったかもしれない。

     だが熱海は若い人向けの娯楽の場で、温泉は楽しめたものの、同宿の若者たちはギターを弾き、マージャンをやり、老夫婦への気遣いなど全く無く夜通し騒ぎ続ける。今のホテルのように各個室がきっちり分かれているわけではなく、一般家庭のような狭い廊下と、襖で区切られているだけの、間借りのような旅館である。音は筒抜け。これはたまらない。
     二人はなかなか寝付くことができず、一泊で熱海滞在を切り上げる。

     だが長女は予定より早く戻ってきた二人を、なんで帰ってきたのか、と言わんばかりになじってしまう。二人はこれ以上長女に迷惑はかけられないと、その夜は笠智衆は旧友の家に泊めてもらい、東山千栄子は原節子のアパートに泊めてもらうことにする。
     とりあえず二人でアパートを訪ねると、原節子は隣家から酒や酒肴を借り、店屋物の丼を取ってせいいっぱい歓待する。
     やがて笠智衆は旧友を尋ねて辞去し、嫁と姑は静かに語り合う。そして姑は、原節子に もう次男が死んで10年近くになる、貴方はまだ若いし器量もいいのだから、何も気にせずにもう一度いい人を見つけてほしい、と語りかける。でも原節子は、このままでいいんです、とはにかむ。

     一方笠智衆は旧友の十朱久雄(十朱幸代さんのお父さんだそうだ)を訪ねる。この人は代書屋(だったと思うが違ったかもしれない)を営みつつ2階を学生に貸している。代書屋は今で言う司法書士とか、行政書士とかにあたるらしいが、この頃は識字率も低く、教育を受けたものが庶民の代書・代筆をする事は当たり前で、特に国家試験などもなかったらしい。この頃から法律が整備され、国家資格に変わっていったらしい。
     この旧友は昔尾道に住んでいて、その後東京に出てきたらしい。話をするうちに、共通の知己である東野英治郎が近所に住んでいると聞き、彼も誘って飲み屋で一杯やることになる。
     笠智衆は若い頃酒癖が悪かったらしく、ずっと酒を断っていた模様。東野英治郎は今も悪い。十朱久雄はすぐ寝てしまうタイプ。結局最初の店から東野英次郎の行きつけの店にはしごして、したたかに飲んでしまう。
     この時の会話で、お互いの子供の話になるが、尾道では警察署長だったらしい東野英治郎は、笠智衆の子供が多く、出来もいいとうらやむ。お前の子供だって部長じゃないか、と笠智衆は言い返すが、部長は嘘で本当は係長だ、体裁が悪いんで部長だって見栄を張ったんだ、と打ち明ける。十朱久雄は子供がいるのかわからないが、眠ってしまっていて会話には参加しない。
     東野英治郎はひとしきり子供への不満を述べるが、最近は親を殺すような子供もいる、俺たちの子供はまだマシな方だ、と言って自分を納得させる。笠智衆も同意する。

     今は毎日のように親殺し、子殺しのニュースを見る世相だが、なんとなく戦争が終わって落ち着いてから三丁目の夕日の頃までの間はそんな事のなかった牧歌的な時代みたいに思ってしまったりするが、この頃も既にそうだったみたい。「近頃の若い者はけしからん」、という落書きでピラミッドの時代に書かれたものが残っている、なんて話を真偽は知らないが聞いたことがある。
     いつの時代も同じような困り事は絶えないという事か。でもやっぱりこの時代は今よりも親子関係は全般的にマシだったような気がする。
     笠智衆の子供たちは、別に親を嫌っているわけでも軽蔑しているわけでもなく、相手をする余裕が無く、その結果配慮が足りないだけだ。
     長女は熱海に二人を行かせたことがこの上ない親孝行だと思っているが、二人がそんな事は少しも望んでおらず、子供や孫と一緒にいて話せればよかった事には全く気付いていない。

     結局笠智衆は東野英治郎と一緒にへべれけになり、警察官に保護されて夜中過ぎに長女の家に戻ってきてしまい、椅子で寝込んでしまう。ここで長女は露骨に迷惑だ、とピシャピシャほっぺたを叩いて起こそうとしたりする。かなり邪険に扱っている。
     この時警察官は、交番の誰それです、と名乗る。普段から顔見知りらしく、警察官と庶民の距離が近かった事が感じられる。

     そんなこんなで、二人は思ったほど楽しめなかった様子だが、とにかく一同に見送られて東京を後にする。指定席が無いのか買えないのか、座れるかどうかもわからないような混雑で、それで15時間も座りっぱなしとなればきついと思う。
     私も学生時代周遊券を買って夜行列車で東北とか北陸とか行ったが、一晩椅子で寝るのはきつかった。あの頃はリクライニングもしない、ほぼ直角の背もたれで、見知らぬ人達と膝がぶつかりそうな4人席だったし。そこに正座しているお婆さんとかいたなあ。そのお婆さんに冷凍ミカンもらったのを突然思い出したぞ。
     今は周遊券も夜行列車もどんどん無くなっているみたいで、これからは少なくとも日本国内で若い人がそんな経験をする事も無いのだろうけど。北海道まで新幹線で行ける時代がもうすぐだし。

     途中、国鉄に勤めている三男の大坂志郎とホームで会う手はずだったようだが、その時に東山千栄子が具合悪くなって途中下車したらしく、その翌日に大坂志郎が同僚にその顛末を離しているシーンになる。既に回復して、尾道に立った後の事。
     心配する同僚に、大阪志郎はたいしたことないさ、長旅で疲れたんだろう、みたいに軽く答え、親孝行したい時には親は無し、墓に布団はかけられず、などと軽口を言う。

     したい時には親は無し、というくだりは今もよく聞くが、布団うんぬんは最近あまり耳にしない。
    祖父は私が社会人になる前に亡くなったのだが、そのずっと後、出張の帰り道にちょうど祖母のいる駅を通ったので、寄り道して訪ねたことがある。それが結局、話をした最後になってしまったが、あれは行ってよかったと思う。祖母がおどけるように最後かもしれないから、もっと私を見て行って、と別れ際に言ったのをよく覚えており、その時の姿は脳裏に残っている。大丈夫ですよ、また来ますから、と言って辞去したのだが。

     東京物語では、次女を除いた子供は、老人が訪ねるには遠い都会に住んでいる。かといって子供の方から訪ねて来ることもほとんど無い様子である。この時代に比べて交通事情は劇的に改善したが、休みがとれず、お金がかかって、結局今もそのあたりの事情は変わらないかもしれない。

     私の実家は時間的にも距離的にも尾道より近く、今の交通事情なら日帰りも可能だが、一時期は年2回、盆と正月しか帰らなかった。親も衰えたので、今は毎月様子を見に行っている。
     行くと灯油や米など、重いものを運んだり、電球を取り替えたり、物置を片付けたり、庭木を剪定したり、と老人には荷が重い作業をやってくる。
     今は身の回りのことに不自由はないが、いずれはどうするか考えなければならない時が来るだろう。その時に身軽に動けるようにしておきたい。

     長男に無事尾道に帰った父親から礼状が届く。山村聡がその手紙を読んでいるところに、長女の杉村春子から電話が入る。次女からハハキトク という電報が来たという。
     今礼状が着いたばかりだぞ、と言っているところに、長男にもハハキトクの電報が届く。

     その日の夜行で尾道に行く事に決め、原節子にも連絡する。この時長女は喪服どうします?と相談し、長男は そうだな、持っていくか、と答える。

     一同は実家に駆けつけるが、母はもう息が荒く話はできない。往診した医師も、長男も、持って明日の朝までだろう、との見立て。だが大阪在住でもっと早く着けるはずの三男が姿を見せない。
     翌朝三男がやって来るが、既に母はこの世に無い。折悪しく出張に出ていた三男は、間に合わなかった。大阪で具合の悪い母を見ていながら、まさかこんなにすぐに亡くなるとは思っていなかった彼は、親孝行したい時には親は無し、墓に布団はかけられず、とつぶやいたような気がする。

     すぐ葬式となるが、原節子は喪服を持って来ていない。次女も持っていない。準備のいい長女は、どこかで借りてらっしゃいな、とアドバイスする。

     葬儀が済むと、長男長女三男は仕事があるとその日のうちに帰ってしまう。原節子のみ残って、香川京子と共に笠智衆を手助けし、後始末をすることになる。香川京子は兄、姉の行動を非難するが、原節子は みんな大人になるとそうなるのよ、仕方が無いの、と諭す。

     そして原節子が東京に戻る日。香川京子は小学校に出かけなければならず、見送りが出来ない事を詫びる。笠智衆はいてくれて本当に助かった、妻が原節子のアパートに泊まったことが、一番今度の旅行で楽しかったと言っていた、と伝えたかった、と話す。
     そして妻と同様、もう次男の事は忘れて、いい人を見つけて再婚して欲しい、貴方だって一人で年をとればたいへんだ、と話すが、原節子は私は歳をとらないような気がします、このまままでいいんです、みたいな事を答える。そして、私だってずるいんです、次男の事をずっと忘れないわけではなく、一日思い出さない日だってあるんです、でもその事はお母様には言えませんでした、と打ち明ける。
     笠智衆は妻が愛用していた時計を取り出し、古いもので趣味に合わないかもしれんが、みたいなことを言って、形見分けとして原節子に渡す。

     小学校で授業をしていた香川京子が腕時計を見て、教室の窓に寄って外を見る。(たぶん)山陽本線の汽車がやって来る。原節子が乗っている列車だ。
     原節子が車内で、形見の時計(懐中時計みたいだ)を取り出し、泣いているようである。

     そして映画は終わる。

     おそらくこの後、原節子が笠智衆と会う機会は無く、次に尾道に来れるのは笠智衆が亡くなった時のような気がする。香川京子が地元で結婚することになればもう一回チャンスがあるかもしれないが。

     気持ちが通う同士であっても遠くに離れてなかなか会えず、学校や職場や近所で簡単に毎日のように会える人とはなかなか気持ちが通わない。誰しも多かれ少なかれ、そういう事になる。ならないのはよほど幸福な人だろう。

     少なくとも親兄弟や、学生時代から付き合いが続く友人知人、その他いろいろな場所で出会って今も時折り会うことが出来る人達とは、なるべく回数多く今後も会って話したいと思っている。事情があって会えない人もいるのだが、またいつか会えるといいなと思っている。

     最近は、会社経営を巡って親子や兄弟が裁判をやったり、株式を取り合って経営権を争ったり、みたいな話が少なくないし、陰惨な親子間の対立や虐待、殺人などのニュースも多い。
     そうしたものに接する度に、ただひたすら痛ましいと思う。

     どちらが正しい正しくないみたいに争ってしまって、いずれどちらかが世を去る時に、どう見送るんだろう。相手がいなくなってしまっても、相手が悪い、とずっと言い続けるのか。
     会社と肉親を比べて、会社を選ぶのは、私のような貧乏人からは不幸にしか思えない。そうやって手に入れた会社は、あと何代持つことか。次の代替わりはおだやかにいくのだろうか。

     虐待で親に殺される子供も、子に殺される親も珍しくない現在、そんな肉親を持ってしまった人の気持ちは、そういう経験の無い私には本質的なところがわからないが、どっちかが死ぬまでに少しでも歩み寄っておいたほうがいいようにも思う。当事者には奇麗事と言われちゃうだろうけど。私も後悔のある人間関係がゼロではないので、現在修復の過程にある相手もいる。
     一方で、どうしても気の合わない人と付き合わなければならない事もある。自分の勤務先、取引先、近所の人、腐れ縁の人・・・
     そちらの方はなるべくゆるやかに距離を開けていく過程にある。なるべく自分が楽な方に楽な方に。合わない人に無理に合わせなくても距離を置いて暮らしていけるのは、東京物語の時代よりも現在の方が簡単だろう。そうした対象が肉親や親戚だ、というのならそれは仕方無いが、やはり痛ましい。

     原節子さんは、スッパリと映画界から身を引いて、世間には全く出ずに亡くなった。
     詳しくは知らないけど、共演した映画俳優やスタッフとも全く連絡を絶ったようにも聞く。

     それを寂しく感じるファンもいるだろうけど、私はそうできただけ、周囲の人に恵まれたのだろうな、そういう人に囲まれていたのは幸せだったのだろうな、と思う。
     よく、有名な人が亡くなると、聞かれもしないのに故人はこんな事を言った、あんな事をした、という自称親友が現われてテレビに出たりする。本当に心から悲しんだり、故人の望んだ事を伝えたい、という方もいるんだろうけど、どちらかというと自分も芸能界に籍を置いている人が自分の売名もかねて喋っているみたいに思えてしまうこともある。
     原節子さんには今のところそういう話は聞かない。そういう事を、テレビカメラの前で軽々しく話すような人が周囲にいなかったという事だろう。それはいい人間関係を持っていたという事だと思う。
     もちろん、共演された方が当時の思い出を語るようなものは別に悪いとは思わない。
     一方で公人でもあるから、ご遺族がしばらく時間を置いて、さしつかえない範囲でエピソードを公表して欲しいようにも思う。ただ、原さんの場合、そうした事を知りたかった人はもうほとんど鬼籍に入っちゃっているんだろうけど。

     と、東京物語を見て思いついたこといろいろ。でも親を看取る前に、自分だってそろそろあぶないかもしれない。少なくとも親よりは長生きしないと。



     

     

     

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