「娘と私(獅子文六著)」メモ(古典なのでネタバレあり)
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「娘と私(獅子文六著)」メモ(古典なのでネタバレあり)

2016-03-27 19:00

    ・書名と著者名は知っているけど、内容はよく知らない本というのはたくさんあって、これもそんな感じ。
     獅子文六作品は最近文庫で新装版みたいのが出て、平積みになっているのを見かけることがある。「コーヒーと恋愛」や「悦ちゃん」、この「娘と私」などがちくま文庫から復刊されているようだ。
     そういえば「娘と私」は大昔の箱入りの日本文学全集みたいのが実家にあったな、と思って帰省したついでに読んできた。

    へえーっ、こんな話だったのか、という感想で、あとがきによるとこれは獅子文六氏の実生活をかなり下敷きにした私小説でもあるらしい。「娘と私」というタイトルからなんとなく、ああ、父親と娘の話ね、頑固な父親が娘が嫁に行くので泣くんだろう、みたいにベタな連想をして、勝手に分かった気がしてたのだが、これは現在でもあまり無い、当時ではほとんどないかなりユニークな家族の話だな、だという感想。
     タイトルは「娘と私」だが、「妻と私」、「妻と娘」の話でもある。この妻と娘に、血縁関係は無い。娘は先妻の遺児であり、その先妻はフランス人。つまり娘は混血児である。
     作者の投影である「私」は男手ひとつで娘を育てようとするが、まだ筆一本で食っていけるだけの収入は無く、親の遺産を取り崩してなんとか生活を維持している。それなのに娘が混血故に疎外されることを恐れて費用が安くはないキリスト教系の私学に入れ、さらに創作に専念するために、寄宿舎に入れる。だが娘は病気になり、寄宿舎を出なければならなくなり(このへんでそんなに書いて大丈夫か、と思うくらい学校や先生の悪口を言っている)、さらに年に何度も入院する事となり、娘の看病と家事に追われた「私」は収入のための創作もままならぬ赤貧一歩手前の状態となり、文士をあきらめて勤めに出ようとするもままならず、娘を育てるためにも、自分の創作生活を確立させるためにも、女手の必要を強く感じる。

     何度も見合いを重ね、おとなしそうな女性を後妻に選ぶ。彼女に愛情を感じたからではなく、娘を育て、自分の創作を助けるための存在として。今なら何だか男のエゴで、女を労働力としか見ていない、などと批判されそうにも感じるが、後妻となった女性は古風な人で、静かに「私」の生活に根を下ろしていく。
     その人は従順な気質を持ち、以前結婚生活に破れ、姑や小姑にも苦しめられた経験から、他人に気をつかいすぎて娘も「さん」付けで呼び、自分が疲れてしまうような人だったが、「私」はその控えめなところを好ましく思い、「子供を作らない」という条件で話をまとめる。幸い娘も拒絶するようなことはなくすぐに「ママ」と呼び、新居も整えて新生活が始まる。
     「私」は 継母と娘がうまくいってほしい、という希望を持ち、「生みの母より育ての母」という思いもあり、それが妻に対する応援になるとも感じて、血のつながらない母娘を中心にした小説「悦ちゃん」を書きはじめ、それが評判を取り、文筆の道が開けていく。
     だが娘が成長すると、娘も妻も思いがけぬ強情な面も見せるようになり、母と娘はしっくりいかぬようになる。また、妻は「私」に対しても、思いがけぬことを口にするようになる。「私」の分析によれば、これは妻が娘に対して、嫉妬しているらしい。さらに妻は、私を当惑させることを言い出す。「子供が欲しい」と。

     そんな感じで、いろいろなことがありながら娘は成長し、妻と「私」も何度かの危機を克服して精神的なつながりが強まっていく。名前は仮名だが、起こった出来事は、作者によればほとんど実在の娘と妻の事実に基づいているようだ。

     娘の誕生から始まり、先妻の死から「私」の再婚、娘は男の子のように泥だらけになって遊ぶ子供から、病気で何度も入院する病弱な子供となり、それを乗り越えて信仰心のある、フランス語の好きな娘となり、やがて恋人を作り、嫁となって「私」の元から羽ばたいていくまでが描かれる。
     その間は戦争も挟み、空襲で家を失ったり、伊豆に疎開したり、疎開先の家を追い出されて妻の実家の愛媛県に転居したり、戦時中に書いた「海軍」のために共産党の戦争協力者のリストに載せられ、文士としての道を絶たれそうになったり、それを大勢の仲間の協力で覆したり、とめまぐるしい変転を経ることになる。
     「娘を育てるために」迎えた妻は、その娘が成人し、独立した一人の女となり、もはや娘では無くなった頃に、大磯に新居を建てはじめ、もうすぐそれが完成する、というタイミングで自分の役割はこれで終わり、とでもいうように急病で世を去る。

     娘を嫁がせ、妻を失った「私」も大病を患い、手術を受けることになる。最初は特に愛情からではなく、娘を育てるために雇った人のような妻であったものが、いつの間にか深い愛情を感じる相手になっていたことに、「私」は妻の死後はじめて気付く。標準的なものとはいえないのだろうが、夫婦の機微が細やかに書かれているように思う。

     その間の「私」の心情が、娘や妻に対する不満や誇り、賞賛、妻との夜の生活まで正直に
    書かれている。NHKの朝ドラにもなったらしいが、映像は部分的にしか残っていないそうだ。

     今ごろ何故読まれるのか、という感じもするし、今はもう書かれ得ない、貴重な記録のような気もする。夫や父親の内面を、女性が類推する手掛かりになるかもしれない。今どきは「私」のような心情を持った男性も少ないのかもしれないが。

     
     
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