• 「杉浦日向子の食・道・楽(杉浦日向子著)」

    2020-11-20 19:00


    ・2005年に癌で46歳の若さで亡くなった杉浦さんの死後に出版されたエッセイ集。
    月刊誌に連載されたもの三種類がベースになっている様子。
     「食」は言葉通り食事、「道」は酒、「楽」は健康についてのエッセイが中心になっている。

    食の章 ―ゴチマンマ―
    ・ウマイとマズイ
     マズイものがあるから、ウマイものがわかる。
    ・おにぎりころりん
     おにぎりは丸くおむすびは三角だという説。
    ・ひとりごはん
     ごはんを見ないで食べると寂しい。しっかり見て食べると寂しくない。
    ・ジャパリアン
     イタ飯ブームが終わってイタリアンがジャパリアンに進化しおいしくなった。
    ・食事の作法
     「いただきます」を言い感謝して食べる。
    ・恋人の食卓
     恋人同士なら向き合うより隣同士の方が食事が楽しい。
    ・ほろ酔い気分
     呑むなら喰え、喰らわぬなら飲むな。
    ・和食って何?
     寿司天ぷら鰻蕎麦醤油は江戸時代からの新参者。たくあん梅干豆雑穀はもっと古いとか。
    ・バラエティフード
     焼肉屋で頼んだら内臓の盛り合わせだった。
    ・おふくろの味
     「おふくろの味」というのは商品名。
    ・たまごで宴会
     たまごが好きすぎてじんましんが出た話。
    ・ひとりの楽しみ
     一人旅と一人フルコースディナーの楽しみをわかってもらえない。

    ※ゴチマンマというのは「ご馳走」と「まんま」を合わせた著者の造語らしい。

    箸休め
    ・ピヨちゃん園
     義姉が区民菜園で作る野菜を義姉の名にちなんで「ピヨちゃん園の恵み」と呼ぶ。

    カタカナ歳時季
    ・4月 グリーンピース
     醤油味のおこわにグリーンピースを入れた炊き込みごはん。
    ・5月 キャベツ
     数千数万のキャベツが一斉に斜面を転がり落ちるさまを想像せよ。
    ・6月 ピーマン
     ピーマンの中という密室に満たされた空気はどこから。
    ・7月 セロリ
     セロリをオランダミツバとも呼ぶらしい。俎板で刻むセロリのなんと爽快なこと。

    道の章 ―酒器十二カ月―
    ・一月
     ひとりで迎える正月に、京都の器で屠蘇とひや酒と板わさ。
    ・二月
     寒い夜はガラスや陶器の重たい器で室温の純米酒を一杯やって寝所へ着く。
    ・三月
     出替わりの三月は大ぶりの、ちょっとゆがんだぐい吞みで。
    ・四月
     ステンドグラスのような器で濁り酒を。桜の筋彫りがある杯で常温の純米酒を。
    ・五月
     切子の酒器に塩辛をちんまりと入れ、おおぶりの青磁の陶器で酒をたっぷり。
    ・六月
     雨の日にぬる燗を九谷焼の猪口でいただく。雨音を聞きながら。
    ・七月
     好きな船旅を思いつつ、手吹きガラスのワイングラスで冷酒を飲む。船恋しくなる。
    ・八月
     シンプルなガラスのコップで「ひや」酒を飲む。お店では「ひや」と「冷酒」が混在する。
    ・九月
     残暑に対抗して高い酒を高価なぐい吞みで飲む。小さなぐい吞みに実紫蘇の塩漬け。
    ・十月
     秋たけなわを玉杯で。水でもお湯でもグレープフルーツでも。黒糖焼酎もいい。
    ・十一月
     夜長にグラッパを専用グラスで。注連縄柄の蕎麦猪口で新酒を。
    ・十二月
     時を意識する年末に、輪島塗りと珠洲焼きの器で。

    日向子のひとりごと
    ・おいしいお酒、ありがとう
     言い訳のような賛歌のような、酒が好きだなあ、うまいなあという話。ひとり手酌に限る。
    ・久しぶりに銭湯は、いかが
     銭湯で見る他人のはだか。あんな頃もあった。いつかあんなふうに。

    楽の章 ―今日の不健康―
    ・不健康は健康のもと
     江戸時代には「闘病」という言葉は無く「平癒」という言葉があった。生きれば皆不健康。
    ・うまいもの
     うまいものは不健康のもと。
    ・酒は百薬の・・・
     下戸の建てたる蔵は無し。実は上戸の蔵も無い。百薬の長とはいえど万の病は酒よりこそ。
    ・体に悪いスポ根
     スポーツで命を落としては、いかん。そんなのを、世間が誉めたら、あかん。
    ・いろんなカタチ
     銭湯で見るいろんなカラダ。生老病死を刻み、理想的なハダカはひとつも無い。
    ・病気自慢?
     病は自分の身体に居座った気難しい客。用件を聞いて穏便にお帰りいただき平癒としたい。
    ・酒を呑むにも上手下手
     胃弱の酒飲みは呑むと食べられず膵肝を壊す。医者は呑む前に食べるならと酒を許す。
    ・気味悪いケータイ
     依存すれば五感が弱り人生が痩せる。隠居十年目だった著者の感想。
    ・巨大病院の外来
     通って十一年。往復三時間、採決待合二時間、診療十分。会計薬局合わせ六時間。達成感。
    ・体に悪い数字
     命の力は数字にならない。数字に一喜一憂は慎みたい。
    ・死とか生とか
     生老病死は命の四点セット。生きて老い、死ぬまで生きることを考えよう。焦らないで。

    日向子のひとりごと
    ・色事は四十からがおもしろし
     四十過ぎの呑み友達は楽しい。江戸で四十は「老いの坂」。ゆるゆる続く下り坂に入る。
    ・オトナに必要なものは「憩い」
     憩うとは ひとり時間を楽しむこと。初心者は午後の蕎麦屋で酒を呑むとよいとすすめる。
    ・≪最後の晩餐≫塩ご飯
     何か一品と問われれば、塩ご飯。冷や飯で。本来ヒヤとは常温。冷蔵庫に入れちゃダメ。

     著者は酒器のコレクターに知らず知らずのうちになってしまい、大部分は貰って来た雑器のたぐいだたけど眺めて飽きなかったという。
     ―酒器十二カ月― の章には著者のコレクションから選んだ酒器の写真が添えられえていて、カメラマンは著者の実兄とのこと。
     編集協力にはピヨちゃんと呼ばれた義姉の名前もある。解説代わりにこの実兄から見た妹のことが書かれている。
     また、全作品リストも巻末についている。
     
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  • 「一匹や二匹(仁木悦子著)」前半

    2020-11-19 19:00


    ・一匹や二匹
     小学六年生の杉岡康志(こうし)はコーヒーというあだ名で呼ばれている。本人は将来喫茶店のマスター志望だそうで、このあだ名を嫌がっていない。でも主人公はこのコーヒーじゃなくて、同級生の櫟究介(くぬぎきゅうすけ)。あだなはオバQ。二人には塾に行っていないという共通点があって親友になった。それで放課後はたいていつるんで遊んでいる。
     そしてある日捨て猫を見つけてしまう。てのひらに乗るような子ネコが二匹だ。二人は自分の家では飼えないので、近所に引き取ってくれる人がいないか聞いて回る。そうやって訪ねた何軒目かで、二人は開けっ放しのドアに声をかけたが返事が無いの家の中を覗き込み。血が廊下に流れているのを見つけてしまう。女の人がナイフで刺されて死んでいて、裏口から男が逃げていくのがチラッと見える。その顔にオバQは見覚えがあった。警察に、というコーヒーに、僕は勝手に人の家に入ったとわかったら怒られるから、と黙っていようと提案する。
     なおもネコを連れてさまようと知っている女の子がやってきて、ネコおばさんのところに持って行けば?と教えてくれる。おばさんは他の飼い主を見つけるまでなら預かってくれるというので、学校で校内放送してもらうことにする。帰る頃にはあの家に警察が来ている。コーヒーは黙っていていいのかなあ、と言うがオバQは応じない。何故なら、彼が目撃したのはあこがれの音楽の先生、羽鳥加寿子先生の恋人だから。
     でもせっかく黙っていたのにその男の人は警察に捕まってしまい、先生は落ち込んでしまう。そしてオバQは大変なことに気付く。あの時彼が落としたものが、その人が犯人だという証拠になっているらしいのだ。そしてもう一つ。コーヒーも怪しい男を見たというので口止めしていたのだけど、どうも僕が見た男とコーヒーが見た男は別人らしい。つまりコーヒーが見た男が真犯人と思われるのだ。オバQは羽鳥先生のために犯人を見つけようとするが、子ネコのもらい手も探さないといけない。

    ・坂道の子
     高校を卒業して地元の銀行に勤めていた大町杉子は、自分になついていた姉の子供を目の前で交通事故で失ってしまう。彼女に落ち度があった。実家で同居する姉夫婦に合わせる顔が無く、かわいがっていた甥の死を目撃した杉子の心の傷は深く、彼女はひとり東京に出る。お使いに出て死んだ甥に似た子供を坂道の途中の児童公園で見つけ、その子がいじめられているのを見て思わず助けてしまう。そして用事が済んでの帰りに、その子が行方不明になったと知る。母親を失って叔母に預けられていた子だったらしい。お昼ご飯の時間なのに戻って来ない、とその叔母が探していたのだが、あまりかわいがっていないことがなんとなくわかる。
     杉子は男の子の父親が警察に相談に行くのについて行く。彼女が最後の目撃者かもしれない。警察ではある家にお前の子供を誘拐したという電話があったと聞くが、子供は無事でいたずらだったのだろうということになっている。実は杉子が見かけた子供が、金持ちの子と間違われて誘拐されていたのだった。そして、その子が間違われたのは杉子があげたオモチャのペンダントのせいらしい・・・

    ・サンタクロースと握手しよう
     浅田悦子が探偵役。五歳の息子・哲彦が幼稚園のお遊戯会に出るので夫婦で三歳の娘・鈴子を連れて浅田一家は出かけてきている。クリスマスイブで、出し物もクリスマスにちなんだもの。園児のお父さんがサンタやトナカイ役で登場したりもする。だが父親が蒸発してしまって、お母さんがようやく立ち直った家庭もあれば劇に出るお父さんの子供は足を骨折して同じ舞台に出られないなどという組み合わせもある。悦子の夫は新聞社勤めということもあり、ドタキャンの可能性が高いので出演は辞退したが大道具作りなどは手伝った。
     お芝居の最中に調理室の方からキャッという声がする。若い女子職員の声だ。ゴキブリでも出たのだろう。
     親たちは自分の子供の出番は観客席にいるが、そうでないときは交代に裏方を務める。サンタ役は何人もいて、5歳児、4歳児、3歳児と子供が代わるとサンタも別の人に代わる。でもサンタの服は一着しかない。プログラムは順調に進んで最後の出し物、サンタが子供たちにプレゼントを配るというものになるが肝心のサンタ役のお父さんの姿が見えない。仕方なく悦子の夫が代役をつとめるのだが、ここで事件発生と言うか発見。プレゼントを用意しているはずの女性職員と、行方不明のお父さんが相次いで死体で発見されたのだ。
     とりあえず子供たちにプレゼントを配って帰さねばならない。その間に好奇心旺盛な悦子は現場を見に行く。女性職員もサンタ役だったお父さんも首を絞められて殺されている。倒れた時にぶつかって壊れたらしく、女性職員の時計が止まっているがこれが犯行時刻らしい。大部分の親子は園長先生の判断でそのまま家に帰してしまう。役員の父兄だけが残る。警察には叱られるだろうが、子供をいつまでもここに置いてはおけない。
     警察が捜査に入るが、悦子は悦子で推理と聞き込みに余念がない。被害者二人とも顔見知り
    だけに絶対に犯人を見つけてやると意気込んでいる。
     そして、犯行時刻を示していると思われていた時計が元から壊れていたらしいことがわかる。犯人は壊れていた時計をわざわざ正しい時間に合わせてから壊したらしい。
  • 「銅の魚(仁木悦子著)」後半

    2020-11-18 19:00


    ・倉の中の実験
     著者としては異色のブラックな作品。小学六年生のフーコ(冬子)は同い年のユリと仲が良いが、ユリの兄で高校1年の篤夫のことは好きになれない。フーコは社宅暮らしだがユリの家はお屋敷で、倉もある。この倉にはユリのおじいさんが膨大な蔵書と共に寝かされていた。
     おじいちゃんは身体の自由があまりきかず、若い頃に読んだ本を眺めるのが唯一の楽しみみたいになっている。もともとはお座敷に寝かされていたのだが、倉に置ていある本をあれこれ取ってこいと言われるのが面倒になって、ユリの母親が日当たりの悪い倉におじいちゃんを移してしまったのだという。一応畳も敷いてあって人が住めるようにはなっているのだが、病人にはあまりいい環境ではない。
     本好きなフーコはユリと一緒に倉に行き、おじいちゃんに本の内容を聞かせてもらうのが楽しみになる。おじいちゃんは本の置き場所も本の中身も覚えていて、何番目の棚の右から何冊目の本を持ってこい、この本はな・・・と自分は本を見ていないのに本にまつわるおじいちゃんの人生と本の中身を教えてくれる。イラストや写真がある本もあるのでフーコにもわかる。
     中にはおじいちゃんが子供は見てはいけないという本もある。二人とも無理にそれを見ようとはしなかった。
     おじいちゃんとユリの両親は夫婦養子という関係で、血のつながりが全く無いらしい。

     そのうち冬になり、倉の中は寒いのでフーコはあまり行かなくなる。そんなある日、おじいちゃんとユリのお母さんは大げんかして、お母さんはおじいちゃんの大切にしていた本をあらかた古本屋に売り払ってしまう。その数日後におじいちゃんは死ぬ。

     倉は篤夫の部屋になり、二人が倉に行くことも無くなる。篤夫が面白いものを見せてやる、というので倉がどうなったかと思って行ってみる。ユリは行かない。篤夫はどうもわずかに残った古本屋も持って行かなかった本をネタに、手品などをフーコに見せて気を引きたい様子だ。フーコは何度か付き合っていたが、お互いに相手を脅かそう、驚くもんか、みたいな意地の張り合いになっている。
     ある日篤夫がネタにしたのはおじいちゃんが子供は見てはいけないと言った本だった。その時悲劇が起きる。


    ・銅の魚
     ゴールデンウィークに東京の団地から埼玉県の祖母の家に遊びに来た僕・小学6年生の敬介。祖父は三年前に亡くなってひとり暮らしだけど、62歳のおばあちゃんはまだまだ元気だ。おばあちゃんは田舎の良さがわかる年になったんだねえ、と喜んでいるが、僕の目当ては正月に知り合ったお隣のアヤちゃんという同じ歳の女の子と会うことだ。
     昔から何となく知っている子だったけど、正月に見違えるような美人になっていたのだった。お母さんが手術して入院中と聞いた僕はさっそくお見舞いを兼ねた挨拶に行く。だがすぐにお母さんのお見舞いに行くとかで遊ぶ時間は無いという。ちょっとガッカリ。アヤちゃんはお母さんの世話と、お父さんと中学生のお兄さんの世話も引き受けて主婦替わりなのだ。
     戻るとおばあちゃんは倉の整理をやっている。そばでガラクタをいじっていた敬介は奇妙なものを見つける。おばあちゃんに聞いてみると矢立というものらしい。銅でできている。敬介のひいじいさんが使っていたものらしい。ひいじいさんは崖から落ちて昭和24年に亡くなったとかで矢立もちょっとつぶれている。その時持っていたらしい。本当は魚の形をした飾りもついていたがその時に無くなってしまったという。 
     おばあちゃんはパパのお母さんだけど。ママとは仲が悪いというほどではないけど一緒には住みたくないいらしい。おばあちゃんもこのひいじいさんの奥さん、つまりおばあちゃんから見てのしゅうとめさんとはあまり仲がよくなかったみたいだ。
     敬介はアヤちゃんに見せてやろうと思ってその矢立を無理やり借りて飛び出してしまう。ちょうどアヤちゃんが病院から帰ってきたところでさっそく取り出して矢立を見せると、いきなり横から出てきたおばさんに取り上げられてしまう。アヤちゃんによればこの町の人でおかつさんという、ケチで有名な町の嫌われ者らしい。金貸しをやっているのだという。薄汚い格好をしているけど本当は金持ちらしい。ちょっと家に置いてきた眼鏡をかけて見てみたいので貸してくれという。心配なら家についておいでというのでアヤちゃんと一緒におかつさんの家に行く。ケチと言うから警戒していると、おかつさんは柏餅をごちそうしてくれて、矢立も大事にするようにと返してくれる。何だか拍子抜けだけど良かった。

     その日の夜、親戚の講平さんという若い人にお祭りに連れて行ってもらう。自転車で出かけたのだが、その帰り道に血まみれで倒れている人を見つけてしまう。おかつさんだった。おかつさんは「高畑・・・すぐるが・・・」と言い残して死んでしまう。 
     警察にさんざん話を聞かれて疲れて帰るが、またアヤちゃんに話の種ができたと翌朝行ってみるとアヤちゃんは僕を大嫌い!と言って玄関から押し出してしまう。僕の証言でアヤちゃんのお父さんが逮捕されたというのだ。アヤちゃんのお父さんは、高畑優(すぐる)という名前だった。アヤちゃんの家はお母さんの入院のためお金が必要で、おかつさんに借金をしていたらしい。そのお金がなかなか返せなくてトラブルになっていて、悪いことにアリバイも無いらしい。
     僕はアヤちゃんともう一度仲良くなるためにも、アヤちゃんのお兄さんで中学生の洋ちゃんと相談して真犯人を探すことにした。

     話としては敬介がこの殺人事件の真犯人を探り当て、アヤちゃんのお父さんは疑いが晴れて家に帰ることができる。その犯人は敬介のひいじいさんを殺したのと同一人物だった。アヤちゃんからは夏休みはきっと遊びに来てね、待ってますという手紙が届く。

    ・あかねを歌う
     22歳のあかねは赤ん坊の頃に父が亡くなり母と娘の二人暮らしだったが、社員旅行から帰ると母が死んでいた。殺されていたのだ。強盗殺人と思われた。
     葬儀はあかねと伯父夫婦、40過ぎの母の従兄の4人だけですませる。つましく書道教室を開いて娘を育ててくれた母が何でこんな目に合わねばならないのか。こんな貧乏な家に大した財産など無いとわかるだろうに。
     最近母には交際している人があった。クリーニング店の経営者で俗物だ。妻を病気で亡くしているというので不倫ではないのだが、あかねはなんとなく嫌だった。その相手である輪島は葬式には姿を見せなかった。来たら来たで嫌だったろうが、来ないとなると何故来ないのか、と腹がたってしまう。だがその後この男はあかねの家の近所で何度か目撃される。そのくせ訪ねては来ない。
     葬儀の時に伯父が、母がノートを受け取って喜んでいたのにと話していたのだが心あたりが無い。伯父に聞きに行ってみると、押し入れの中から父の遺品のようなものが出てきて、これを母に届けたのだという。父はひき逃げされて死んだのだが、その急死で母が実家に身を寄せた時期にこれを持ってきて、そのまま押し入れの奥に忘れて行ったらしかった。女一人で娘を育てるため、夫の遺品を懐かしむ余裕も無かったのだろう。
     あかねは父親の事はほとんど知らなかったので、この機会に伯父にどんな人だったのか聞いてみる。それによると父は文学青年で、葬式にも来てくれた従兄と同級生だった縁で従妹の母と知り合ったらしかった。
     だが父の母親は水商売をしていたので母の家では結婚を認めず、二人はやむなく誰にも祝福されないで所帯を持ったのだという。親切にしてくれたのはこの伯父だけだったと母からも聞いたことがある。父は次第に酒におぼれるようになり、酔っ払って歩いていたところを車にはねられたのだという。母はそれから住み込みの仕事を探し、金をコツコツと貯め、父方の祖母の残した家を思いがけず相続したこともあって書道教室を開いたという苦労の人生だった。
     母の遺品を探しても伯父が言ったような袋は出てこない。そんなもの泥棒がわざわざ盗んでいくとも思わないし、喜んでいたという母が捨てるはずもない。どうしても気になってしまう。
     あかねは母が住み込みで働いていた工場の寮を訪ねる。当時の工場長や社長は故人となっていたが、社長の奥さんだった人は健在で懐かしそうに母の事を話してくれるが、手掛かりになりそうなことは無い。一つだけ、探偵みたいな男が来たと言う人相を聞いてみると母の交際相手の輪島らしい。あかねは足をくじいてしまったので社長未亡人の命令で、工場の若者が彼女を車で送り、食事をおごってくれる。これも未亡人の計らいらしい。彼は昼間は工場で働き、夜は学芸員の資格をとろうと夜学に通う向学心のある青年だった。あかねは思いついて、青年に一緒に輪島のところまで行ってもらうことにする。一度は輪島に事情を聞いてみたいとも思っていたのだ。
     だが、輪島は死んでいた。脳内出血らしかったが病死ではなく、誰かに殴られてそのまま帰ってきたところで死んだらしい。

     あかねはこの青年・矢ノ瀬京介と一緒に母と輪島を殺した犯人を突き止めて、母と輪島の交際を認められると思うようになる。輪島は決して俗物ではなかった。真剣に母を愛して、母を殺した犯人を追って返り討ちにあったのだった。
     そしてあかねは矢ノ瀬と交際するようになっている。