ちょびの東京放浪記 その七
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ちょびの東京放浪記 その七

2015-05-18 20:58
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眠い目をこすりながら青い丸が描かれたセロファンをお尻にあてがわれる。
それを学校に持っていった経験をしたことがない人は今のところいないはずだ。

何とも懐かしいそして恥ずかしい、この思い出は日本人の世代を超えた共通体験として
受け継がれてきた。しかしその伝統も来年四月にピリオドが打たれる。

ギョウチュウに感染する児童があまりにも少ないため、全体で検査する必要性がなくなったのだという。喜ばしい反面、なんだか切ない気がするのは何故だろうか?

そのうちこんな会話が交わされるに違いない。「えーお尻の穴にセロファンつけて、それを学校に持っていくのー?なにそれ気持ち悪ーい」と。昭和世代、平成世代と言った区分けに
加え、ギョウチュウ検査の経験のあるなしが世代間の区分けになる日がやって来るのだ。

ギョウチュウ検査用セロファンの説明書に書かれた愛らしいキャラクターの名前は丸輪太郎というらしい。彼のその姿も来年には見納めだ。恥ずかしそうにお尻に手を当て、それでいて何か誇らしげな彼の顔を知らないという世代が間もなく生まれようとしている。なんとも悲しいことだろう。

しかし、日本に寄生虫がいなくなったわけではない。回虫や肺吸虫、アニサキスなど人体に重大な悪影響を与える寄生虫は今も増えている。人間の歴史は寄生虫の歴史でもあるのだ。

日本の寄生虫研究は世界的に見てもかなり早い。1800年代初めにはすでに回虫の観測記録が多数残っている。とはいえ欧米に比べれば大きな後れを取っていたことは否定できない。そんな寄生虫学が急速に発達したのは明治時代に入ってからだ。

外国の研究・文献を貪欲に持ち込み、研究者を日本に招いて30年は遅れていたという寄生虫学を世界の最先端にまで発展させていく。

そんな中、寄生虫研究の第一人者である医学博士 亀谷了氏が私財を投じて研究所を設立し
1957年に財団法人として目黒寄生虫博物館は誕生した。

ずいぶん長い前置きになってしまったが、そういうわけで目黒寄生虫館博物館である。
目黒駅から徒歩13分。こういうと大したことはないが、ここには高低差は含まれていないのである。

東京は意外と坂の多い都市だ。特に中心部は、河川により浸食された台地がいくつも取り囲むようにあり、それを埋め立てる形で町が発展してきた。~谷や、さんずいのつく地名が多いのはこのためだ。普段運動をしない僕にはかなり過酷な地形であるのは言うまでもあるまい。

息も絶え絶えK女史の後ろをついて行く。全く情けないと発破を掛けられながら、とぼとぼと歩いた。しばらく行くとものすごい坂道が現れた。右手にはホリプロと書かれた建物。あの芸能事務所のホリプロだという。

誰か有名人でも歩いてないかしらときょろきょろしてみたがこんなところにうろついている有名人はいない、有名人はみんな忙しいのだからと鼻で笑われてしまった。





なるほどその通りだと妙に納得しながら坂道を下って行く。すると目黒雅叙園というたいそう立派な作りの建物の横を通る。K女史によればたいそう有名なホテルらしく(結婚式場でもあるらしい)自分にはあんまりピンとこなかったがその立派な作りには驚いた。





変なビルを見つけた。ビルの上にお城みたいなのが乗っかっている。ラブホテルみたいですねと言うと、ラブホテルですねと答えが返ってきた。まったく東京に来て何度驚いたことだろう。この年になってみるとなかなか普段驚くこともないはずなのだが、東京はどこも刺激的だ。人生捨てたものではない。

興味を引いたものは全て写真に収めた。そんな様子を見てK女史はほんとにおのぼりさんですね~とあきれられる。できる事なら自分の目にするものすべてを記録したいと思った。
なんとなくもう二度と東京には来れないような気がしたからだ。

しかし、デジタルな画面越し(しかも貧相な携帯のカメラだ)ではなく直にその目に焼き付けたほうがよほど記念になるとK女史の言葉で気づかされた。写真などとっている場合ではない。ファインダーより人間の目の方がはるかに視野は広いのだ。心のネガにこのパノラマ写真を焼き付けよう。

路地を通り、怪しげな坂道を上って学校前に出る。新しくて立派な学校。ピカピカの学校だ。
東京のこんな学校で学べるなんて幸せな生徒たちだ。当の本人たちはそんな自覚は一切ないのだろが。もうすぐ着くはずですよとK女史が僕を元気づける。

角を曲がるとすぐそこに目黒寄生虫博物館はあった。思っていたよりもかなり小さいビルだ。
これが博物館なのかー。ワクワクしながらさっそく入館した。入館料は無料。デートスポットとしても人気らしい。





受け付けはなく、入ってすぐに展示スペースだ。それほど広くないスペースに驚嘆の小宇宙が形成されている。目の前にはずらりとホルマリン漬けの標本が並んでいる。圧巻だ。

虫眼鏡を通さないと見えないものから巨大な模型まで日本中で採集された寄生虫が簡潔な紹介とともに展示されている。K女史も興味深げに標本を観察している。僕も単独行動開始だ。まるで人間の体内の中にいて観察しているようだ。ミクロの決死圏の如く、ぼくはその美しさ奇妙さ怖さに魅了されてしまった。

館内をふらついていると母と男の子の親子がいた。その男の子はやたら寄生虫に詳しいようでこの博物館にも何度か来ているようだった。10歳くらいだろうか、その男の子は目の前にある寄生虫の標本を指さし、その寄生虫がどういう経路で人間に感染するかを母親へ熱心に説明している。

母親はへーそうなんだと男の子の説明に耳を貸している。展示品が寄生虫という不気味な物であることを除けば、なんとも微笑ましい光景である。この子もいつかは医学博士となって
日本の寄生虫研究の発展に貢献するのだろうか?青いセロファンを見て彼はどう思うだろうか?

この博物館を作った故亀谷了氏も目を細めて喜んでいるに違いない。寄生虫学の啓もうと発展のためにここを作ったのだから。暖かい親子の風景を横目に狭い階段をあがると一階と同じように展示品が置かれている。

標本に加え、亀谷了氏の研究資料も展示されている。分厚い研究ノートにはみっちりと小さな文字で研究成果が書かれている。手書きのイラストの精緻さも尋常ではない。このノートを書上げるのに一体どれほどの労力がかかっているのだろう。そんなノートがいくつも展示されている。

寄生虫研究に人生のすべてをかけた亀谷了氏をはじめとする研究家の情熱には感服するばかりである。研究に使った道具類も同時に展示されていた。錆びつき埃をかぶったそれは、今役割を終え悠々自適の老後を過ごしている。

2階の一番奥にはグッズの販売コーナーがあった。寄生虫に関する本、寄生虫がデザインされたTシャツ、目玉は本物の寄生虫を樹脂で固めてキーホルダーにしたものだ。買ってもよかったのだが、さすがに自分の身に付けたりプレゼントにするには気が引けたのでやめておいた。

このグッズや書籍の販売が、この博物館の運営資金になるそうだ。今思うと何か買っておけばよかった。お土産代わりというわけではないがT氏とO氏のためにパンフレットをもらいスタンプを押した。横には寄付を募るボックスがある。少額で申し訳ないが足しになればと小銭を入れた。もちろんK女史もだ。

たっぷりと寄生虫の世界を堪能した後は目黒駅に戻ろう。緩やかな坂道を上り、人生初のスターバックスで、OLさんたちの気迫に怖気づきながらヨーグルトフラペチーノなるおっさんにはおしゃれすぎる飲み物を飲んだ。

うまい。
春の日差しと歩き疲れた体に染み渡るうまさだ。ものすごいビル風の中、少し休憩した。
k女史はニヤニヤしながら僕の横顔を激写している。どうやら思い通りの構図になったようだ。JKとフラペチーノと僕の横顔がツボったらしい。

見せてもらったがひどい写真である。自分の携帯なら速攻、消去しているだろう。
まあK女史がおもしろがっているのだ我慢しようではないか。汗も引いたことだし、さあ
そろそろ歩きはじめよう。





大鳥神社に寄ってみる。防災・雨祈にご利益があるとして消防署がお参りするらしい。
大阪にも大鳥神社があるがおそらく同じ起源をもつのだろう。ここの狛犬がとてもかわいらしい。毬と戯れる子犬と親がそれぞれ並んでいる。いつかまたゆっくり拝見したいものだ。

大鳥神社をさらっと見物して目黒駅へ。そして渋谷に戻ってきた。乗り継ぎの電車がもうそこに来ている。あわただしく荷物をロッカーから取り出し、電車に乗り込む。K女史とはここで一旦お別れだ。また後日オフ会で再開することを約束して手を振った。





いつも忙しいK女史の半日を潰してしまった。今から会社に行って仕事だという。歩き疲れただろうに申し訳ない。K女史が居なければこの半日一体どうなっていたかと思うとぞっとする。

本当にありがとうございました。お世話になりました。心の中で手をあわせつつ僕は上野を
目指した。






※どうやらギョウチュウ検査のセロファンには黄色いものもあるらしい。もちろんそちらの
 セロファンも来年でお役御免だ



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お天気もよく(直前まで東京は雨続きでしたので) 早朝からたのしいデートでございました~
二度ととは言わず二度も三度も遊びにいらして下さいね、おまちしております。
58ヶ月前
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コメントありがとうございます。またいつの日かお会いできることを人生の目標にいたします(('ェ'o)┓ペコいろいろありがとうございました
57ヶ月前
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