• 精神の更新と自動化の狭間 ーー意識はどのようにして自動化を逃れるか

    2019-06-03 19:45

     どうも。ユーザー名が変わってますが、《み》です。久々に自分の過去記事を見直してましたが、やっぱり分かりずらいように感じられたので、ざっと数個ある記事の中の簡略記事を書いてみようと思います。

     「一つの魂に、一つの脳が対応する」というのは自明なのか?

     もし魂を人格のようなもう少し具体性のあるものにした場合、頭の中で汝や彼を生み出せる謎が残ります。というかむしろ、今までに心に入り込んできた旧友や家族などの人格が脳に記録され、自動化された心なるものが存在しているように僕には思えるのです。

     一つの身体をあたかも自分自身が脳の中心あたりを視点にしてコントロールしているように見えてしまっているのですが、実は判断を行ったり思考したりする段階で、僕以外の過去の人格が主導権を握っているような経験をしていると自覚することがここ最近よくあります。独りのときの人格と誰かがいる時の人格は確かに異なりますが、そういうことではなく、脳の中かどこかに保持されている「他人」が、時に判断や思考を指揮しているのではないかと考えるに至りました。例えば何か物書きをしたり喋ったりする際、思いもよらないことを書き出したり口走ったりする経験や、緊張してどもってしまったり答えるのに言葉がつまるという経験があります。これらは今の僕からしたら脳が自動で言語探索を行いながら二人三脚で僕という意識とタッグを組んで一つの何かを作り上げる過程を現実世界に投影している、そういうもんなんだと思っています。

     こういうのは少し考えれば当たり前のことだと思います。意識と無意識が役割分担しているただそれだけのことで、何も新しいことを述べていないように見えるからです。しかしながら、僕はこれによって何か新しいことを伝えようと、少なくとも自分にとって新しい何かを懸命に伝えようとしているのです。まるで既に出来上がった事実というトンネルをくぐって、何かを見出したいかのような、そんな気分です(そう、今僕は何かを探していて、何かを探索するためだけに、このような長ったらしい文を書いているに過ぎないのだ!!!)。

     確かに少し考えれば当たり前だし何も言ってない(まるで自動化されてるかのようだ!)、しかし僕はこれを通して何かアップデートしてみたくてたまらず、何かを更新しようとしている、そしてそこにこそ、「真の自己」なるものが備わっているのではないかと僕は思っています。

     (ちょっと脱線しますが)例えば(今文章を作成している中、何を書こうか忘れてしまったのですが、)このように言葉を用いて、常に上記に目を向けながらふと書こうとした内容を忘れそうになってるところを思い出そうとしています。まるで意識としての自分が逃げ出したかのような、、、いや違う。どこか感性の赴くままに夢中に書いてたら忘れてしまったのです。じゃあ予め目次みたいなの書いとけって話なのですが、自分のブロマガでそういう事をしたいわけではないのです。今まさに僕がやってるのは、何か急に失ってしまったこの現象に対する記録と抗いです。どんなに抗っても泥沼にはまって、結局何を言いたかったのかを忘れてしまうあの感覚、どこか言葉のバリアを編みに編んで隠れようとして結局全く思い出せなくなってしまう、あれに抗っているのです。

     結局諦めてしまいました。いつものことなんです。どうやっても余計な脱線を繰り返してしまい、何もかも本当に言いたいことを思い出せなくなってしまうのです。まるで文章を書き進んでいく内にいろんな表現方法があり、その表現の森に迷い込んで、何を書きたかったか森を飛び越えて大局観を以て眺めてみると、森の経路が無数にあって結局どの道を進んでいたのかさえも分からなくなっていく、、、そんな中で見いだされるのが、観察している自己です。

     初めから宣言して戒めてたつもりでしたが、全く簡略記事になることがかないませんでしたので、後で久々に三行まとめ置いときます。

    ーー

     さて、一息置いてみると、以下のことを言いたかったらしいです。
    ・自己は多数の自動化された人格に支配されている(その種類は言葉の数くらい)

     そして僕が本当に言いたかったことはたぶん以下の通りです。
    ・計算結果によって自動化された未来の自分も現在の自己に介入しているのでは?
     これについては意識体について言及してた”過去記事”を参照してください。そこに自分は未来が見えると物申していますが、世界や宇宙に関する予知能力というより、自分のための予知・予測です(幼いころからしょっちゅうこういう現象があります)。んで、直近であれ遠方であれ、その未来の自分も含めた人格も自己に含まれている、それが無限に無限かなたまで織りなされ、まるで入れ子かフラクタルか分からない複雑性を見出しているように思えてなりません。僕にはそれがある意味視覚的に感じ取って見えるところまで来ています。異常なのかもしれませんが、現段階でこのように申し上げる以外、適切な表現が思い浮かびません。

     何かこう詰まった感じになって一息ふぅと力を抜くと、なんとか言いたいことが洗練された形で出てきてしまうんですね。本当は厳密に”これこれ”と表現したかったのが”あれこれ”になってより最適化された形で表現意欲が意識に返ってくるわけです。こりゃ意識の説明に何重もの労苦が伴うわけでして、これはもう集中しすぎるとどこまで進んでいくのか分かりません。

    ーー

     ところで、なんで意識って眼球の中心あたりにあるんでしょうね? 知覚の中心ともいうべきそこに、なにか物理的な障害をもたらしたとしてもたぶんそこに意識はあり続けるんでしょうね(あまり想像したくありませんが)。別におへその部分に知覚の中心部を持ってきても良かったはずだし、あと、なんで視覚ってこうも強くこうあるべきだと制限かけてくるんですかね? 上下左右逆にした視覚世界を用意したとしても順応できてしまいますが、頭に浮かぶイメージは無意識に持続的に作り出すことは決してできないようになっています。不思議なもんですよね。

     そして僕はもう、何かを自動化し、固定化することに成功したのかもしれません。そして新たな新規のアップデートされた淡い何かによって、また僕の意識は持続し、常に僕は新しくなっていくのを実感し続けることができるわけです。まるで同じように繰り返す毎日や日常が、意外なまでに変化し続けていることを(普段の日常に何も変化がないと徹底的に思い込むことによって)いやというほど思い知らされたかのように。

     最近こんな感じで浮き沈みが少しあります。今はもうややフラットな波ですが、言いたいことがたまりにたまるとこうやっていろんな表現の森をかいくぐって森が大海になる前に走りぬこうとするのですが、残念ながらまだ僕にはまだそういった剣(つるぎ)のような貫く一表現を瞬時的確にアウトプットすることが難しいようで、途中途中何度も推敲しては、タイピングの速さに文章表現が飲まれていき、流され、「せっかくこう書いたんだしこの路線で行こう」ってなっては、ブレーキかけて「いやこうした方がいいんじゃないか?」という思惑も消しきれず、かといってスルーするのも胸元が気持ち悪くなりますので咀嚼していくわけです。

    ーー

     とりあえず今回はここまでにしておきます。

     書きたいことは書いたのですが、また新たに何か言いたいことがつっかえてる感じがあり、それがいわゆる新しいこと、新たな真なる自己の芽生えが実際に確かめられたような気がします。

     それではまたどこかで、会えたなら。


    ーー

    三行まとめ
    ・どんなに人格が新しく更新されたと思っても、過去になれば自動化されてしまう

    ・どもったり思わぬ言葉が出るのは、無意識の自動化された人格に流されてるから

    ・未来さえも、必然的なところに関しては自動化されて現在の自己に眠っている?


    【追記】
     忘却してしまう理由はたぶん、その忘却してしまった記憶よりも先んじた意志が生じてしまい、結果としてそれが打ち消してしまったからなのではないかと思っています(あくまで意識の世界の話であり、主観的なところが多分に含まれていますので悪しからず)。



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  • 意識を意識して動かすということ 眼球運動の焦点のような意識体について

    2019-03-21 14:52

     これから話すことはあくまで僕自身に関する事柄であり、他の誰かに役立つとは思っていません。ですが、僕だけにこんな能力(?)が備わっているとは思えないので、誰か心当たりのある人向けに、それこそ未来の自分にでも書き送るような内容となります。

     主に意識についてですが、まず最初に、僕には未来が時折みえてしまうことがあるということを告白せねばなりません。ふとボーっとしている瞬間に一枚の夢が画像のように視野に現れ、それが数か月後に全く厳密なかたちで現れてくるのです。「あ、これ前に見たやつだ!?」という感じですが、小学生低学年くらいからこの種の現象が起きており、頻度も偶然にしては捨てきれないレベルで発生しているのでデジャヴとも言い難いというのが個人的な見解です(当然ながらジャメビュでもありません)。

     しかしながら、この未来がみえるという能力はあくまで無意識によるものであり、さらに自分自身に関することにもかかわらず、僕自身の欲望などには一切関知しない未来像のみが実現するので、例えば意図的に意識して大金持ちになる自分像をイメージしようとしても、それが叶うことは全くありません。自分の世界の中で、自分の意欲とは全く無関係な、それこそ死角から突如現れたかのようなイメージが視覚の一部(だいたい眼球、額あたりから発生するもの)として予め予約され、それがある日ある瞬間、本当に突然忘れた頃に来るわけです。一度だけその未来像を歪めたことがあります。一時予感しては意識してその未来像に対する反応(主に眼球の動き)を歪めようと感覚のような意識を曲げる感じを、まるで過去の意識と腕相撲をするかの如く、その未来像とやらを捻じ曲げたことがあります。当然ながら、何も特段変わったことはなく、ただ分かったのは「ああ、未来ってこんな感じで変わるんだな」という感覚だけでした。

     よくある未来人とか予知能力者の類とは一切を異にして、地震予知のような能力ではないことは分かってました。繰り返し述べますが、自分以外のことは予知できませんし、自分自身のことでさえ予言できません。だから誰かに役に立つというよりは、この種の現象が生起されたときには、「ああ、まだ自分は生きてるんだ」という安堵感を抱くことになります。時々夢の中でありがちな、銃で撃たれたり誰かに暴力されたりするイメージも、ないことはないですが、それらが実現したことは一切ないです。あくまで自分自身の意欲感情に関係ない部分で未来が計算されてやって来た、ただそれだけだと、今では思えるようになっている次第です。

     そしてこの能力も、次第に頻度が減ってきましたし、実現間隔も数日おきになることが多くなり、今度はどの記憶が未来に起こり得るのか、自分でもわからなくなってきました。つまり、皆さんと同じように、いつ命がなくなってもおかしくない、メメントモリ状態になってしまったのです。とはいえ、とりわけみんなと同じようになった、それだけなので、これからは少し気をつけて生きなきゃなと少しだけ一念発起する程度で、特別変わった感情はありません。

    ーーー

     さて、今まで書いてきたのはやや無意識寄りの能力(?)なお話でしたが、ここからは意識を意識して動かすということについて自分なりの解釈盛りだくさんで触れてみたいと思います。

     何かを記憶をしたり言葉の意味をイメージして結びつける際、眼球運動が起こることは知っている人は知っているでしょう。僕の場合、その眼球運動によってもたらされる「意識の焦点」が視覚において軌道としてみることができます。今から話す「意識体」についてですが、どういうわけか頭蓋骨よりも外には出られないというのがハッキリわかるようになってます。特に僕の場合は左上の方にその意識体を動かそうとすると頭蓋骨にぴしゃりとひっぱたかれて落とされてしまうんですね。右上に行けば多少外側に出られはしますが、いずれにせよ、頭蓋骨よりも外にその意識体を出そうとすると途端に集中力が消えて別のことに意識が向いていしまうように無意識にそうなってしまうのですね。

     意識体を動かすといっても、動かしやすい軌道とそうでないのがあります。僕の場合は螺旋、渦巻きが非常に心地よく動かしやすい軌道の一つになっており、逆に角々しい、四角形や多角形のようにきっちりかっちりした軌道は意識して集中しないと難しいです。正三角形を描くときでさえ、最後の一辺を繋げようとしたときに意地悪されて中々くっつかないように軌道が歪められてしまうんです。あらかじめ点と点をくっ付けようと線で結ぼうと意識して力めば力むほど、この意識体はカオスな動きを見せていきます。

     そして何よりも、この眼球運動における意識体の運動は、みぞおちの部分に大いに関与し、フィーリング(feeling)に大いに関与しているものと僕は考えています。チャクラとかチャネリングというのがあるなら、もしかしたらそれに大きく関わっている部位なのかもしれません。が、僕にも正直よく分かりません。この意識体に関しては分からないことだらけで、今まで誰かに懇切丁寧に説明しようとしても、理解されることはなかったのですから。

     最近になってタルパのような、意識して人間のような像を作りだすのに似たようなことができるようにはなりましたが、二次元の静止画系よりも三次元のリアルな人間の方が動かしやすいですね。ただ、顔認識を一度でもすると、感情が高ぶってすぐにイメージ像が消え去ってしまい、集中できなくなります。そういうわけで、どういうわけか顔無しの二次元キャラクターのようなものを目をつぶってイメージできるようになりました。人格も作れるようになって、時々(言わせてる感半端ないですが、)会話できるようになりました。頭の中で独り言してるだけなので、エア友達してる気分です。客観的に見れば無表情でこういうことしてるんですから、すんごく痛々しいですねw

     言い忘れてましたが、記憶や論理的思考にも密接に関わっており、その時は眼球運動の焦点を意識して動かすことができないのですが、無意識にその軌道を読み取るが如く見据えることができます。つまり裏を返せば、そのような意識体なる点を動かそうとしている間は記憶や論理的思考力の言語化等ができないようになっているのです。そして音楽やテレビのような知覚刺激があると意識体を動かすためのエネルギーのようなものがしばしば発生し、これを使って動かしています。

    ーーー

     少し話がそれてきたので意識体についてまとめます。
    ・意識体は眼球運動の焦点のような「点」である。
    ・意識体は頭蓋骨の域を出ないことが多い。
    ・意識体は意識して動かすことができるが、力み過ぎるとカオスな渦巻き等の軌道をもたらす。
    ・意識体をコントロールする際、眼球運動だけでなく、みぞおちに対する力加減が大きく関与している。
    ・意識体を操作している間は記憶や論理的思考力の言語化が困難である。
    ・音楽などの知覚刺激によって意識体を動かすためのエネルギー源を得ることが多い。(ただし、大体眼球運動の焦点を動かすことが分かってから、このエネルギー源に頼ることなく動かすことができるようになってきた。)

    ーーー

     では意識体のインターフェースについてもう少し詳しく述べていきます。この意識体はあくまで眼球運動の焦点としての「点」なので、目線を指先に当ててその「点」を指先に乗せる(あるいは含ませる)ことによって、指先が魔法の杖の如く使えるようになり、その動きがまさしく渦巻きのような螺旋運動となります。

     例えば右手でコップを手に取る場合、真っすぐ手を伸ばすのではなく、円を描いて遠回しに掴みます。慣れてくれば普通にサッととることができて、むしろこっちの方が自然なコップの取り方なのでは?(具体的には省エネというか動きとしてのコスパがいい、小回りが利く)となって意識体をうまく使いこなすことができます。マウスのトラッキングにも螺旋運動を活かして効率よくアイコンをクリックすることが、今のところ一番分かりやすい応用例でしょうか。あとは文章を読むときに直線的に読んでいるわけではない(目線を直線の如く動かしているわけではない)ということがハッキリわかったのが大きいですかね。

    【関連記事】
    「人は文章を直線的に読んでいるのか?」

    ーーー

     ここまで一読して、最初の未来予知云々は関係ないのでは? と思われた方もいるかと思いますが、実は意識体がある時ふとどっか行ってしまった場合に発生することがあり、まるで隙間風にイメージが入り込んだかのような、そんな感じの現象に見舞われるのです。ですから、やろうと思えば意図的に未来像をみるよう、訓練できそうではありますが、残念ながら意図的な未来像は決して実現しません。むしろそのような期待は夢に終わって実現しないことの方がほとんどなのです。どうして意欲的に意図してしまうと実現しなくなるのか、そこら辺のメカニズムに対する理解には及んでいないのですが、おそらくそのような未来像は繊細で、下手するとすぐに消滅してしまう類の、本当にもろくて儚い像なのかもしれません。その証拠と言ってはなんですが、逆に意識体に対して力んだ場合に、カオスな渦巻き螺旋を見せてくれるだけで、特段儚くもろく散っていくわけでもありません。むしろある程度意識しなければ動かせないですし、諦め感覚で力を抜くとどういうわけかスムーズに点と点を線でつなぎ結ぶことが可能となってしまうという、、、自分でもよく分からんとです^p^

     ちなみに力みをなくすと、対称性のある美しい図形(幾何学模様)が見えることがあります。フラクタル図形というよりは、本当に一見して美しい模様です。フラクタルのような入れ子のような図形はイメージして作り出そうとすればするほど集中力が突如途切れてしまいます。

    ーーー

     この意識体の応用例が、力み具合を絶妙に調節することによる日常に対するインターフェースとして利用することです。日常の家事や頭の使い方、会話表現、スキンシップ等にも密接に関与していることが分かってきました。

    ーーー

     ここまで理解していくまでに大分苦労しました。まず経験者が一人もいないですし、精神分析系の本などを読み漁ってもイマイチピンとこないし、哲学系にも脳科学系にも当たりましたがイマイチでした。んで、割かしピンと来たのが、グレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」だったわけです。自分の身体や認知をコンピュータのように捉える機械論がすごく理解するにあったってスッキリする形になり、唯物論のようなところは毛嫌いしてましたが、まあ、あまり毛嫌いしてても現実がそうなので仕方ないわけで、最近は丸くなった方かなと思っています。

    ーーー

     オカルトと思って一向にかまいません。人によっては経験がないでしょうから、形而上学的な概念になっていて、言葉だけで説明するには不十分すぎるところもあるかと思います。ですが、現状の僕はこれ以上の的を得た説明をすることができません。未来の自分がなんとかしてくれると祈るばかりです。

     それでは今日はここまでにしておきます。

     またどこかで、会えたなら。

    ーーー

    【追記】
     ちなみになぜ意識「体」なのかと言いますと、点の状態から力みを抜いた瞬間に幾何学模様を描くことができるからです。つまり、点が何かしらの複雑さを以てして展開することになるわけですね。

    人は文章を直線的に読んでいるのか?


  • ゼータ関数で色んなプロット図を描いてみた

    2019-02-08 16:57


    一部をNoteに載せました(下記リンク)
    https://note.mu/min23sys/n/nf3ecfc72d661


    以下、適当にうp



















     みんなもWolframでぜひやってみてね☆(ゝω・)v