隠喩の種類 メタファーのロジカルタイプ
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

隠喩の種類 メタファーのロジカルタイプ

2014-02-22 12:15


    ○○におけるロジカルタイプ



    今回は囲碁、将棋、StarCraftを比べてみます。

    囲碁は陣地取りゲーム、将棋は王様取りゲーム、StarCraftは軍量ゲームですよね。これらに共通しているのは「争う」ということです。要するに戦争ゲーです。

    見た目はどうでしょうか。囲碁は碁石、つまり、点のようなものを使います。将棋は点が駒になり、実体を形成する代わりに名前が付けられています。StarCraftは点が実体(よりリアル)になっています。

    これら3つのゲームは実体におけるロジカルタイプ(論理階型)が違うと言えます。ロジカルタイプについては”こちら”。分からない人は「ロジカルタイプ=種類」と脳内変換。

    「囲碁は宇宙だ」という隠喩を使う人がいます。あれは囲碁が碁石という点を使っているから言えるのです。本来は争うゲームのはずなのに、点という抽象的なものを使っており、その点がなす模様が宇宙に見えるのです(スペースが将棋に比べてそこそこあるという側面や将棋より多くの点を使うという側面もあります)。つまり、本来の目的とは異なった見方で生まれた概念なのです。目的におけるロジカルタイプが違うと言えます。



    つまり、囲碁は将棋やStarCraftとは違い、宇宙を想起させるメタファーを含んでいると言えます。

    「いや将棋だって宇宙じゃん?」という意見はさておき、将棋とStarCraftの違いは何なのでしょうか。

    ゲームのジャンルが違う! 確かに、将棋はターン制でStarCraftはリアルタイムですね。それもあります、ですが、もっとこう、「争い」からかけ離れた見方で生じる違いというのはないのでしょうか。

    「StarCraftの方がユニット(駒)がかっこいい!」、「いや、将棋の駒の方にも味がある!」というように、やはり最初に思いつくのは見た目でしょう。「StarCraftはSEがかっこいいしBGMもある」、「いや、将棋を指す時の音もなかなか」というように、音の違いもありますね。他にないでしょうか? 「囲碁・将棋は2Dだけど、StarCraftは3Dゲームだ!」というように、次元の違いもありますね。要するに美におけるロジカルタイプが違うと言えます。

    まだまだありそうですが、このように違いを列挙することによって、今ここでは思いつきませんが、「囲碁は宇宙だ」のような隠喩が出てきそうな気がします。隠喩というのは、他の似たクラスとは決定的に異なる何かを明かすために使うのだと思います

    つまり、「隠喩であること=ロジカルタイプが違うこと」になるのです



    隠喩の隠喩



    物事には差異があるということなのですが、隠喩にも差異があるのでしょうか。実はあります。隠喩は何かに対応して隠喩となるのですから、その対応するものの種類によって異なるのです。例えば2次元の女性は3次元の女性に呼応した隠喩になりますし、ものそれ自体に付いた名前はものそれ自体に呼応した隠喩になります。

    隠喩にも種類があるということは隠喩にもロジカルタイプがあるということになります。では、隠喩のロジカルタイプが違うというのはどういうことなのでしょうか? 隠喩が隠喩であることってどういうこと?

    つまり、隠されているものの中にまだ何かが隠されているということですね。しかし、これを認識するのはひと手間かかります。抽象の段階を一歩上がる、言い換えれば、より共通項を多く含むクラスへと昇っていくということです。もともと隠喩を認識するということはこの手順を踏むということなので、さらに同じ手順を踏んでいくというのはそこそこ手間がかかるのです。この手間をかけて認識できるのは隠喩の隠喩ということになります。

    隠喩の隠喩というのは突き詰めればイデアになるでしょう。「囲碁は宇宙だ」のように、(名前とものそれ自体という関係を基準(0次)として)一次の隠喩が成立すれば、宇宙という情報の構成要素から得られる隠喩を二次の隠喩、そこから突き詰めた結果得られるイデアはn次の隠喩となるでしょう。

    隠喩の隠喩の具体例を上げますと、三次元の女性を二次元の女性にしたものは一次的隠喩で、さらにそれを抽象化したものが隠喩の隠喩です。または、それを3次元の女性に戻したものも隠喩の隠喩になります。実際の女性を絵にしてそれをフィギュアにしたような感じです。人によっては、三次元の女性が二次元の女性に呼応した隠喩だと思うかもしれません。



    イデアのイデア?


    ところで、「イデアのイデア」というのはあるのでしょうか。あるわけないですね。言葉を補えば「イデア(と思っていたけど違っていた)の(実際の)イデア」となります。要するに、「これはイデアだ!」と言っても隠喩である以上は偽物のイデアです。

    ということは、本来ならば「隠喩の隠喩」というのも存在しないのではないかと思うかもしれません。確かに直線的に考えればそうなりますが、しかし、思考の世界、つまり情報の世界はそんな単純なものではなく、少なくとも三次元はあります(なぜそのように言い切れるのかというと、草の三段論法があるからです)。突き詰めたとして直線的に進んでみたとしても、空間的な情報の世界においては別のルートもあり得るわけです。これが隠喩に次元を生むことになります。イデアというのは最終的に突き詰めた結果なのです。

    プラトンの”想起説”はあながち間違ってなかったのではないかと思います。生まれる前にそれを見ていたかどうかはともかく、脳に共通の文法があるということは最近の研究で分かってきたらしい(ソースは最近やってたテレビ番組)ので、脳独特のイデアがありうるかもしれないのです(古いのだと”ブーバ/キキ効果”が有名です)。


    隠喩におけるロジカルタイプ

    ちなみに隠喩のロジカルタイプはある程度示すことはできますが、正確に語ることはできません。なぜなら、それができてしまうと、その時点で隠喩ではなくなるからです。それに、情報の世界(メタファーの世界)は少なくとも三次元はありますから、コトバでなんとか語ろうとしても理解してもらうのは非常に難しいのです。「こんな感じ」、「あんな感じ」と言われても分からないでしょう? そんな感じです。



    何でもスライスしていいとは限らない


    一応、このようにロジカルタイプとして隠喩を切り分けてみたわけですが、このようになんでも切り分けてもいいとは限らないことを述べておきます。「天使のおそれ」から。
     (中略)ダブルバインドなんて数えられるもんじゃない。

     そうよね。ダブルバインドっていうのはコンテクスチュアルな構造全体に関連するんだから、(中略)でも、ダブルバインドを数え上げたりするのってなかなかやめさせられるもんじゃないわ。プロセスを個別の存在に分解するっていうこの習性は人間の知覚のかなり根本的なところだから。もしかすると、それを矯正するのが宗教の本質的役割なのかもしれない。

    (中略)

     (中略)ダブルバインドを数えられないのと同じで、観念を私物化するなんてこともできないわよね。

    (中略)

     (中略)つまり、大事な観念(アイディア)とか結びつきとかが欠け落ちたままエピジェネシスをやってかなくちゃならない生命体を叱りつけるより、何が欠けてるのかを教えてあげたほうがいいってこと。少なくとも正しい問を問えるようにはしてあげられるんじゃない。

    この時点で自分の狙いが分かった人は隠喩の認識に才がある人だと思います。つまり、自分はあえてスライスすることでこれを読んでいる人の欠けている部分を補完しようとしたのです。余計なお世話でしたね。

    ですがブログを読むということは自分に欠けている何かを補完し、新たに欠けているものを生み出すことになるのではないでしょうか。自分はそれを認識させる手助けをしたに過ぎません。




    正確に読むことは重要か?


    精緻に読むことは重要なのでしょうか。正確に読もうとして意識がそちらに向かって全体像がぼやけたりはしないのでしょうか。それとも、すべて正確に読み解いていくことで新しい何かを創造するのでしょうか? どちらもあり得ますし、時と場合にもよります。だから前者が間違っているわけでもなければ後者が間違っているわけでもありません。隠喩というのもこんな感じで、時と場合に応じて変化するのです。

    隠喩というのは非常に難しいものです。でもだからこそ何かに魅かれるのです。
    自分は国語みたいな読解は大の苦手ですが、自分なりに考えるのは大好きです。
    国語のように自分を持ち出さないで考える訓練も必要ですが、それ以前に自分なりに考えることの楽しさをもっと教育で教わりたかったですね。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。