タテ型思考とヨコ型思考
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タテ型思考とヨコ型思考

2014-02-28 22:32

    タテ・ヨコというロジカルタイプ


    タテ社会ヨコ社会というのがあるように、思考にも縦横が存在します。タテ型はロジカルタイプが異なる思考で、ヨコ型は同じです。

    タテ型思考の例
    ・草の三段論法(草は死ぬ。人は死ぬ。故に人は草である。)

    ヨコ型思考の例
    ・バルバラの三段論法(AはBである。BはCである。故にAはCである。)


    ヨコ型思考をもう少し詳細に見ていきますと、例えば「人は死ぬ。日本人は人である。故に日本人は死ぬ。」というように、人という広い意味から日本人という狭い意味に移動し、最後にその狭い意味で広い意味で成り立つことを当てはめています。要するに、ロジカルタイプに若干の波があるのです。ですが、これは逸脱しない波、サイン・コサインのような波です。

    一方、タテ型思考は明らかに一定のロジカルタイプを逸脱しています。というか、一定した高いロジカルタイプが見えていない状態なのです。要するに、明確な輪郭が見えていないのです。”輪郭の不思議”でいうところの、輪郭の内側にいる状態です。たとえ推測できたとしてもそれは草の三段論法止まりで、ヨコ型思考にはなっていないのです。

    コンピューターはヨコ型思考(ハードな思考)が、人間はタテ型思考(ソフトな思考)が得意です。将来、人工知能はこの両方を得意としなければならないのですが、例えば人工知能が人の相談に乗るとき、ちょっと話しただけですぐに理解して応答してしまう、まるで宇宙兄弟のビンスみたいになるのは味気ないですよね。

    人間的になるためにはもう少し”推測”しながら話を聞く状態になってもらわないと困ります。その時はどうしたらいいでしょうか。答えはタテ型思考を強化することですが、タテ型思考が行き過ぎると変な応答をしかねません。しっかりとしたヨコ型思考をベースにタテ型思考を強化するというのが理想でしょう。


    人間社会のタテ型思考とヨコ型思考の分化


    人間はどんどんタテ型思考になっているようです。統合失調症(妄想型)がいい例で、肝心な輪郭が見えていないがために歯止めが利かなくなる状態になっていまします。しかし学問や社会、定期テストなんかになるとヨコ型思考を求められる始末。これでは心がおかしくなるのも無理はないかと思います。自由があるようで自由がないというのはこのことでしょう。

    その一方で、ヨコ型思考に偏っているのがあります。読解です。コミュニケーションなんかもそうですが、推移的にならないと分かりにくいという人が増えていますし、文学のような文脈を読むことが苦手な人も増えています。これがゆとり教育によるものかどうかは定かではありませんが、論理的にちょっとでも飛躍すると分からないという人が多くなっています。これは、小論文の訓練とか、分かりやすい文章を書くよう、分かりやすく情報伝達するよう心掛けている社会教育の影響なのではないかと思います。つまり、情報伝達やコミュニケーションの効率化が原因だと思います(ただの直感ですし、統計データもないので何とも言えないところですが)。

    このように見ていくと、国語という読解問題を問う科目がいかにナンセンスなのかがよく分かります。確かに分かりにくい文章を分かりやすく伝達するスキルというのは、現代社会では必要不可欠です。ですが、「筆者の言葉を用いて」、つまり、「自分を持ち出さないで」という条件付で答える問題というのは、自分なりに考えた比喩を全く使ってはいけないことを意味します。特に分野の異なることをコミュニケーションで伝える場合はどうしても比喩を使いがちです。

    要するに、国語の読解問題というのは「比喩を使わずに答えなさい」と言っているようなもので、人間の得意なタテ型思考を真っ向から否定しているのです。そういうのは数学や物理で十分じゃないですか。国語もそういうヨコ型思考の読解にさせるのはどうかと思います。何よりも、面白くないです。

    比喩というアナログ言葉に頼らないデジタルな言葉で伝えるのは確かに客観的要素を強めるので学術論文や報告書を書くのには向いているかと思います。ですが、口頭でのコミュニケーションくらいは比喩があってもいいのではないかと思うのです。

    恐らく教育機関はこう言うでしょう。「そのような比喩による伝達は教育でやるべきではない。なぜなら、それは個性に関わるからだ。比喩伝達は個々が独自に身につけるべきスキルである。」 まあ一理あるんですが、比喩伝達はいいことだと教育するくらいはいいんじゃないですか?


    あとがき


    今回は縦横の関係から国語教育についての言及にまで広げてみました。人間がいかにコンピューターに近い思考をするようになっているか、そしてその反動がどのようにして現れるのかを自分なりに文章で描いてみたつもりです。

    国語教育については、最終的に読解力をテストで測る以上、デジタルな言葉で書かざるを得ないのだろうと半分諦めています。しかし自分が言いたいのは、決して分かりやすい文章の書き方を否定しているわけではなく、むしろそれを肯定し、そこに自分なりの表現というのを盛り込むべきだということです。

    多少言い足りないところもあり、読者の方も多少読み足りない部分があるかと思います。自分の力不足で、すべてを書こうと思うと文章全体の構造に大きく影響を及ぼすため、容易に想像できる事例はあえて省略しました(ただまとめるのが面倒なだけ)。

    自分はどちらかというと直感型タテ型思考です。できるだけコンピューター的ヨコ型思考にはならないように努めているわけですが、最近はヨコ型思考もあながち悪くないと思っている次第で、むしろそれを積極的に取り入れることで最強の思考が得られるのではないかとさえ思っているのです。そんな思考があればの話ですが、手に入れられるなら手に入れてみたいですね。


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