コンピューター人間から学ぶ本当の人間像
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コンピューター人間から学ぶ本当の人間像

2014-04-04 20:02
    ここでは何事も機械的に処理する人間のことをコンピューター人間と呼ぶことにします。短く書くと機械人間でしょうか。



    コンピューター人間はネガティブか?


    ところで、機械人間は悪いことなのでしょうか。個人的に、四則演算のような当たり前のことは機械的に処理できるようにした方がいいと思っています。漢字の読み書きもパターン認識ありきではなく、もう体で覚えるくらい反復練習を積み重ねていく方が素早くアウトプットできていいです。

    このように、質的に簡単で量的に多い問題に対しては機械的学習に依った方がいいと思います。できることはできるだけ機械的に素早くこなすのが、この効率主義社会にとってもいいのではないかと思います。実際に、受験勉強は短時間で素早く正確に問題を解くよう要求しています。練習の段階では時間をかけてじっくり考えるべきなのですが、本番になれば機械的にパパッとこなすようにならなければならないので、結局練習の段階でも機械的にこなすよう心掛ける必要があります。

    むしろ、機械人間に否定的な人は運動選手を見習うべきでしょう。彼らは単一の目的のためにひたすら反復練習を積み重ねています。できるところはできるだけ機械的に行うことで、つまり意識が使う時間を節約することによって、誰にもできないような能力を引き出すわけです。最初は動きの一つ一つに意識が関わることでしょう。ですが、練習を積み重ねるうちに意識の向くべきポイントがシフトしていきます。最初は一つ一つの動きだったのが次第に機械的に動くタイミングに焦点を当てていくのです。

    このように、意識を使うポイントを機械的なプロセスの許可・不許可に当てられるようになるまで、つまり、ここから先は機械的にプロセスを進行してもよいというマーカーをつける役割にシフトできるまで、機械的な練習が必要になってきます。ここまでやれて初めて創造的な何かが生まれるのです。個性が欲しい人はまず体を鍛えたり歌を歌ったり、なにかアクティブなことをするようオススメします。




    機械的な慎重 機械的な神経質


    事務処理能力の高い人はコンピューターが活躍する社会でも需要があると思います。確かにコンピューターより事務処理能力は高くないかもしれません。ですが、コンピューターに近い人間になるということはコンピューターがなくてもやっていける強い人間であるということなのです。それに、事務処理能力が高いということは短時間でいろんなことを考える力があるということです。事務処理と思考はまた別物ですが、その事務処理能力を思考能力に生かせば十分強い人間になれます。極端な例えですが、コンピューターのペーストの速さにはかなわないけどタイピング速度は速ければ速いほどよく、そのタイピング能力を思考能力に生かせればなおよいということです。

    逆に事務処理能力の高くない、いわゆるじっくり考えすぎるタイプの人は淘汰されるような気がしてなりません。じっくり考えすぎる状態はまだ未成熟な状態、つまりまだ慣れ切っていない状態だからです。

    慎重になるのはいいことですが、正確さを考えると、機械的に慎重になる方が時間とエネルギーの節約になります。例えば神経質な人は意識が神経質な方に向いているだけのことで、無意識のうちにパパッと神経質になれば意識の節約になるでしょうし、感情の使いどころも変わってくるでしょう。




    機械的になる覚悟


    注意したいのが、一度機械的になると元に戻るのに相当な時間を要するということです。機械的になるということは習慣として処理するということですから、不可逆的なのです。ある意味、元に戻すのは不可能かもしれません。ですから、機械的に何でもしようと思えば、それなりの覚悟を持たなければならないということです。どこかが機械的になれば、元に戻れないかもしれないのです。

    ですが、タイピングの達人が一からタイピングするちまちまとしたタイピングをしていた頃に戻ろうと思うことはないでしょうし、格闘ゲームの達人がゲームしたての頃、つまり、ちまちまとした操作をしていた頃に戻ろうとは思わないでしょう。要するに、上達したものを元に戻そうと思う人はいないということです。せっかく持ってる能力を使わずにちまちまとした能力を使おうものなら、イライラするのは当然でしょう。

    しかし、最初の頃の経験を覚えておくことは重要です。自分よりもその能力が劣っている人を見たとき、自分が苦労した時の記憶を持っていればその人の気持ちが理解できるからです。機械的になるということは慣れることですが、忘れることではありません。自分の味わった苦い経験は覚えておいて損はないのです。まあ、その経験を比較材料にして「最近の若者は」とか「最近の年寄りは」とか愚痴るようであれば無い方がましかもしれませんが。




    夢という知の道具


    話を変えますが、ヒトの運動能力は他の動物よりも劣っているところがあります。ヒトは空を飛べませんし、ライオンやトラ、シマウマのように素早く走れるわけでもありません。知力に関してはいずれコンピューターが追い抜くことでしょう。

    では、どのようにして人間はこの能力の差を埋めていったのでしょうか。それは、道具を使うことです。飛行機や自動車によって動物の運動能力に対抗できるようになりました。鳥のような小回りのきく運転(操縦)はできませんが、馬力に関しては鳥以上のものになりました。

    これと同じようにして、コンピューターに対して知の道具を使って対抗できるようになるのでしょうか。つまり、知識に関する知識を学び、飛行機や自動車のような画期的な道具を創り出すことでコンピューターと張り合えるのでしょうか。自分はできると信じています。具体的にそれが何なのかは分かりませんが、自分は夢の構造にヒントがあると思っています。

    どんな凡人でも、その人の夢の世界は空想や創造に満ち溢れています。時には空を飛んだり宙に浮いたりできますし、オリジナルなドラマさえ見せてくれます。そのドラマの出来は見てる分にはとてもよくできていて、普段見ているテレビドラマよりも面白いことだってあります。

    要するに、夢には無限の可能性があるのです。この無限の可能性を秘めた能力を生かせば、コンピューターに負けないくらいの何かができるのではないかと思うのです。まさに夢があるとは思いませんか?



    創造は機械から


    創造的なものをつくるにはスキル(技能)が必要です。そのスキルは主に機械的です。特により高次な創造をするためには低次な部分は機械的に処理できるようにしておく必要があります。

    会話なんかがいい例で、瞬時にアウトプットするコミュニケーションでじっくり考えているようではせっかくのアイディアが逃げてしまいます。会話からひょんなことが生まれることはよくあることです。そのひょんなことを逃さないためにも、瞬間的なアウトプット能力つまり、瞬間的な引き出し能力が必要なのです。

    そういう意味で、普段から考えを一般化して瞬時に取り出せるようにしておく必要があります。日頃から色んな事を考えてみることです。その時はじっくり考えすぎることはせずに、パパッと直感的に疑問を感じ、直感的に応答する。まさに直感的思考のキャッチボールです。




    あとがき


    とういわけで、パッと出てきたアイディアをブログ形式にまとめてみました。あまり内容とタイトルがかみ合ってないような気もしますが(゚ε゚)キニシナイ!!

    実は運営様のFuckな事態のせいで三分の一くらいの文章が保存されていなかったという……。だから最後の方は簡潔になっています。

    【教訓】下書き保存はこまめにすべし(泣)

    結局、本当の人間像というのは機械的かつ創造的ということなのですよ、はい。ああ、早く夢の構造を解明してほしいものです。そうすれば創造について科学がすごいことを明らかにしてくれること間違いないのですから。


    三行まとめ

    できることはできるだけ機械的にやるべし。夢にこそ人間の可能性がある。
    創造のためにも新たなアイディアのためにも高度で機械的なスキルが必要である。
    人間は機械的かつ創造的である。

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