正論だらけのお花畑 正論の役割について
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正論だらけのお花畑 正論の役割について

2014-04-23 11:25
  • 3

 正論は疑いようもなく間違いなく正しいです。しかし、裏を返せばそれ以上思考することを止めてしまうことを意味します。その正論から一歩踏み出す思考、これがなければより次元の高い境地にはいけないと思うのです。

 自分の中にある今ある正論に満足していては、次第に正論によって思考力を奪われ、正論だらけのお花畑になってしまうことでしょう。創造(想像)は決して止めてはならないのです。


正論の役割


 正論の役割は主に二つあります。

 一つは思考の体系化・節約です。正論によってそれ以上余計なことを考えないようにすることができます。つまり、見直すという作業をできるだけ減らすことができるのです。裏を返せば、もうそこには思考が行き届かないということになり、あえてそこで悩むことはせず、そこで思考が停滞(満足)してしまうのです。

 もう一つは思考の拡張です。正論によってそれを土台にし、関連する事柄へと思考のアンテナを正確に伸ばし、言及することができます。土台については言及せず、土台となる正論に密接に関係する部分まで思考が行きわたります。イメージとして、リボンの束を正論というホッチキスで留め、そこを始点にしてリボンの束が無限に広がる感じです。そしてまた正論ができたらホッチキスで留める。この繰り返しで思考が拡張します。

 難しいのが、正論によって思考が停滞することもあれば、一気に思考が拡張することもあるのです。思考が走るのをやめることもあれば、一気に目的地まで走り抜くこともある。不思議ですね。



正論だらけのお花畑な人は正論に反論できない


 さらに難しいのは正論に反論することです。反論のしようがないのにどうやって反論するのか、と言われそうですが、思考の拡張、正論に対する「構え」をより高い次元に持っていくためには、あえて正論に立ち向かうということも必要なのです。正論だらけのお花畑な人は、もうそれだけで思考が満足してしまっているので、正論に対しては反論せずに必然的に無条件で従うという思考停止状態に陥ります。

 要するに、正論に支配されているのです。正論を拠り所にしていると言っても過言ではないでしょう。正論こそ裏切らない、そういう思いが思考を停止させるのではないでしょうか。



正論は二次元的で思考は四次元的な感じ


 「じゃあ何を言えばいいんだ!」と思うかもしれません。ちなみに自分は正論を否定はしていません。むしろ正論がなくてはロクに思考もできません。ただ、正論はあくまで平面的で、一定の高さにしか行き届いていないものだと思っています。しかもそれは時間的ではなく、流動的でもありません。ただホッチキスで止められている固定状態です。

 それに比べて思考は時間的で立体的でかつ流動的です。ただし、正論という方向指示標識によって動きが制限されています。



で、それで?


 正論を述べたとしても、「で、それで?」と返されることがあります。その正論が他に何ら関係しないときに使われます。自分で「で、それで?」を繰り返すことで思考の拡張を自然と促すことができます。もう少し具体的に書くと、「で、それ何に使えるの?」となります。どんなに正論を述べても、何かに使えなければ意味がありません。(で、それで?



あとがき


 この記事がそれぞれ何の役に立つかは分かりません。ただ、正論で思考停止をしてほしくないというのが自分の願いです。自分の作った正論に対して、あえて反論の余地があるか探ってみるのもありなのではないかと思います。



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三行まとめ

正論で思考停止することもあれば、一気に思考が拡張することもある。
正論依存症の人は正論に従わざるを得ず、また、正論に支配されてもいる。
「で、それで?」と言われたときにどう返すか、ここに思考拡張のカギがある。

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正論を切り詰めていくとガチガチの理想論なっちゃうよね それで行き詰って自滅することが結構あったと思う 
そういうガチガチの脳みそに風を通してくれるような記事だった
75ヶ月前
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>>1
そう言っていただけると嬉しい限りです!
75ヶ月前
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 正論を知るだけでなく使いこなせるかどうかという、「正論」に対する新たな考え方を知れました。
75ヶ月前
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