【メタローグ】人の心が変わる瞬間、その心に何が起こるのか(問題提起)
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【メタローグ】人の心が変わる瞬間、その心に何が起こるのか(問題提起)

2014-06-25 18:39
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主 「例えば『クラシック以外は音楽じゃねえ!』と主張する人がいきなりロックやメタルに目覚めてしまったとき、その人の心にはどういう変化がもたらされるのだろうか。

 もっと言えば、その人の心にある観念システム・サブシステムにどんな影響があったか」


「なんかまた難しそうなこと考えてますね」


主 「もっと分かりやすい例を挙げてみる。ロックやメタルを聞いたことのない、演歌とかそういった曲しか聞いたことのないおばあちゃんが、ロックやメタルを褒めるとき、そこにはどんな心理的な要因があるのか。

 このおばあちゃんは差別をせず平等な信念を持っている人だが、うるさい音は嫌いだ。しかしロックやメタルを褒めるとき、そのおばあちゃんにはどんな心理的なプロセスがはたらいて”褒める”に至るのか。

 例えば孫にLinkin parkのCDを勧められたとき、おばあちゃんにはどんな心理がはたらくと思う?」




「さりげなくステマしてますけど。まあ、かわいいお孫さんに勧められて断れないというのが一つと、うるさいと思ったらどうしようという不安と、お孫さんが聴く曲だからという期待と信頼でしょうか?」


主 「そのCDの実際にうるさい曲を聴いたとしたら?」



「うるさいのは嫌いですけど、演歌と比べたりはするんじゃないですか? いくら差別しない平等なおばあさんでも、比較はすると思いますよ」


主 「そう、比較はする。そうすることで区別はできるけど、差別はできないとしたら?」



「その差別できない原因がお孫さんにあるのか、それとも自分の信念にあるのか、そこまでは分かりませんが……、うるさいのも含めて”公平”に評価すると思います」


主 「その結果が褒めるになったわけだ」



「たぶんそうなるんだと思います」


主 「この場合、演歌とCDのうるさい曲を比較・区別することによって出てくる感情と、孫の存在と、自分の信念が相互に作用して公平に褒めたということになる」


「曲の内容で褒めたわけではないのですか? 公平に褒めたならむしろ内容を優先して評価すると思いますが」


主 「ふむ、確かにそうだな。自分の信念が強ければ強いほどそういう傾向になるだろう」



「お孫さんを気にすると『この曲うるさくて嫌だけど……』という心理がはたらくのでしょうか?」


主 「となるとその場合は本心では曲を褒めてないことになるな。逆に自分の信念を以てして褒めたのなら、うるさくて嫌だけど内容はいいから褒めたということになって、形式的だな」



「そういうのは形式的じゃなくて理性的っていうんじゃないですか?」


主 「曲に関してはいいけど個人的には嫌だってことで理性的か。理性的というのはなんとも奇妙な言葉だな。自分の感情を押し殺してまで公平に、理性をもってして評価する。その段階は、もはや仕事と同じだな……」







「結局なにが言いたかったのですか?」


主 「うむ、話がそれてしまった。

 『うるさい音が嫌い』という私情がある限り、たいていは本心で褒めていないか、褒めていたとしても形式的(理性的)かのどちらかだ。もしこの私情を変えるくらいの曲だとすれば、今頃おばあちゃんはCDショップへ一目散に走るだろう」



「つまり今回はその一目散に走るケースを扱うわけですね?」


主 「そういうことだ。『うるさい音は嫌い』なのにもかかわらず、孫の存在も気にせずに、理性など意識の外にあって、Linkin parkに目覚めるとき、そこには何が関わったのか。それが知りたい」


「それは無理ですね」


主 「なぜ?」


「なぜって……、それは恋をしたときに何が関わったのかを理性的に考えるようなものですよ。恋に理由なんてありません」


主 「ほう、このおばあちゃんはLinkin parkに恋したと」



「そうじゃなくて、曲に感動したんです。そこに理由なんてあるんですか?」


主 「ある。というか、あってもらわなければ困る。上で書いたような孫の存在と自己の信念を超越した何かによって突き動かされた、その原因が知りたいのだ!」



「私に言わせれば、なぜ兄さんがそんなことを知りたがるのかが不思議です」


主 「暇だからSA!!!」



「……はぁ(溜息)」







主 「とにかく、確かなのは、曲を聴いて何かを”感じて”変化した。そこにはうるさかったらどうしようとか孫に対してなんて言おうとか、そういう不安を超越する”フィーリング”が存在したわけだ」



「そのフィーリング(感じ)を考えるわけですね」



主 「そうだ。

 理性的な思考をすべて消し去ってその人を支配するそのフィーリングとは何か。そのフィーリングに支配されている間は陶酔状態や純粋状態になるわけだが、それはいったい何なのか」




「まるで何かに集中しているような状態ですね」


主 「中性的なことばを使えばそうなるな」


「この記事を書くことに集中している兄さんも、理性を超越しながら書いてるんですか?」


主 「どちらかと言うと理性を調節してる感じだ。理性の度合いを調整してるみたいな。

 全く理性が飛んでるわけではないぞ。キーボードで入力しながら、文章を推敲する。これは立派な理性行為だ。おばあちゃんの場合は瞬間的に我を忘れる感じだから、これとは違うな」



「でも一目散にCDショップへ向かうのでしょう? 理性がなかったらお店にすら行けませんよ」


主 「ぬぅ、確かに。

 ということは、完全に我を忘れてるわけではないようだ。少なくとも気絶してないからな」




「案外、自我があったからそういう行動にでたのかもしれませんね」


主 「逆説的だなぁ。自我によって我を忘れる。我を忘れていても自我はある。そんなことを言い出したら本当の自分はどこにあるのかが分かんなくなっちまうな」







主 「基本的にこのおばあちゃんはうるさい音が嫌いだ。そしてそれをひっくり返すような、むしろその音嫌いが助長させたかのようなフィーリングとは……?

 少なくとも気絶はしていないから理性的な部分はある。しかし、その理性があるからこそ増長するそのフィーリングとは……一体なんなのだ!」


「やっぱり分からないですよ。今回は諦めましょう」


主 「ぐぬぬ……仕方がないな。これについては読者の方に考えてもらうしかなさそうだ。

 読者ファイティーン!」







主 「でも少しわかったことがある」



「なんでしょう?」


主 「わからないということがわかった! HA☆HA☆HA☆HA☆HA


「…………?」

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正論でも言っていたが相手の心情を正確に測るためには、相手の人生や普段の様子、どんな人間か知る必要があるね。
それでも予測できる範囲でいうなら、
①歌詞が非常に良かった(他と比べて共感、或いは想起させるものだった)
②テンポ・曲調が・・・同(孫の関わる普段と違う精神状態にあったものだった)
③声が良かった(爺さんに似てたとか)
・・・・・・歌の要素なんて大体こんなもんだし、内容が演歌に近いしんみりしたものだったとかかも。ああいう曲は心臓の動悸的な意味でも狂乱・熱狂しやすい部類だと思います。
70ヶ月前
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おまえ、そんな難しいこと考えて物を好きになったり嫌いになったりすんの?
快不快なんてサルでも赤子でもあるぞ
70ヶ月前
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